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【読書メモ】なぜ人に会うのはつらいのか-メンタルをすり減らさない38のヒント(佐藤優、斎藤環)【#100】

全編が佐藤優さんと斎藤環さんの対話で進んでいくのですいすい読めます。しかし、内容は濃ゆいです。

コロナ禍で起きた社会変化で最も大きかったのは、マスクでもなく、外出禁止でもなく、オンライン化だったと思います。外出禁止に類することはそれまでもありましたが、色んなことが完全にオンライン化されて、出勤、登校せずとも多くのことが出来るようになったのはテクノロジーが追い付いた2019年だったからこそ起きた現象だと思いました。その後、少しずつ社会生活が回復していく中で、オンラインでも出来たのに、出社しろだの対面が良いだの、リアルの接触を求める声が大きくなってきました。

僕は、人と会うのが苦手なので、そういう声は全く理解できませんでしたし、出来ればオンラインが続いて欲しいなと思っていた一人だったので、この『なぜ人に会うのはつらいのか』というタイトルを見た途端に買わずにはいられませんでした。

第2章で斎藤が、人と会うということは「暴力的」であるという話をします。

まず申し上げておきたいのは、ここで言う暴力は「他者に対する力の行使」すべてを指す概念で、いいとか悪いとかいう価値判断とは無関係だということです・「力」は物理的なものから、心理的、形而上学的なものまで含まれます・ですから、そもそも全ての暴力が非合法であり、悪だということはできません。

p78

という前提から始まります。

私自身、対人恐怖症気味、発達障害気味の人間で、人と会うのは基本的に苦痛なのです。約束の時間が近づくと、妙に緊張したり不安になったりもします。ところが、不思議なことに、実際に会って話をすると、とたんに心が楽になる。毎回この繰り返しで、会えば楽になるのが分かっているのに、会うまでは苦痛を感じたりするわけです。

p80

というような、共感できる話があり、でも結局

佐藤 ではどうして人間はわざわざつらい思いをしてまで、人と会おうとするのでしょうか?
斎藤 身も蓋もない言い方に聞こえるかもしれませんが、「会ったほうが、話が早い」からだというのが、現時点での私の結論です。考えてみれば、これは暴力の本質でもありますよね。

p81

この暴力性に鈍感な人が思ったより多くいて、何も考えずにやっぱり対面が良いよね、面と向かわないと話ができないよねと言っている人を見ると、発達障害気味の僕としてはげんなりします。ホントに会わなきゃいけない?オンラインで良くない?って思います。雑にガハガハ笑っている人を見ると、ほんと『鈍感力』って大事だなと感じることも多いです。

ただ、会った方が話が早いってこともありますので、対面における暴力性は認識しているけれど、その暴力には意味があるから会っているんだということを認識していることは大切なんじゃないかと思っています。というか、それを認識してないと、オンラインで良いのか会った方が良いのかという仕分けができていない、解像度の低い会議になってしまうように思います。

第5章では「組織」や「学校」についての話の中で、

斎藤 せっかくインフラ整備を進めたにもかかわらず、学校現場を支配していたのは、「休校状態が解除されたら、子どもたちはまた一斉に学校に戻ってくるのが当然」というロジックでした。

p211

ここでも、学校現場を支配している雑さについての話かなと思いました。

佐藤 リモートを、学校に来て対面で行う授業の代替としか捉えていない。
斎藤 残念ながらその通りで、子どもをきちんと通わせて管理するという”学校のプレッシャー”は、ある意味コロナ前よりも強化されたのではないか、という印象さえ感じます。
佐藤 いったん家庭に「帰した」けれど、確実に戻ってもらわなければ困る、という発想ですね。

p211

せっかく人間関係や学び方に多様性が持たせたれるような変化だったのに、また画一化してしまった、学校に来ていないとダメです。カリキュラム通りじゃないとダメです。言われたことをしないとダメです。という硬直した状態に戻っているように思います。

それに合わせられない人は不登校しか選べないような、選択肢の貧困さは子供たちの可能性を狭めているように思えてなりません。学校に来て、友達と体を動かしたい人もいれば、皆の前で発言はできないけれどテキストに打ち込むことはできる人も意見聞いてもらえる、両方があって良いと思います。

とにかく、ネットが発達した現状では、来ている人だけが偉い、発言した人だけが偉いというようなシステムは既に破綻していると思います。さらに、斎藤も触れている

自己紹介する場合にも、「私は何々株式会社の所属です」と言い、「エンジニアの誰々」とは言わない。これも典型的な「場所の論理」になっていて、その場にいることイコール家族の一員、のようになってしまうんですね。

p213

日本独特の気持ち悪い感覚にも触れています。この組織所属欲求というか、肩書き大好きな感覚が全く理解できないので、同じ時間に起きて、同じ時間に出勤できなくてもいいという感覚が広まって欲しいです。現状、決められた時間に会社に行って、決められた仕事をしていますが、効率悪いなと思うことは多々あります。僕は擬態できているので、それなりに適応していますが、一定数いるであろう「きちんとできないけど能力が高い人」を組み込んだ方が、会社のため、社会のためになると思っています。

欧米みたいに効率性に全振りするようなシステムだと、損得だけでかなり実現しているように感じます。実際に外資系で働いている知人はほぼみんな在宅勤務で、必要な時だけ出社するスタイルです。

日本のように、効率に全振りはできない、能力は無いけど既得権で何とか立場を維持している人が多数派のようなシステムだと、現状のシステムを見直すことも変えることもできず、結局昔の方法に戻すという復元力が一番強く働くと思います。なので、会うことの暴力性を認識しているような人が多数派にならない限り、欧米みたいに合理的に考えるのは難しいのかな。なんなら、もう一回パンデミックが起きたら興味深いのに・・・と思います。

おわり


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