【読書メモ】なぜ人に会うのはつらいのか-メンタルをすり減らさない38のヒント(佐藤優、斎藤環)【#100】
全編が佐藤優さんと斎藤環さんの対話で進んでいくのですいすい読めます。しかし、内容は濃ゆいです。
コロナ禍で起きた社会変化で最も大きかったのは、マスクでもなく、外出禁止でもなく、オンライン化だったと思います。外出禁止に類することはそれまでもありましたが、色んなことが完全にオンライン化されて、出勤、登校せずとも多くのことが出来るようになったのはテクノロジーが追い付いた2019年だったからこそ起きた現象だと思いました。その後、少しずつ社会生活が回復していく中で、オンラインでも出来たのに、出社しろだの対面が良いだの、リアルの接触を求める声が大きくなってきました。
僕は、人と会うのが苦手なので、そういう声は全く理解できませんでしたし、出来ればオンラインが続いて欲しいなと思っていた一人だったので、この『なぜ人に会うのはつらいのか』というタイトルを見た途端に買わずにはいられませんでした。
第2章で斎藤が、人と会うということは「暴力的」であるという話をします。
という前提から始まります。
というような、共感できる話があり、でも結局
この暴力性に鈍感な人が思ったより多くいて、何も考えずにやっぱり対面が良いよね、面と向かわないと話ができないよねと言っている人を見ると、発達障害気味の僕としてはげんなりします。ホントに会わなきゃいけない?オンラインで良くない?って思います。雑にガハガハ笑っている人を見ると、ほんと『鈍感力』って大事だなと感じることも多いです。
ただ、会った方が話が早いってこともありますので、対面における暴力性は認識しているけれど、その暴力には意味があるから会っているんだということを認識していることは大切なんじゃないかと思っています。というか、それを認識してないと、オンラインで良いのか会った方が良いのかという仕分けができていない、解像度の低い会議になってしまうように思います。
第5章では「組織」や「学校」についての話の中で、
ここでも、学校現場を支配している雑さについての話かなと思いました。
せっかく人間関係や学び方に多様性が持たせたれるような変化だったのに、また画一化してしまった、学校に来ていないとダメです。カリキュラム通りじゃないとダメです。言われたことをしないとダメです。という硬直した状態に戻っているように思います。
それに合わせられない人は不登校しか選べないような、選択肢の貧困さは子供たちの可能性を狭めているように思えてなりません。学校に来て、友達と体を動かしたい人もいれば、皆の前で発言はできないけれどテキストに打ち込むことはできる人も意見聞いてもらえる、両方があって良いと思います。
とにかく、ネットが発達した現状では、来ている人だけが偉い、発言した人だけが偉いというようなシステムは既に破綻していると思います。さらに、斎藤も触れている
日本独特の気持ち悪い感覚にも触れています。この組織所属欲求というか、肩書き大好きな感覚が全く理解できないので、同じ時間に起きて、同じ時間に出勤できなくてもいいという感覚が広まって欲しいです。現状、決められた時間に会社に行って、決められた仕事をしていますが、効率悪いなと思うことは多々あります。僕は擬態できているので、それなりに適応していますが、一定数いるであろう「きちんとできないけど能力が高い人」を組み込んだ方が、会社のため、社会のためになると思っています。
欧米みたいに効率性に全振りするようなシステムだと、損得だけでかなり実現しているように感じます。実際に外資系で働いている知人はほぼみんな在宅勤務で、必要な時だけ出社するスタイルです。
日本のように、効率に全振りはできない、能力は無いけど既得権で何とか立場を維持している人が多数派のようなシステムだと、現状のシステムを見直すことも変えることもできず、結局昔の方法に戻すという復元力が一番強く働くと思います。なので、会うことの暴力性を認識しているような人が多数派にならない限り、欧米みたいに合理的に考えるのは難しいのかな。なんなら、もう一回パンデミックが起きたら興味深いのに・・・と思います。
おわり
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