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連続小説・「アキラの呪い」(8)

前話はこちら。


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 晶が高校を卒業してから俺が高校を卒業するまでの4年間は、俺達に一番距離があった時期だと言える。物理的にも精神的にも。俺が高校に入学してからは、特にそうだった。同じ家にいても、ほとんど会話もしないし、なんなら目も合わせないほどだった。なぜなら晶が、はっきりと俺を避けるようになったからだ。反抗期だったんだろうか。あれは。それまでもそれほど交流があったわけではなかったが、ここまでじゃあなかった。それで、気がついた。俺は思った以上に姉を気にして生きてたんだと。姉が欠けた日々は、ひび割れた空の器を満たそうともがくような滑稽さだった。原因は明白なのに、そこから目を逸らし続けているような、違和感と後ろめたさが常にある。俺は逃げたかった。捕まってしまえば何かが決定的に終わり、変わってしまうと思ったから。何に追われているかもはっきりとわからないのに、逃れたいという思いだけが強く残った。
 だからなのかはわからないが、彼女が出来たのはこの頃だった。クラスメイトであまり話したこともない子だった。セミロングの黒髪が綺麗だったのをよく覚えているのに、顔を思い出そうとすると曖昧だ。いや。思い出せはするのだが、その顔が本当に彼女の顔なのか自信が持てない。特に、正面から見た顔が。我ながらどうかと思う。
 そのせいだろうか。
『この子をその内好きになるんだろうか』
 そんなことをぼんやりと考えているうちに、振られてしまった。付き合い始めて、一か月が経った頃だった。彼女は最後に「付き合わせてごめんね」とだけ言って去っていった。その後ろ姿は、中3の時付き合っていた女子とそっくりだった。あの時は半月も持たなかったんじゃなかったろうか。周りもちょっと付き合っては別れてを繰り返していたから、当時はそんなものなんだと思っていた。けど、やっぱり俺が悪いんだろう。俺は拓人と違って気遣いもできなければ、特にイケメンでもない。何かに秀でているわけでもないし、なんなら面白い話もできない。考えれば考えるほど、女にモテる要素なんてゼロだった。だからまあ、彼女がいたと言えるだけでも俺は感謝すべきなんだと思う。
 高校二年になった頃には俺はかもう、恋愛どころではなくなっていた。姉とこの先ずっとこのままでいるかと思うと、毎日気が狂いそうだったからだ。
 だから、晶と同じ大学へ進学することを決意したのは必然としか言いようがなかった。もうそれくらいしか出来ることがなかった。俺は遂に、姉への執心を受け入れることにした。もう、呪いみたいなもんだと思った。そうしたら少し気分は軽くなって、何をやるべきかがはっきりした。それからは大変だった。何しろ高一までろくに勉強もしたことのない俺だ。大学に行くことすらまともに考えたことはなかった。世の天才たちは受験間際で追い上げて名門大学へ行ったという話も聞くが、俺はその類ではなかった。当然、残りの高校二年間は記憶を失うほど勉強に捧げることになった。それでも、合格圏内ぎりぎりだったけど。幸いだったのは、姉が県外へ出なかったことだ。片田舎であるこの県で有力な国公立大学は一つしかない。彼女を追う意図がなかったしても、県内で進学するなら最上位の大学はそこだった。さらに運がいいことに、理系学部は晶が所属する文学部に比べて偏差値が5以上低かった。俺は結局、理系学部を受験し、なんとか合格したのだった。姉と在学中一緒なのは、たった一年だ。それでも合格した時は、声も出ないくらい嬉しくて、どうしようもなかった。そして自分が、一段深みへと足を踏み出したことも実感していた。
 姉にも合格したことは伝えたが、驚くほど無表情で「そう」と言ってすぐに自室へ引っこんでしまった。その時ばかりは姉の表情を読めなかった。それよりも、嫌な顔をしなかったことへの意外さに気を取られてしまった。いまだに姉があのとき何を考えていたのか、俺にはよくわからないままだ。けれどなぜか、あの時の能面のような顔が今でも忘れられないでいる。
 勿論、大学に入ってからも姉との交流はそこまで多いわけじゃなかった。たまに話すくらいだ。しかも、一年経つと彼女が卒業してしまい、それさえも無くなってしまった。今でも考える。あの時もっと姉と関わろうとしていたら、自殺未遂を防げただろうか、と。いくら考えても答えは出ない。
 晶はこれからも口を閉ざしたままだろう。だからこの苦しみに終わりはない。けれど、悪くないと思う。俺が苦しみもがく間は少なくとも、姉は生きている。苦痛の終わりは即ち、姉の死を意味しているのだから。



(第二章おわり。間話一へとつづく。)
アキラの呪い(9)へとつづく。

次話はこちら。

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