人は皆、帰る場所を求めている(週末日記)

今日は珍しく?、藤井風の話もしてます。

金曜日

前日までのバタバタの疲れが一気にきたのと、低気圧とでめまいが止まらずに、午前中はずっと寝て過ごしていた。
忘れていたけれど、私も病気の治療中だった、そう言えば。

夢の中で祖母と祖母の畑の周りを散歩していた。ポカポカした日で、祖母は少し元気がなかったけれど、外に出られて嬉しいと言っていた。ふたりでゆっくり畑まで歩いて、畑に植わっている野菜などを見て「可愛いね」と言っていた。起きると、虚しさが去来した。

のそのそと昼ごろに起きて、ボケーっとパンとコーヒーをもしゃもしゃ食べて、ようやく顔を洗って着替えた。

ため込んでいる添削の仕事をしないとなとPCを開くが、ネットにつながらない。うぎゃーーーー!とパニックになりながら3回くらい再起動を繰り返したらやっと繋がってホッとする。この時代、ネットが繋がらなかったら即死亡だから恐ろしい……

添削を2本やって、いっぬたちと遊ぶ。2匹は仲がいいのか悪いのか分からないから面白い。私が片方を抱っこすると、必ずもう片方がワンワン文句を言う。一丁前にやきもちを焼くらしい。

夕方からはオンラインミーティング(と言うかユーザーインタビュー)。いつでもどこでも集えるって本当にいい時代になったもんだ。

夕飯は、仕事の用事で出かけた父が帰りがけにうなぎ(!)を買ってきてくれたので、うな丼を食べた。

土曜日

さあいよいよPCR検査の日。今回は唾液でやるパターンらしい。(鼻に突っ込むやつじゃなくてよかった。インフルの時に経験してるから分かるけど、あれ半端なく辛い)
2ml程度の唾液を採取しないといけないらしく、私は余裕だったけど、ドライマウス気味の妹は苦戦していた。
これから唾液でのPCR検査を受ける予定の方、日頃からドライマウス予防に耳の下にある唾液腺をマッサージしておくといいみたいですよ。

検査後、洗濯したり、軽く仕事をしたりしているとあっという間にお昼に。
前の日に叔母が作ってくれていたチャーハンを妹と食べる。

午後からも作業をしようと思っていたけれど、昨夜1時過ぎまで、4月リリースの自分のサービスのLPや公式ラインの作業をしていたため、眠気がMAXになりわんことお昼寝。過集中でやり過ぎちゃうことは主治医からもきつく注意されているから、これからは寝る前に仕事をするのは止めようと心に誓う(367828173回目)。

すやすやと寝ていたら、母からPCRが陰性だったこと、山口から叔母さんの夫さん(要は義理の叔父)が来て、大叔母の家に泊まるから掃除片付けをして撤収して来いとのお達しが飛んできたので、慌てて飛び起きる。

妹はテキパキしているので、こう言う時に頼りになる。あちこち手分けして掃除をして、荷物をまとめて、やっと実家に帰った。東京から戻ってきて4日目にしての我が家、長かった……

夕飯は叔父叔母も一緒に食べると言うので、母と一緒にご飯を作る。
朝から降り続いている雨がどんどんひどくなる。せっかく咲きかけの桜が散ってしまうからどうか降らないで欲しい。祖母に満開の桜を見せてあげたいのに。

料理を一通り作り終えると、やっと祖母の顔を見に行けた。
思っていたよりは元気そうで安心した。でもやっぱり体がだるいらしく、顔色も悪かった。明日は、食欲がなくても食べられて、栄養のつく美味しいご飯でも作ってあげようと思っている。

余談

私が祖母にしてあげられることなどたかが知れている。それでも少しでも喜んで欲しい、少しでも元気を出して欲しい、ホッとして欲しい。何も返さなくていいから、ただ生きていて欲しい。

ああ、これが愛なんだ。

どれだけ概念として愛を学んできても深い実感として感じることはなかった真の愛を、間近に迫った祖母の死によって理解するなんて。神様は本当にむごいことをする。

藤井風が“帰ろう”という楽曲のリリックビデオでこういうことを言っている。

この曲では自分にこう問いかけています
「幸せに死ぬためにはどう生きたらええの?」
わしはまだもがいています
だからまだ生きてます
だから、生きることを、もがくことを諦めんで下さい
きっと無事に、幸せに、安らかに帰れるから

実際の歌詞にはこんな表現もある。

ください くださいばっかで
何もあげられなかったね
生きてきた意味なんか分からないまま

ああ全て与えて帰ろう
ああ何も持たずに帰ろう
与えられるものこそ与えられたもの
ありがとうって胸をはろう
待ってるからさもう帰ろう
幸せ絶えぬ場所帰ろう
去り際の時に何が持っていけるの
一つ一つ荷物手放そう

祖母はこれまでたくさんのものを人に与える人生だった。本当に「愛」そのものの人だった。だから今、祖母の周りにはたくさんの愛が溢れている。きっと神様から受け取った愛をこの世で人のために一生懸命使って使って、そしてやっと神様の元に帰ろうとしているのだ。

必死に生きた分、神様は安らかな場所を準備していてくれる。準備してくれていなかったら一生恨んでやる(え?)

イエス・キリストが死際に「神よ、神よ、なぜ私を見捨てたのです」と言ったと聖書に書いてあるけれど、そりゃ言いたくもなるよねって思っていた。でも祖母には「こんなに愛に包まれたまま神様のもとに行けることは幸せだね」と思って行って欲しい。絶望ではなく、幸福のなかで、穏やかに、静かに。

今朝、祖母はお通夜で一人きりにはしないで、と言ったらしい。死んでいて分からないと思うけど、寂しいのは嫌だ、と。

大丈夫だよ、ばあば。最後の最後までばあばのそばで、ばあばからもらったたくさんの愛を返して、満たして、そして笑顔で見送るからね。だから、まだもう少しだけ、この世界を楽しもうね。

おまけ

もう聖歌として認定されていいんじゃないかというくらい、神様への理解が深すぎる曲です(私の中では)。
この曲を聴くと、神様が近くにいるように感じるので不思議。


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