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【短編小説】あと5km敗北フラグ立ちました

「暮井暮高校!!」
「羅須戸屋高校!!」

先頭2校の名前が呼ばれると、中継所が歓声に包まれた。
ベンチコートを脱ぎ捨ててコースに駆け出した翔の身体に、11月の冷たい風が全身へ吹きつける。
いくらウォーミングアップで身体を温めようと冷たいことに変わりはない。

年末の全国大会はこんなもんじゃないんだろうな。

そんな自分の考えに気づき、翔の顔に自嘲的な笑みが漏れた。だって、全国大会はテレビで見るものなのに。

中継所の真ん中からコースに目をやると、200mほど先に二人の選手が見えた。暮井暮高校の青山龍星。そして、我らが羅須戸屋高校の団瀬衣良。

何度見ても心臓に悪い光景だ。アンカーを目前にして、県駅伝7連覇中の強豪とうちの選手が競っている。

「ラストだ団!!」
「絶対負けんなよ!!」

情熱的な声掛けとは裏腹に、翔の頭は妙に冷め切っていた。叫ぶと同時によぎった右ふくらはぎへの違和感。なくなることに期待もしていたが、現実はそんなに甘くない。ラストスパートに入った二人が中継所に飛び込んでくるまであと30秒といったところだろうか。

30秒。

アンカーの翔が走り始めるまで。

負けが約束された、最後の5kmを。
 
ツケは返す。
それは人としての在り方でもあり、自然の摂理でもある。

42.195kmを7人で走る高校駅伝は、10kmを走るエース区間の1区、約8kmを走る3区と4区合わせて3人で26km以上を駆け抜ける。5kmを走るアンカーの重要度はせいぜい4番目といったところだ。

「りゅ―せ―。ラストなのだ」

中性的な高い声が翔の隣から発せられた。もう一人のアンカーがばんざいをしながら笑顔でチームメイトに声をかけている。傍から見る限りプレッシャーのようなものは感じ取れない。

東北ずんだもん。

暮井暮高校が誇るダブルエースの一角。
不調か怪我か、はたまた保険か。県予選でかつてない苦戦を強いられている強豪は、それでも最後に大砲を残していた。翔たちの最高で最上な、そしてずんだもんらの最低で最悪なレースがこの第六中継所で奇跡的に重なった。
だけど、それらがもう交わることはない。

片や全国大会で入賞を目指すチームのエースであるずんだもん。

片や予選二桁順位が当たり前のチームでどうにかこうにかレギュラーに滑り込んだ翔。

ツケを払うときがやってくる。
ずんだもんは15分もたたないうちにゴールテープを切るだろう。どう頑張っても1分は遅れてゴールへ向かう翔。そのときの自分の顔は――
 
無理に悔しがることないよ。
 
脳裏によぎったかつての記憶。

2年前に出場した新人戦5000m。正選手に選ばれ意気揚々とスタートラインに立った翔に突き付けられた現実はあまりに残酷で、同時にスタートした同じ一年のずんだもんの背中は信じられないスピードで遠ざかっていった。
またたく間に2周差をつけられた直後、ふくらはぎに激痛が走った……気がした。

結果、途中棄権。

正直、ラッキーだと思った。

レースを終われた安堵を隠すように顔をしかめながら、競技場の隅に座り込んでふくらはぎをさすっていると、顧問の春日部先生に声をかけられた。

「無理に悔しがることないよ。あそこは日本代表選手を輩出するようなチームなんだから。世界が違い過ぎる」

どことなく諦めというか、できの悪い子を諭すような空気が感じ取れたのは春日部先生が暮井暮高校出身だと知っていたせいだろうか。

「でも、ボイボと同じ地区で競技をする以上こんなことはこれから何度もある。自分なりの目標を定めるのが大事だよ」

かつては世界を目指した人もつまらない大人になっちまうんですね。

そんなことを言いかけて思いとどまったのを覚えている。大人に引かれる線というのはどうしようもなく窮屈だ。

「あそこは目指しちゃダメなんですか」

翔がさした指の先ではちょうどずんだもんがゴールするところだった。別に強い決意があってのことではない。なんか偉そうなことを言われてムカついたから。その程度。

春日部先生は少し驚いたように口をすぼめ、ふっと笑った。

「まずは足が攣ったふりしてレースを投げ出さないことからだね」
 
団瀬と青山が目の前に迫ってくる。このまま横並びでの襷リレーとなりそうだ。二年前と同じ、よーいどん。

あれから練習してきてわかったことは、世界が違うといった先生の言葉は全く誇張のない事実だったということだ。

数百メートル先に見えていると思っていた背中はどうしようもないほど遠くにあって、翔たちがいくら練習したところで追いつけるようなものではなかった。

いまもずんだもんはすぐ隣にいるようでいて、行き着く先はあまりにも違う。翔の陸上人生で交わることは二度とないだろう。

「団、お疲れ」

タスキを渡した団瀬はもう声が出ないようだった。代わりに背中を強く押し出される。悪い気はしない。すぐ隣でずんだもんも走り出す。ツケの返済が始まった。

なんでこんなことをしているのか。

世界はおろか、全国大会だって夢のまた夢なのに。

知ったことか。

仲間がタスキを持ってきてくれた。
そしてゴールで春日部先生が待っているのだ。
 
今度は言える。
死ぬほど悔しいですって。
 
ふくらはぎの違和感はもう、消えていた。