自己肯定感を高めるの、危ないよ?
「自己肯定感を高めよう!」
そういう風潮に乗っかれない自分がいる。
最近は恋愛系のコンテンツにハマっている。
特に「女性が語る」というスタイルのやつ。
僕にまるっきり無い視点であり、かつ自分(男性)を客観視できるものだから、見ていてとても新鮮。
で、そういうのを見ていると、たまーに出てくるのが「蛙化現象」というやつ。
「好きな相手が自分に好意を持つと『嫌だ』『気持ち悪い』と思う」というのが意味らしいけれど、最近は「冷める」という意味でも使われているようだ。
前者の意味で原因を辿って行くと、「こんな自分を好きになるなんておかしい」という思考回路が原因のよう。
「だから自己肯定感を高めましょう!!」
「自分のことを好きになるなんてセンスあるな」と、そう言える自分になりましょう!
大丈夫。
あなたは素敵だ✨
人は似合わないことをすると、体がかゆくなるようだ。
「何言ってるの?」とかゆくなり、本心ではないから軽い言葉になり、どこかで聞いたような言葉しか出てこないことにもかゆくなる。
僕の中に「自己肯定感を高める」という意識は無い。
当然「高まる」ことはあるよ。
例えばnoteで反応をたくさんもらえた時。
スキが10超えただけで「いいnoteでしょ!」とドヤ顔をする。
そうやって「高まる」ことはあっても、基本的にはネガティブ思考であり、「スキが集まったのだってテーマがよかったからで、自分の力じゃない」と考えることが多い。
自己肯定感が高ければ「そのテーマを選んだのは自分であり、書いたのも自分、投稿したのも自分で、読者がスキしたのも自分だよ。自分すごいじゃん!」と考えるはずだ。
だけど僕は、この思考がすごく怖い。
「自分はなんでもできる」という全能感はたしかに素晴らしいものである。
が、物事が成される時のすべての事象に”自分”が関与しているわけじゃない。
当然、noteを書いたのは僕だ。
だけど「note」というサイトを運営しているのは僕じゃない。
noteを投稿したのは僕だ。
だけどそれを読んでくれたのは、読者の興味と時間の余裕があってこそである。
その時間にnoteという場所で、興味関心のある事柄が書かれている記事があるかどうか。
これは「運」とか「縁」と言われるものの仕業であり、自分がコントロールしているわけじゃない。
それなのに「自分はなんでもできる」という驕りは、いくらなんでも傲慢すぎる。
僕はわかっている。
「自己肯定感を高めよう」というミームは、”行動”を起こすための起爆剤であることを。
なにか新しいことに挑戦するのは怖い。
しかし、動かなければ目指す未来は掴めない。
人はエンジンをふかすための起爆剤となる”自己肯定感”を求めている。
だから「自己肯定感を高めよう」という文言をよく見るのだ。
僕が今日言いたいのは、「エンジンがふいている状態で周りに起爆剤があったら危ないよ」ということ。
せっかくエンジンが付いて進める状態にあるのに、起爆剤が周りにあることで引火する可能性がある。
というか、起爆剤ってものは引火しやすいから起爆剤なのである。
「必ず引火する」と言ってもいい。
せっかく進める状態なのに起爆剤に引火したら、あなたは消火活動をしなければならないし、火が強いのなら逃げ出さなければならない。
だとしたらエンジンが付いた”行動”を捨てなくてはいけないだろう。
また1からエンジンを作るのか?
それを作るエンジンも作らなきゃだろ?
やる気は出るか?
そのやる気を出すための・・・・・・
言いたいことは伝わっただろうか?
何事も”塩梅”が大事なのである。
行動をする時は動力を、行動している時は抑止力(冷静さ)をという感じ。
以上!くろだでした。
読んでくれてありがとうございました。
スキやコメント、フォローをよろしくお願いします。
ではまた👋
【あとがきというか忘れ物】
結局「蛙化現象」のことを何も書いてないじゃん!
「蛙化」の人はあと一歩なんじゃ無いかな。
「こんな自分を」という思考に至っているのなら、あとは改善するだけなんだから。
ただ、どう足掻いても改善できないことはある。
そしたら長所を伸ばすという選択もあり。
その時も「たしかに長所だけどすごい人はもっとすごい」と自分を肯定しないことはいいことだ。
すごい人と自分の差を認識できているってことだから。
まぁわかったところで辛いのは「成長に終わりはない」ということ。
どんだけ頑張って成長しても、上には上がいる。
そうなるともう趣味の領域だ。
「好きだから」というか「嫌いじゃないから」とできること。
こうやって考えすぎて頭でっかちになってる時に、自己肯定感が必要なんだろうね。
やらないと現実には表現されないから。
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