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スキした人をフォローする

さて、2月もラストスパートの時期となった。

この2月という月に、僕は「スキした人をフォローする」ということをやっている。

この記事の序盤に企画の説明をしているのだけど、簡単に言えば「フォロワー稼ぎ」である。

その意図として、綺麗なことを言えばフォロワーが増えることによる「読者の増加」。

読む人が増えれば下手なものは出せなくなるでしょ。

そういう「緊張感」を持つためにフォロワーが欲しい。


汚いことを言うなら、読者を増やしてビュー数やスキ数を増やして僕のモチベーションにしたい。

単純に読む人が増えれば、スキ数も増え、スキが増えれば「おすすめ欄」に載りやすくなり、認知されやすくなる。


あとは「フォロワー数」という見かけの数字に騙されて「くろだってすごい人なんじゃね?」と錯覚させるトラップを敷くため。


ここまで大っぴらにしてしまうと、もはや清々しいまであるよね。

でも、ただ単に「フォロバ100」と意図も何も示さないままフォロバするよりかは、何かしらの理由を見せた方が「乗ってやるか」って気になる人が多いだろう。

それに「期間限定」という特別感も付いている。

まぁ、フォローされれば基本的に返すようにはしているのだけど、「見かけの数字」が欲しい人もいるでしょ。

だから2月だけは僕からフォローする。

noteにスキしてくれた人限定でね。


ここまでは「フォロワー数」というものに重点を置いて話をしてきた。

ここいらで一丁、クールダウンしていこう。

過去記事に丁度いいものがある。

フォロワー数やビュー数、スキ数など「noteが消えれば一緒に消えてしまう不安定なもの」を価値基準にしている人をいさめるnote。

僕も手綱を握っているつもりではあるが、数字というものは恐ろしいものでしれっと、それでいて力強く手綱をかすめ取っていく。

「フォロワー数」というものは、僕の夢である”グチャグチャの東京ドーム”を創る上でも必要なものである。

しかし、人数ばかりを注視していては東京ドームは埋められても、”グチャグチャ”の部分が達成できない。

人数だけではなく「質」も追い求めるのが僕の夢である。

常にここは意識しておくこと。

その上で「今は」フォロワー数を稼ぎに行く。

それが終われば、次は読者の思考と感情を動かすようなnoteを書いていく。


この塩梅が難しいのだけどね。

あまりにも思考の余白を作ってしまうと「結局何が言いたいの?」と読者を置いていくことになる。

だからと言ってガチガチに固めると共感は得られても単一的になり、”グチャグチャ”とはなり得ない。

そりゃ単一でいいならそれが一番楽である。

一つを正義と決め、他を排斥した方がわかりやすいからね。

でも、例えば「白人至上主義」ってものは認められないでしょ。

なぜって僕が黄色人種だから。

世界には白も黒も黄色もいる。

それなのに「白だけが正義」としてしまうと、あぶれた僕らはどう思うか。

まぁ僕は、国のような公的機関ではないので「偏り」があった方がターゲットを絞りやすくてやりやすい。

でもね、「好きなんだけど居心地が悪い」って状況は作りたくないんだ。

ゲームには「環境」ってものがある。

それが「デッキ」なのか「キャラ」なのかはゲームによるのだけど、「これ使っとけば勝てる」みたいな状況がある。

そういう時、「このゲームは好きなんだけど、この脳死で出せば勝てるチンパンデッキ環境は居心地悪いな」というような思いをしてほしくない。

ここにいるのなら、せめて楽しんで欲しい。

日常、生きていればいろんなことがある。

幸せなこともあれば、不幸なこともある。

でもここにいれば「楽しめる」。

一時だけの仮初めでいいから、そういう場所を作りたい。


なんだかまとまりが無くなってきたので、締めていこう。

自分が自分であれる場所を東京ドームに作ること。

それはばらばらでグチャグチャな会場になるだろうけど、それでもなぜか通じ合えている感じ。

それを作るためには人数が必要だからフォロワーを増やしてる。

だけど「フォロワー数」に踊らされて、肝心なものを忘れるなよ。

そんなnoteでした。


以上!くろだでした。

読んでくれてありがとうございました。

スキやコメント、フォローをよろしくお願いします。

ではまた👋

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