見出し画像

「ロケット発祥之地」(ペンシルロケット開発地)

戦後のロケット開発始動の地

★ジャンル【科学】
★場所 杉並区桃井3-8
★最寄駅 荻窪駅

★碑文
「戦後間もない昭和28年、旧中島飛行機から社名を変えた富士精密工業は東京大学生産技術研究所(現、文部科学省宇宙科学研究所)の指導を受け、ロケットの開発に着手した。2年後の昭和30年にはペンシルロケットの初フライトに成功し、これが日本のロケット第1号となった。爾来、約半世紀、富士精密工業は、プリンス自動車工業、日産自動車、アイ・エイチ・アイ・エアロスペースと変遷を重ねたが、ロケット技術は脈々と後進に受け継がれ、現在の日本の主力ロケットを生み出す原動力となった。ロケット開発の拠点たる日産自動車荻窪事業所は平成10年5月に群馬県富岡市へ移転したが、跡地は再開発されることになった。この地の生み出した創造的意義に鑑み、ここに記念碑を建立し、往時を偲びつつ、宇宙開発のさらなる発展を祈念するものである。」

★解説
 荻窪駅北口から青梅街道を西北に進み、バスならば「日産自動車前」で降ります。道路反対側の日産の販売店角の植え込み内にあります。「旧中島飛行機発動機発祥之地」の碑も隣にあります。
 当初は碑の中央にある窓の中にペンシルロケットの模型がありましたが、なぜか今は無くなってしまいました。
 ここで発祥と言っているのは、もちろん日本のロケット開発のことで、しかも戦後の話です。敗戦後日本は航空関係の研究開発を禁止されましたが、1952年にサンフランシスコ講和条約が締結され独立を回復し、研究の道が開かれます。
 この機にロケット研究に乗り出したのが東大教授だった糸川英夫(いとかわ ひでお)です。糸川は戦前に中島飛行機に入社し、戦闘機の「」や「鍾馗」の設計に携わっていました。戦後は航空関係の研究ができなかったため音響工学や脳波計の研究をしていましたが、業績が認められ1953年に渡米します。
 ここでアメリカの宇宙開発の動きを知り、ロケット研究への意欲を募らせます。帰国すると1954年にロケット研究グループを立ち上げ、乗り気な企業が少ない中、かつて在籍した中島航空機の後身である富士精密が協力することになり、この荻窪で実験が始まったのです。
 碑文にある「昭和28年」は旧中島飛行機が富士精密工業と社名を変えた年、ということのようですね。
 こうして最初のロケット、鉛筆のように細くて小さいという意味で「ペンシルロケット」が完成し、1955年に初実験が行われました。最初の実験は屋内での水平

これより有料です。以下には記事全文のほか、写真、地図、関連情報リンクなどがあります。ご購入いただく場合、この記事だけで100円お支払いいただくより、マガジン「東京23区発祥の地めぐり」全体を500円でお買い上げいただく方がお得かと思います。最終的に数百本近い記事をご覧になることができます。よろしくお願いします。

ここから先は

705字 / 3画像
この記事のみ ¥ 100

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?