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【ショートショート】「変身しないで」

足元に瓦礫が落ちている。
よろめきながら僕は歩いていた。時計をしていないので今が何時なのかわからない。
そもそもここはどこだ。
映画のセットみたいに崩れた街。人もいない。ときおり不気味な風が吹き、耳をふさぎたくなる。一体ここはどこだ?

仕事でミスをした。取引先とのアポをすっかり忘れて上司に怒鳴られた。
独り立ちして間もない僕は常に自信がなく、かといって周囲に助けも求められずに悶々と過ごしていた。
この場合もどうしていいのか分からない。
打ち合わせは上司が何とかしてくれたらしいが自分はどうすればいいのだろう。
わからない。聞けない。どうしよう。もう嫌だ。逃げたい…。

そう思っていたら突然景色が変わっていたのだ。

ポケットを探ると硬いものに触れた。何か丸い形のもの。スマホではない。
取り出すと古めかしいコンパクトだった。何でこんなもの。ふと思い出す。

我が家に代々伝わる品物だった。
長男にのみ、秘密裏に引き継がれているという。父は入り婿だったので僕は祖父から受け継いだ。

「自分の身に大変なことが起きた時に開け。呪文は…」

病床の祖父がしゃがれた声で唱えた言葉がよみがえる。
あの呪文。これを開いて唱えると何が起こるっていうんだ。僕の社内の立場が改善するとでもいうのか。
数歩先にあったビルのエントランスの跡形に身を潜めた。ここなら風を避けられる。コンパクトをゆっくり開こうとしたその時。
「待ったぁっ!」
耳をつんざくような大声が響き渡った。誰もいないと思ったので心底びっくりする。コンパクトが手から落ちそうになった。
「誰?」
身を起こして声の方を見る。砂ぼこりでかすんだビルを背中に、仁王立ちの人がいる。風になびく黒髪。あれは。

「新井田さん?」
同じ部署の先輩だった。何でここに。
「変身しちゃだめ!変身しないで!」
そう叫びながら近寄ってくる。制服はタイトスカートでヒールも履いているのに器用に瓦礫を避けて。僕の前に立った。

「自分でちゃんと考えた?考えてもわかんなかったら人に聞きなさいよ。1人で頭の中でぐちゃぐちゃ考えてないで!」
荒野に二人きりだ。呆気にとられる僕を置いて新井田さんは続けた。
「考えるより動け!一度の失敗がなんだ!」拳まで振り上げている。
「人生終わりじゃないんだよ。失敗をどうするかが大切なんだから」
そして何かを僕に差し出した。これは老舗和菓子店の紙袋。
「持って行きなさい」
これを持って僕自身が謝罪に向かう。まず電話を入れないと。謝罪とともに、これからの僕をちゃんと示すのだ。
スッと心が決まった次の瞬間、僕はメトロの入り口に立っていた。いつもの街の風景。不思議なのは右手にかかった紙袋ひとつ。辺りを見回すが新井田さんの姿はない。
コンパクトを取り出して開いた。少し傾けると鏡に青空が映り込む。向きを変えると見慣れた建物。あの窓のひとつで新井田さんが働いている。
あの、ちゃきちゃきな感じで。
(本文1270文字)

★夏ピリカ応募作品です。
久々にショートショートを書きました。
ネタを練って構成して。
大変だったけど、書き終えると何だかスッキリ✨
よろしくお願いします!


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