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【ピリカ文庫】あじさい【ショートショート】

 会いたい人がいる。

部屋の真ん中で、ポストカードの入った箱をひっくり返した。

美術館や旅先で買い集めた数々。色とりどりの世界の中から一枚。今の季節に合うもの…どれがぴったりだろうか。指先が迷う。

弱い雨が降り続いている。

会いたいけれど、きっかけがつかめなかった。ぽつぽつとメールのやりとりはしている。近況も何となくは知っている。

でも会いたいと口に出すには勇気がいる。まだお互いがもじもじしているような間柄だ。

おまけに。

昨年は一度も会えなかった。気軽に出かけられる状況じゃなかった。そういう人は周りに多かったと思う。

みんなが我慢している。そう思って耐えた。細い糸をつなぎながら、長い間ずっと。


梅雨入りが近い。今年は随分と早い。桜の開花も早かったし、緑を楽しむ前に雨の季節に突入しそうだ。

放射状に広がったポストカードを眺める。決まらない。思いついて横のクローゼットを開けた。綺麗な色が飛び込んでくる。青と紫をグラデーションにしたようなデザインのスカート。彼に会うなら、これを履いていこうと決めていた。きっと雨にも映えるから。


探しあぐねていたら先を越された。

郵便受けに届いた1枚のハガキ。滑らかで、のびのびとした筆跡は懐かしい彼の文字で、「週末に2人であじさいを見に行きませんか」とある。書いてあるのはその一言だけ。潔いというか、素気ないというか。ひっくり返すと、いつか一緒に見たあじさいの景色が広がっていた。見頃を迎えていると思うと胸が弾む。これは今週末のことだろうか。消印を確認する。


さて、日にちを確かめなければならない。曖昧な誘い方をしたのは彼だ。返事はどうしよう。ハガキで出した方がいいのだろうか。

部屋に広がったポストカードを眺める。今日は木曜日だ。これから投函するにしても、今週末のことだとしたら間に合わない。メールで事務的に済ませるのは嫌だった。時計を見る。今なら電話をかけても平気だろうか。逡巡しながら画面に彼の電話番号を表示させる。

息を吸い込んだ。

(完)

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