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丸柱に具現された時代の熱情

表題の画像は、世界文化遺産・奈良・興福寺の国宝・東金堂(とうこんどう)です。726年の創建ですが、現存する建物は室町時代の1415年に再建されたものです。室町幕府三代将軍・足利義満も興福寺の再建事業を援助し、建築現場にも立ち寄っています。

そんな室町時代再建の東金堂ですが、丸柱の部材は、真っ直ぐな木ではありません。特に左から2番目の柱はえぐれているように見えます。近づいてみると、木の成長線も曲がっており、曲がって生育した木の丸太を整形加工せずに、そのまま使っているようです。寺の案内係のスタッフに、何か特別な由来があるのか尋ねてみましたが、特にないとのことでした。

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興福寺・東金堂の左から2番目の丸柱:曲がった部材が使われている

かつて日本の森林の多くは、天然の広葉樹林でした。そういった森は、木にツルが巻き付いていたり、木と木が交わり合ったりする、猥雑(わいざつ)な場所です。

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広葉樹の天然林 木々やツルが入り乱れている

今では、わずかに、鎮守の森や国立公園などにしか残っていません。この柱に使われている幹がえぐれたように曲がった木は、おそらく生育するときに、太いツルが巻き付いたり、他の木の幹が接触していたのでしょう。

室町時代は、天然の広葉樹林のように、世の中の秩序が混乱し、各地で様々な勢力が群雄割拠し、争った時代です。その一方で、能や、茶の湯や、俳句や、西陣織などの日本文化の基盤となる新しい芸術文化も生まれた、創造的な時代でした。東金堂の柱はそんな室町時代の、現実の中で入り乱れて変化を求める熱情を、今に伝えてくれているのでした。

下の画像は、江戸時代前期、1673年創建の、岡山県が誇る国宝、閑谷学校・講堂の内部です。

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閑谷学校・講堂内部の丸柱

建物を支える丸柱には、円柱状の真っ直ぐで均一な部材が使われています。これはケヤキの巨木を四分割し、それぞれを均一な円柱状に削り出し、自然界になかったものを人工的に加工して造り上げたものです。そうすることで柱は、年月を経ても曲がることも割れることもなく、340年余り経った今でも、創建当時の姿で保たれています。

平和な時代が続き世の中が安定することで、社会に利害や実利ではなく、正義の観念が求められるようになり、それが形になったのが、閑谷学校の講堂建築というわけです。閑谷学校講堂の丸柱は、理想の世界を永劫に留めようとする清らかな熱情を今に伝えてくれているのでした。


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