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読書記録:フランツ・フェルディナンド『オーストリア皇太子の日本日記』

皆様、新年いかがお過ごしでしょうか。1年の始まりに痛ましいニュースが続き、私は何となく前向きになれないままに日々が始まってしまったように感じています。今年はもうこれ以上、災害が起きませんようにと祈るばかりです。

さて、去年のうちに読み終わっていたのに感想を書くのを後回しにしていました。以前に読んだイザベラ・バードの日本の旅行記と似たようなものを読みたい、と今回はこの本を手に取りました。フランツ・フェルディナンド 著 安藤勉 訳『オーストリア皇太子の日本日記 明治二十六年の夏の記録』

イザベラ・バードが横浜から東北へと旅したのが1878年。それから15年後、1893年にオーストリアの皇太子が世界一周旅行中に日本に立ち寄ります。長崎から東へ、東京へと至る旅です。

イザベラ・バードが調査旅行であったのに対し、著者は皇太子という身分であり、本人は自由な旅行を望んでいたもののそれは許されませんでした。行く先々で歓待を受け、礼砲が鳴り響き、野次馬が殺到します。訳者の解説によれば、日本はいわゆる不平等条約を解消するために奔走している時期であり、ヨーロッパの権力者に対して最大限のオモテナシをすることで良い印象を与えたかったとのこと。著者にとってはありがた迷惑であったわけですが、しかし窮屈ながらも楽しい旅行となったようです。

また、15年という月日は、海外からもたらされたあらゆる技術によって日本を『強く』するには十分な時間だったようで、当時、東海道線など鉄道がこんなにも敷設されていたのかと驚きましたし、軍隊を皇太子に見せたがるという発想も興味深く、明治という時代の変化の目まぐるしさを改めて感じさせられました。しかしまだ自動車は一般化していない時期なので、街中を移動するのは人力車か馬車。これはイザベラ・バードの旅と変わらぬ部分でしょうか。ちなみに、著者はこの旅から約20年後にサラエボ事件で暗殺されてしまいますが、そのときに乗っていたのは自動車でした。

外国人からみた日本という視点でも、なかなかに面白い表現がありました。宮島に滞在中、厳島神社の説明にはこんな記述があります。

とくに目を引いたものは、本社前方の海中に左右二本の柱でそびえたつ絞首台のような大鳥居である。

下関ー宮島 八月六日 より

鳥居が絞首台のように見えるとは、私のなかには無い発想です。でもホラー映画にそういうシーン、ありそうですね。

また京都の西本願寺を見学した際、唐門や本堂の装飾を称賛するなかで、障壁画と襖絵についての記述にはっとさせられました。

これら傑作を目の当たりにすると、そのいずれも、ヨーロッパに伝来した作品だけではどうしても分からない日本美術の本質に迫ることができる。つまり、日本では本来、画家の面前に水平に広げられた長い巻紙に描かれる。描き終えると、その画紙が障壁に貼り付けられるのであり、そもそも古来、日本では垂直に立てられた画面に最初から描かれることはほとんどない。

京都 八月八日 より

たしかに西洋は立てられたキャンバスに色を付けていく方法なので、日本の絵画とのいちばんの違いはそれかもしれません。このことは、素材や道具を考えれば必然なのかもしれませんが、これまで言語化して意識したことがありませんでした。

また、私のなかの著者のイメージと異なる記述も度々あり、まだまだ勉強不足であると感じます。例えば宗教について、この時期の西洋人は「キリスト教を信仰させようとしてくる人々」というイメージがあるのですが、著者からはむしろ、現地の宗教を大切にすべきという考えが感じられます。東大寺を訪れた際、その境内にお堂や神社もあることに対してはこのように述べています。

ひとつの聖域でさまざまな祭式の聖職者が平和裡にそれぞれ勤めを果たしているということは、まことに特筆すべき特徴であろう。無数の神々が共存する協調のよき手本だ。

奈良 八月十一日 より

オーストリアという宗教的にも難しい地理を思い浮かべると、このような考えは不思議に感じます。神々の共存が許されないから起きた戦争がいくつあったことでしょう。一方で東京のキリスト教会を訪ねた際、日本人全体の宗教に対する信仰心の薄さから、キリスト教の布教はうまくいっていないと嘆く記述もありました。まさか日本人がイベントだけを取り出して楽しむようになるとは思わなかったことでしょうね。

最後に引用したいのは、日本の近代化についての考察です。

すでに日本がアジア的神権政治と専制政治を脱却して文明国の一員であるというのは、否定しがたい事実であろう。(中略)日本が間接的にでもヨーロッパ諸国に影響をおよぼしうる可能性はじゅうぶんに考えられることだ。

宮ノ下ー東京ー横浜 八月十七日

彼の暗殺が引き金となり、ヨーロッパから遠く離れた日本さえも戦争の時代へ突入する未来を知っている立場で読むと、何とも言えない気持ちになります。彼の旅行記を通して感じるのは、日本はこの時代にはもはや、イザベラ・バードの旅した『辺境の不思議な国』ではなくなっているということです。著者は事前に日本についての知識を持っていて、高官や天皇陛下への敬意も持ち合わせている。その上で、どの程度の「国力」を持っているのかを確かめに来たという側面があり、この報告は少なからずヨーロッパの人々に影響を与えたかもしれません。

軽い気持ちで読み始めた本でしたが、興味深い記述に溢れ、改めて明治という時代のダイナミズムに心惹かれました。これまでは、江戸時代から明治へと人々の暮らしがどう変わっていったのか?ということに関心を持っていたのですが、もっと細かいところに焦点を当てたような本にも手を出していきたいと思います。

今回も読んでいただきありがとうございました!!

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