2024年4月20日(土)保阪正康著書の『近代日本の地下水脈Ⅰ』がオモロすぎ

今週は小2の娘の胃腸の風邪をもらい苦しんだ週だった。昨晩はようやくビールもおいしく感じられて回復の兆し。一晩寝ての朝の読書はつい最近買っって一気に読み進めている保阪正康著書の『近代日本の地下水脈Ⅰ―哲学なき軍事国家の悲劇』(文春新書)。明治以降の国家体制が軍の主導で進められたことが見事に解説されている。明治維新後に〈権力中枢に居座った薩摩藩や長州藩の人物たちには「日本をこのような国家にしよう」という確固たる国家ビジョンがあったわけではない〉ことよって〈暴力によって成立した体制は、暴力によってしか守ることができない〉ことからおのずと軍事先行で国のシステムを作っていくことになったという。また西南戦争や自由民権運動も起こって反政府勢力を抑え込むシステムの整備が急務になる。なし崩し的に軍事優先体制が進んだ結果「欧米列強にならう帝国主義国家」の国家像を見よう見まねで取り込み〈あたかも軍が親のような形で政治が誕生したわけであり、それが日本の帝国主義の特徴ともなった〉ともいう。それによってシビリアン・コントロールの考えもないまま突き進んで日清戦争では当時の国家予算の4倍にもあたる膨大な賠償金を得たものだからそれを元手に明治30年代から富国強兵政策を進めた。著者は〈日本軍は賠償金を獲得する「ビジネス」として戦争をおこなっていたのであり、軍とは「会社」であったのだ、ということに思い至った〉と言っている。つまり当時の軍事指導者・エリートは「負けたら巨額の賠償金を取られる」という「失点」をしないことが最も優先すべきもので兵士の命は「ポイント」を得るための手段であることから戦場で使い捨てしても……といえるほど感覚が麻痺していたとも。本当はこの本の中で一番興味深かった「日本が植民地を免れた理由」の3つの点であってこれを書きたかったがここまでで何ともバテッてしまった。とはいえ列強に「日本を武力だけで植民地化することは不可能である」という認識を抱かせていたというのはすごいことですね。結局スポーツも軍主導を逃れられず富国強兵のもと「遊び」の部分はそぎ落とされたのですね。学校教育でずっと「体操科」だったのがその典型ですね。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?