映画と向き合えないのは疲れているからではないか?
すごく印象に残ったツイートがあったので引用で紹介させていただきます。料理動画をつくっているながたさんのツイートです。
以前このような画像を作ったことがあります
これはメンタルダウンから回復してきた当事者としての感覚なのですが、疲れていると趣味の選択肢が減ります。
画像にあるように、「マンガは読めるけど小説はちょっと読めないかな」という日ありませんか?僕はあります。
昔は小説を読んでいたのですが、今ではかなりしんどくて。特に仕事の後なんかは無理ですね。文字を読んで情景を思い浮かべるのって大変。漫画やアニメはその点負担が少ないです。
ベッドに寝転がって、YouTubeのショート動画を眺めたり、X(旧Twitter)を眺めたりできるのは、これらがめちゃくちゃ低コストだからと思うのです。
疲れていてもできちゃう。
ただ、これらの趣味に慣れすぎてしまうと、最初のツイートにあったように
「テンポの早いショート動画をスナック菓子のように」
「小さいサイズじゃないと口に入らない」
ということが起こるんじゃないか。
そこで、自分がやっている3つのアプローチを書いてみます。
①低コストの趣味を集めまくる
まずは低コストの趣味を集めることから。
Twitter、YouTube、漫画やアニメ。これらは立派なコーピング(意図的なストレス対処法)なんですよね。仕事のことやネガティブなことを考えずに済む時間と言うのは大事なので、どんどんやっちゃっていいのでは。
ただし、Twitterやショート動画を延々と眺めるのは生産性がない。
できたらいろんな作品に触れて、心にいろんな刺激を与えたほうがいいと思います。手札を増やして、日常に潤いを。
②高コストの趣味に挑戦してみる
言葉にするのが難しいのですが、元気なときに映画を観に行ったり、余裕があるときに小説を読んだりしています。
疲れていないときに、あえてちょっと疲れる趣味に向かう。
こういう挑戦に意味があると思っている。なんだろう、より豊かな人生を送るためには、そうする必要がある気がするのです。
今年は映画『怪物』を観たり、村上春樹の小説『街とその不確かな壁』を読んだりしました。
スナック菓子やジャンクフードのようなコンテンツに慣れてしまわないように、ときには出汁のきいた繊細な料理を味わうことを忘れない。そんな自分にしたいのです。
③コンテンツを作る側に回る
noteを書いたり、復職ラジオというスペースを開催したり、何かしら価値を生み出す側に回ろうとしています。
ショート動画しか見られない日に、「あぁ、自分は受け手に回っているなぁ」とよく思うのです。
だから、ささやかな抵抗として、コンテンツを作っています。しょぼくてもいいので創作する。価値を作る。うまくいかない日もあるんですけど、作り手に回るのは面白いです。
おわりに
現代人は疲れている。そこに、ちょうどよい具合にショート動画やSNSが入り込んでくる。それはそれで心地よいので、コーピングとして機能している。でも、なんだろう、それだけに染まるのはマズい気がする。
そんな危機感を持っていたので、最初のツイートは自分に刺さりました。
多くの人に刺さったので、共感を得ているのかなと思っています。
わかる!この手の問題をもっと知りたい!と思った方は『スマホ時代の哲学』という書籍がおすすめです。
感想noteはこちら
おわり。素敵な三連休をお過ごしください。
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