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『スマホ時代の哲学』感想・レビュー2

前回は読んでいない人向けに『スマホ時代の哲学』を紹介しました。今回はネタバレ前提で考えたことをまとめておきます。長いです。

前回の記事はこちら。ネタバレ嫌な方はここで引き返してね。

すごくざっくり要約すると

・現代では「注意の奪い合い」が行われており、僕たちも参加している。
・マルチタスクで情報を処理する中で、注意を分散させてしまっている。
・失われてしまった「孤独」を取り戻すことが必要。
・スイカを育てるような「趣味」を持つことが生きるヒントになる。
・ネガティブケイパビリティを知っておくと役に立つ。

こんな感じ。詳しくは本書を読んでほしい!

著者の谷川さんの主張が込められた文章はこちら。

私たちの共有すべきスローガンは、「注意の分散に抵抗せよ、孤独を持て」から更新する必要があるようです。「注意の分散に抵抗せよ、趣味を持て」。悪くないフレーズですね。
『スマホ時代の哲学』p175より

今回自分は3つのキーワードについて扱う。「アテンションエコノミー」「趣味」「ネガティブケイパビリティ」の3つである。

①アテンションエコノミー

アテンションエコノミーとは、人々の関心や注目の度合いが経済的価値を持ち、まるで貨幣のように交換材として機能する状況や概念を指す。

あらゆる人間やイベント、商品などがアテンション(=注意)を奪うことに最適化していて、それらが私たちの注目を奪い合うだけでなく、私たち自身もSNSの発信を通じて、そうした注意を奪い合う競争に参加しています。
『スマホ時代の哲学』p116より

YouTubeにおすすめされたショート動画を延々と観てしまったり、Twitterでダラダラとタイムラインを眺めてしまうのは、自分だけが悪いわけではない。ユーザーの注意を引く仕組みが、今はあらゆるコンテンツに備わっている。

無料のSNS、無料のゲーム、無料のマンガ。短い時間で楽しんでいるうちはいい。しかし、膨大な時間をそれに費やしてしまうのなら問題だ。コンテンツは実は無料ではなく、僕たちのアテンション(注意力)を差し出してしまっている。もっと言えば人生という時間を差し出してしまっていることになる。

この辺りは『限りある時間の使い方』の著者も言及している。

たとえばSNSなどの「スワイプで更新」するデザインは、「やってみるまで新しいコンテンツが現れるかどうかわからない」という不確実性を利用して、ヒトをハマらせる。次は何かおもしろいコンテンツが出てくるかもしれないと思うと、スロットマシンのように何度も何度もやってみたくなるわけだ。
『限りある時間の使い方』p118より

『スマホ時代の哲学』で印象に残ったのは、大切な人の葬儀の間に「スマホを触りたくなる」人についての文章だった。葬儀の時間は、亡くなった人との思い出をふり返ったり、悲しい気持ちに浸ったりするのが本来の過ごし方だ。

しかし、そんなときでも僕らはスマホを使い、誰かと接続する。悲しみをひとりで受け止めず、誰かに報告する。気づけばそういう行動を取るくらい、スマホが生活に入ってきた時代。アテンションエコノミーの時代。僕たちはそんな時代に生きている。

僕たちはどうしたらいいのだろうか。

②趣味

『スマホ脳』の著者はSNSに時間を使えば使うほど幸福感は激減していると主張するし、『今すぐソーシャルメディアのアカウントを削除すべき10の理由』なんて書籍もある。SNSをやめてしまえばいいのだろうかと悩んだ時期が何度もあった。

確かにFacebookを見てしまうと幸せそうな他人とうまくいかない自分を比較してしまうので見るのをやめたけど、Twitterはやめられない。僕にとっては生活の一部になってしまっている。

著者の谷川さんはこのように書いている

ネットに現実のすべてがあるわけではないにもかかわらず、それ抜きではいられないことにこそ「スマホ時代の哲学」の難しさがあります。今日の私たちが他者を求め、他者とつながろうとするとき最初にとる手段は、ネットへの接続です。
『スマホ時代の哲学』p157より

「スマホやSNSは避けられないという前提に立って考えようね」というスタンスには非常に共感を覚えた。少し安堵した。

その上で、谷川さんは「趣味を持つこと」がヒントになると書いている。

『エヴァンゲリオン』に出てくる加持リョウジは、命を狙われているにも関わらず、のんきにスイカを育てている。誰かに見せびらかすためではない。あくまで自分自身の楽しみのためにスイカを育てている。こういう「趣味」が現代には必要なのだ。

趣味に打ち込むことは、孤独になることであり、自分、もしくは対象と対話をする時間を持つことになる。ここでは「寂しさ」に駆られて誰かと接続したり、反応的に流れてくる情報を摂取したりしていない。

詳しくは本書に書かれているので読んでほしい。僕はこの趣味についての記述に感銘を受けた。自分も「スイカを育てるような何か」をしたいと思った。植物を育てるのは苦手なので、代わりに音楽に打ち込むことにした。

ギターをかじったことがあるのだが、コード理論などはわかっていない。また、TAB譜があれば曲が弾けるが、楽譜を読むことはできない。King Gnu や藤井風の曲がすごいのはなんとなくわかるけど、説明できない。現状はこんな感じだ。

だから、音楽理論を基礎から勉強して、コードの繋がりを少しずつ理解して、最終的には作曲ができるようになりたい。そういう道筋を描いて「趣味」を始めた。今のところ楽しい。

「趣味」をやっているうちはTwitterを開かない。しかも、現代はYouTubeやブログを正しく使えば独学できる環境は整っている。これまでと時間の使い方が変わった。注意が分散するのではなく、一か所に集中できている感覚はあるなと思った。

SNSをやめることはできないが、SNSになんとなく接続している時間は少しずつ減らしていきたい。そして「趣味」の時間の割合を少しずつ増やしたい。その先にどんな自分がいるのか楽しみだし、豊かな時間の使い方ができるようになっていると思う。

③ネガティヴ・ケイパビリティ

ネガティヴ・ケイパビリティは簡単に言えば、「答えが出ない事態に耐える力」。以前こんな画像を作った。

著者の谷川さんは、「消化しきれなさ」「難しさ」「モヤモヤ」を腹の中に抱えておく能力のことだと説明している。

わかりやすいもの、スッキリするものに囲まれた現代の中で、「趣味」に取り組むことは、孤独を可能にする。自分の外側に謎があり、その謎と対峙する中で得られるものがある。インスタントなものではなく、しばらく時間がかかるもの。これが人生を豊かにしてくれるのではないか。

僕なりにかみ砕くとこんな感じの説明になる。

「答えが出ない事態に耐える力」は、メンタルダウンからの脱出において欠かせない力だと思っていた。しかし、趣味を通した自己対話を可能にするためにも、ネガティヴ・ケイパビリティは必要なんだということだった。

また、谷川さんは以下のようにも説明している。

つまり、ネガティヴ・ケイパビリティは、自分の中で安易に答えを見つけようとせず、把握しきれない謎をそのまま抱えておくことで、そこから新しい何かをどこまでも汲み取ろうとする姿勢のことです。
『スマホ時代の哲学』p198より

「趣味」はスイカを育てること、音楽を勉強すること以外でもいいと思う。例えば読書。例えば映画。これも「趣味」にできる。

元気が出る自己啓発本、スカッとする『半沢直樹』確かにそれもいい。

しかし、もっと時間をかけて咀嚼するような作品に触れ、それを理解しようと試みるのも「趣味」と言えるのではないだろうか。

例えば、『スマホ時代の哲学』でたびたび引用されているので映画『ドライブ・マイ・カー』を観てみた。2時間58分もあった。中盤から終盤にかけては面白かったが、序盤は何を見せられているのか正直謎だった。

でも、「今こそネガティブケイパビリティや!」と思い見続けることに。すると、だんだんと作品の世界に入ることができ、登場人物たちの横にいるような気持ちになった。こういう経験もいいなと思った。

「モヤモヤ」を抱える経験を積極的にしていくのは、現代社会を生きる上で大事なのかもしれない。

終わりに

・アテンションエコノミー
・趣味
・ネガティヴ・ケイパビリティ

この3つのキーワードについて書きながら、『スマホ時代の哲学』の感想を書いてみたが、まだまだ書き足りないことがある。

僕が書いていることは本書の10%くらいでしかないと思うので、ぜひご自身で手に取ってみてほしい。

僕のような「Twitterに捧げる時間を減らしたいけど、なんだかんだTwitterを見てしまう人」がいるなら、本書を読んで、感想を教えてほしいなと思う。

おわり。

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