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不安をゼロにはできないけど、減らすことはできる。

久しぶりにnoteを書きます。ちょっと長めです。

不安を減らすためのハウツーというより、心構えの話が中心になります。

休養中も、社会復帰してからも自分は不安に悩まされました。

そのたびに、あぁでもない、こうでもないと試行錯誤をしました。

現段階の結論としては、

「不安をゼロにするのは諦めよう。その代わり、工夫次第でちょっと減らすことができる」

に落ち着いています。

不安は脳の警報装置

そもそも不安の役割って何なんだろうと考えると、命を守るための感情です。

「あの茂みの奥にライオンがいるかもしれない」「この距離のジャンプは失敗するかもしれない」そういう不安があるから、生物は生き延びられる。

未来をシミュレーションして、最悪の結果を回避する。つまり、無駄に死なないための感情。

不安は脳の警報装置を担当しています。身の回りに危険がないか教えてくれる。生き延びるのに必要な感情なんです。

ただし、メンタルダウンした僕の場合、その警報装置が鳴りすぎなんです!

そんなに不安にならなくてもいいのにな~ということでもすぐにジリリリと鳴るのです。「危険に備えよ」という感じで。

復職して2年以上経ちますが、朝起きて不安を感じ、人前に立つたびに不安を感じ、あ~警報装置がまた鳴っているな~という日々です。

不安の対処法をいろいろ試してみた

昨日ツイートしたのですが、例えば「日曜日の夕方に不安を感じたら、有酸素運動をする」と決めています。

これは結構有効で、ジョギングによる心拍の上昇と爽快感で不安を小さくすることができます。

また、これも有効です。朝不安に思うことを全部紙に書き出して、それから出勤する。1日とりあえず働いたら、朝のメモを見返す。

すると、不安だった9割のことはなんとかなっている。「ほら、大丈夫だったじゃん」と心配する脳に教えるイメージでやっています。

他にも「深呼吸をする」「ストレッチをする」「コーヒーを味わってみる」などさまざまなことを駆使して不安に対処しております。

ただ、不安をゼロにするのは厳しい。

生きるのに必要な感情だし、僕は不安になりやすい体質なので、ゼロにしようと頑張ってもかえって裏目に出ることが多い。

だからここは諦めることにしました。

でも不安をちょっと減らすことはできます。この考え方を採用すると、少し生きやすくなりました。

「観察」というアプローチ

「不安になったらジョギングする」は積極的な解決策です。でも、出勤していてジョギングなんてできないよという場合がやってきます。そんなときにやっているのが「観察」です。

僕は大きな不安がやってきたとき、頭の中でカラスをイメージします。不安が大きい場合には、カラスが8羽くらい。中くらいのときには5羽くらい。小さいときは2羽くらいです。

うわぁ、不安だなぁと思ったら、頭の中でカラスを数える。要するに数値化するわけです。だいたい自分の場合は5羽くらいが多いです。めっちゃ嫌やと思ったときは8羽くらい。

でも、不安って時間が経つと増えたり減ったりしますよね。料理を作っている間は不安を忘れていたり、一仕事終えたら不安が減っていたり、変動するものです。

だから1時間経った後にもう一度頭の中でカラスを数えるようにしています。すると、「さっきは5羽いたのに、今は3羽くらいかな」となることが多い。

それを確認するだけで、ちょっとだけ楽になれるのです。

このような「不安の観察」は消極的なアプローチです。時間が経って減るのを期待するような感じ。

でも、感情って浮かんでは消えていくものなので、けっこう有効なんじゃないかなと思っています。

自分は究極的にはコントロールできない

ここからは感覚的な話なのですが、自分って究極的にはコントロールできないのでは?と最近悟りました。

認知行動療法には、

「認知・行動・気分・身体反応のうち、気分と身体反応は直接コントロールできないよ。でも、認知と行動はある程度自分でコントロールできるよ。だから認知と行動を変えていこうね」

というスタンスがあります。

ちなみに、認知とはざっくり言うと考え方です。

例えば、頭痛という身体症状はバファリンを飲めば消えます。でも、それはおそらく身体からの何かしらの訴えです。

ストレスを感じているよ~とか、ちょっとしんどいよ~とかですね。

不安もそうです。心と体に何らかのストレスがかかっています。しんどいよ~、警戒しろ~というサイン。

それで僕たちは「あぁ、最近ちょっと頑張りすぎていたな、ペースを落とそう」とか「不安が強いから少し運動してみるか」とかやるわけです。

頭痛や不安を直接「消す」というアプローチは諦めて、考え方や行動をちょっと変えてみる。その効果を検証してみる。

僕はこれが「花を育てる」に似ているなと思います。

花が咲くか、実がなるかって究極的にはコントロールできない。

でも、水をやったり、気にかけたり、肥料の配合を変えることはできる。

そうやって、ああでもない、こうでもないと花と向き合って、成長を祈る。

そう!自分がやっている行為は、「祈る」に近いんじゃないかと思うことがあります。

花を育てるように、自分自身をケアしていく。

人事を尽くして天命を待つ。できることをやって、あとは様子を見る。祈る。そんな姿勢で、不安と、自分と付き合っている。今はそんな感じです。

おわりに

不安と付き合うにはどうしたらいいのか。

もう一度結論を書くと

「不安をゼロにするのは諦めよう。その代わり、工夫次第でちょっと減らすことができる」

です。不安は生きるのに必要な感情です。でもそれがたくさんあると心がしんどくなります。

だから、考え方や行動を変えてみる。その結果はコントロールできないこともあるけど、できることをやっていく。

そうやって、ちょっとずつ不安を減らすのがうまくなってきました。現段階の答えはこんな感じです。

みなさんはいかがですか。この文章を読んで何を感じたでしょうか。

気づいたら2000字を超えてしまいました。僕の学びがちょっとでも参考になれば幸いです。

おわり。


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