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家事代行やって良かった、やめて良かった【元外交官のグローバルキャリア】

家事代行の大ファンである。特に掃除については定期的にお願いしたい。いや、掃除だけはお願いしたい。そう気持ちが固まったのは二十年前だ。

そのまた昔は、小学生の従姉妹が何度か帰宅途中に掃除に来てくれた。高校生の従兄弟に掃除バイトを持ちかけたところ、叔母が置き屋の如く小学生の従姉妹を差し出したのだ。「学校で掃除をきちんと教わっているから」、と小銭とおやつでの児童労働、もとい、家事実習はしばらく続いた。優秀な小学生は今は優秀な課長である。

ワシントンに留学した時、家が見つかるまでの間米政府職員でシングルマザーの知人宅にお世話になった。その人は隔週で中南米のヘルパーさんに掃除を依頼していた。手がかかる小学生をワンオペでフルタイムで働いていれば、当然だろうなと思っていた。
しかし、大学院の同級生が軽やかに掃除代行が来ていることを会話に織り交ぜた時は驚いた。一人暮らしの学生の分際で収入はせいぜいバイト代なのにいいのか?と会話の途中で思考停止していた。その発言主は20代半ばの金融機関出身男性。特に華美でも、贅沢でも甘やかされ育った風でもない。でも、投資銀行やヘッジファンド出身者がいた仲間内でも掃除代行を雇っている人は他にはいなかった。

彼のおかげで、学生の身分でもヘルパーを雇うということに大きな発想の転換を得た。労働力としての家事代行を依頼するのに、フルタイムで勤務している、シングルマザーであるなどの要件や「分際」なんて関係ない。

外務省に入りホノルルに赴任してから、本格的に掃除代行を探し始めた。家主に紹介してもらった掃除クルーは目立つところをピカピカに磨き上げて3労働時間で帰っていく。ホノルルの地元のキャシーとは、本人と直接やりとりをしていた。キャシーについてまわってランプシェードの埃を拭いとり、アンモニアでバスルームのガラスを磨いたりするのを見て学んだ。

それからロサンゼルス、シカゴと引っ越すたびに掃除代行会社を探して、試しては変えてを繰り返した。シカゴでは、小さな会社のバイリンガルの担当とメールと電話でやりとりをしていた。アイリーンがスペイン語で、英語を話さないメキシコ人のスタッフを派遣してくれた。リディアは大きな掃除機や掃除道具を一式持ち込んで、管理人に鍵を開けてもらって掃除をして帰っていく。長期間お願いしていると、日によって多少のムラはあり、今日は余裕があったのか心がこもっているな、と感じる日や慌てて次へ行ったな、という日もあったがいずれにせよ清々しい気分で帰宅し、人を迎えることができた。

東京に戻り、アプリでのマッチングサービスを3回ほど試した後に、最大手の家事代行サービス会社と定期契約を結んだ。戦略特区の実務研修生による隔週で掃除サービスだ。本部との営業のメールのやり取りに時間がかかったおかげか、割増料金なしでフィリピンから来た社員の対応となった。日本語が使えなくても良いです、と言ったためかまだ日本語検定4級に受かっていない人が通常料金で来てくれていたのかもしれない。研修を終えた、掃除に特化した実務研修生が、家にある道具を使って掃除してくれる。
最初のサービスでその掃除ぶりからしてありがたいと感じ、慣れてくると更にどんどん手早く綺麗に仕上げてくれた。

途中、湯呑み茶碗の破損にも迅速に補償対応してもらった。シルクカーペットを2枚丸ごと水洗いされた時も修繕費用をすぐに支払ってくれた。補償対応は、担当者が違うのかと思うくらい素早いが、日程変更のやり取りは手間がかかりすぎてなるべく変更はしなかった。定期スタッフの休暇時の代理日程調整さえも毎回なかなか進まない。

円安が進むと同じくらいのタイミングで、スタッフの学習能力曲線と士気が著しく下がっていった。日本語の上達は見られなかったが、英語でもコミュニケーションの低下が目立った。為替レートによる実質的給与カットと実務研修期間終了後の滞在許可の不安もあるだろう。スタッフへの継続指導と研修機会や士気向上について本部に連絡を続けたが改善は見られなかった。

担当が来日したての新規スタッフに変更された。新米となっても今までの定期サービスと同料金で、我が家へのサービス提供時にOJTが行われた。研修担当の熟練日本人トレーナーとフィリピン人スタッフは言葉が通じないし、二人の間で事前打ち合わせもない。本部に前任のフィリピン人スタッフに現地で引き継ぎを依頼したが、無反応だった。
本部スタッフは交代制なのか、リモートのバーチャル本部なのか、やりとりは隔靴掻痒だった。スタッフの賃金と私が会社に支払っている差額に見合うサービスが、本部より提供されていないと感じた。4年間お世話になったが、契約を打ち切った。

自由な時間を謳歌している今、自ら掃除をすることに改めて目を向けてみた。ここのところ、ちょっとの汚れはヘルパーが来るまで放置するようになっていた。気がついたときの掃除、の習慣を復活させた。掃除用具は使う部屋毎にありすぐ手に取れるようになっている。

家事代行をやめたこの機会に、掃除ロボットのルンバにブラーバ、ダイソンやマキタの掃除機のメンテナンスを行った。ヘルパーにメンテの指導をしようと思いつつも怠っていた。士気が低下したベテランや新人に通常業務以外を指導、育成する気が失せていた。指示・指導せずに自分でやってしまうこの喜びは休暇中の部下の代わりに仕事を片付ける中間管理職時代を彷彿させる。
分解して機器を開けて、フィルターを洗い、バッテリーや消耗したパーツを取り寄せる。荒れ果てた掃除クロセットも整理してネジが外れたままだったダイソンの充電台を打ち付ける。自分で掃除機をかけて拭き掃除をし、お風呂場のタイルをこする。ああ、有吉玉青が言っていたのはこのことか。

母はいっさい家事をしなかった。子供のころはそんな母に批判的だったが、今はわかる。なによりも小説を書きたかったのだろう、そして、だから生きていけたのだろう。母は元来身体が弱く、小学校にはほとんど通えていない。20歳までは生きられないと言われていたという。私がものごころついてからも、一作書き終えては入院していた。

書いているときは母を意識しないと言ったが、ではどんなときに思い出すのか。自分でも不思議だが、母の齢を越えたあたりから、お風呂の掃除をしているときまって思い出すようになった。

母が家事をしないことを批判した日々はとうに過ぎ、また記念館ができると、批判もなにも、母は自分の母を超えて遠い存在になった感もある。それでも浴槽や床のタイルをこすりながら、ああ、面倒くさい、母はこんなことをしたことはなかったのだろうなあとぼやいている。

けれどもその夜、お風呂に入ると、なんて気持ちがいいのだろう。掃除をして、ほんとうによかったと思う。これは自分で掃除をしたからこそ味わえる快感にほかならない。母はなんといっても短い生涯であったし、つらいこともあったのは想像に難くないが、自分のしたい仕事を存分にして、大きな幸せを味わったに違いない。でもこんな、小さな、それでも身も心もすみずみまで満たされる幸せは知らなかった、それは可哀想(かわいそう)なことだなと思う。

「親子の現在」 有吉玉青

日本経済新聞 2023年8月27日

今私は、「小さな、それでも身も心もすみずみまで満たされる幸せ」を味わっている。

それを幸せと感じなくなったらまた代行サービスを探せば良い。次は別の会社で、掃除用具を自前で持ち込むクリーニングサービスでも良いのかもしれない。


スキするとうちの可愛い犬が出てきます。よろしくお願いします🐶。

こちらはパキスタンでのヘルパー陣との奮闘記(長文)。



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