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改正健康増進法の「論理的な齟齬」について

 ここに、改正健康増進法に対する違憲訴訟で、東京地裁に提出した陳述書の一部を、若干の改訂を施した上で、公開する。
 その目的は、今後のあり得べき、この法律に対する法廷訴訟の言説的なリソースとして活用して頂きたいからである。
 そのためにも、この文書が活用するに値する内容になっていることを切望しているし、また、この違憲訴訟の趣旨については、次の文書をご覧頂きたい。

 以下の文書が前提している全体的な法的戦略(例えば「なぜLRAか?」など)については、上記の文書の末尾にリンクしている訴状「健康増進法差し止め請求事件」をご参照頂ければ幸いである。

 ここで、一言、注記しておきたい。
 以下の文書は、私が起こした違憲訴訟に関連していることは当然であるが、そのターゲットは「あくまでも改正健康増進法が内部で孕む論理的な齟齬」にあり、それを越えた主張を展開しているわけではない。
 例えば、喫煙に関する文化論や文明論などは全く眼中にない。ましてや、受動喫煙の健康被害に対して、ある種の医学的な陰謀論を唱える方々と肩を組む気はない。
 私は、ごく凡庸な常識人に過ぎない。

はじめに 〜敗訴と判決〜

 2022年8月29日、私が起こした違憲訴訟は敗訴した。その判決文を読んで、私は驚き、そして激怒した。
 判決文に言う。

原告の主張する規制手法により、受動喫煙の防止という目的が達成され得るか否か、本件全証拠によってもなお判然としない。少なくとも、原告の主張する喫煙専用店舗という発想は、多数の者の利用が想定される第二種施設において、喫煙可能な空間とそれ以外の空間を分けることなく、その全体を喫煙可能とする施設の設置を求めるものであり、当該施設において受動喫煙が生じることは避けがたいのであるから、受動喫煙の防止を図るという平成30年法律第78号の目的に沿った規制内容とはおよそ認め難い。(p.14、強調は引用者)

令和4年8月29日判決言渡

 上記の「なお判然としない」という文言は、他にも重要なポイントで出現するのであるが、これまでに積み重ねた主張で「判然としない」のであれば、他にどのようなロジックを構築すればよいのか、こちらの方がよほど判然としない、私は内心で、そう毒づいた。
 しかし、より問題であるのは、もう一つの点である。

 上記判決文では、私が設置を主張している喫煙専用店舗では「受動喫煙が生じることは避けがたい」と明記されているが、私が主張しているのは、まさにその反対で、喫煙専用店舗であるからこそ受動喫煙は生じる余地がないという論点なのだ。
 東京地裁は、なぜ、それを理解しないのだろうか?

 この論点を、あらためて、以下の陳述書によって「論証」する。
 それが果たして「論証」の名に値するかどうかは、これを読む「あなた」に判定して頂くことになるだろう。

 ところで、上記の判決文に続いて、東京地裁は次のように言う。

なお、そもそも、本件規定は、多数の者の利用する第二種施設における喫煙を禁止することを立法趣旨とするものであって、店舗内における喫煙専門室等の設置は、我が国における喫煙率が低いとはいえないことや、喫煙者が従前第二種施設において自由に喫煙ができていたこと等の事情に鑑み、これを例外的に許容した規定と位置づけられるものである。(p.14-15、強調は引用者)

令和4年8月29日判決言渡

 なるほど、改正健康増進法とは、受動喫煙の防止を趣旨とした法律であるから「喫煙を禁止することを立法趣旨とする」との表現には同意しても構わない。
 しかし続けて、喫煙に対しては「これを例外的に許容した規定」との表現には、そもそも喫煙者への「喫煙の合法性に基づいた平等な配慮」など微塵も感じられないと言わざるを得ない。
 この判決は、とうてい納得できるものではないのだ。結局、東京高裁への控訴を断念した今もまだ、私は、歯噛みするような思いでいる。

 どのような経緯で控訴を断念したのか、そして、どのような法的戦略で今回の訴訟を構築しようとしたのかについては、次の文書も参照して頂ければ幸いである。

 では、始めよう。
 これが東京地裁に提出した私の陳述書の一部だ。被告とは国、原告とは私のことである。

第一節 被告(日本国)の予断

 被告が昨年末、当法廷(東京地裁)に提出した準備書面(1)を一読したとき、私は、よくわかりませんでした。再読してもなお、その意図が、よくわかりませんでした。もちろん、私が裁判の初心者であり、法律の素人であるからだと思います。
 しかしながら、まず第一に、日本語として首尾一貫して理解するのが困難な箇所が散見されること、第二に、訴状で提起した基本的な論点が必ずしも充分に理解されているとは思えないこと、この二点を強烈に印象づけられました。

 例えば、第一の点に関しては、6pの中段で「喫煙が合法的な嗜好であることは認め」ると記載しておきながら、その数行下では、たばこ事業法が「喫煙を合法化する法律ではない」と記載されています。ひょっとしたら、ここには法律の素人には窺い知れない深遠な法理があるのかと思いきや、8pの下段では「喫煙が合法であることは認める」と記載されています。
 一体、何が喫煙を合法としているのでしょうか。

 第二の点に関しては、何よりもまず、全体の半分以上を占める関係法令から始まって受動喫煙の検討報告書の多量で長大な引用を眺めながら、私は目眩を覚えました。
 一体、何の話をしているのでしょうか。本訴訟のような、いわば「奇矯な訴訟」に対しては、この種のフォーマットでも用意されているのでしょうか。無知蒙昧な輩に対しては、まずは基本的なところから諄々と説き聞かせなければならない、と。

 しかしながら、訴状の本論冒頭でも明記してあるように「国民の健康増進、そして受動喫煙の防止という改正健康増進法の目的に関しては、何人も異論を挟むことはできない。」(6p)のです。
 本訴訟は、あくまでも受動喫煙の防止を公共の福祉とすることを前提として立論されています。

 それだけではありません。
 訴状には「喫煙の自由」を明示的に認めた判例は存在しない(同9p)と明記してあるにもかかわらず、被告は、原告の主張が、この自由を前提としているから成立しないと反論しています。
 そのような主張を、一体、誰がしているのでしょうか。

 本訴訟では、被告も原告も共に参照する喫煙禁止事件(最大判昭和45)において「喫煙の自由」が憲法13条によって保証されているかどうかを明確に判示することなく、在監者の喫煙規制の違憲性が、その規制内容に踏み込んで検討されたのと同様に、今度は、在監者ではなく市民に対して改正健康増進法が強制する喫煙規制の違憲性を、その規制内容に踏み込んで問題にしているのです。

第二節 LRAの意義と決定的な含意関係

 本訴訟では、違憲性検出の基準として、立法目的が憲法に抵触しないことはもちろん、その目的を達成するための手段としての規制内容が、どれほど目的適合的か、更に、その規制が必要最小限であり、より制限的でない他の選びうる手段(LRA)がないか、以上の諸点が法治国家の原理として審査されるべきだと主張してきました。
 時代錯誤的に「(無際限の)喫煙の自由を認めよ」との暴論で訴訟を起こしているのではありません。あくまでも受動喫煙の防止という公共の福祉を前提とした上で、改正健康増進法の規制内容が憲法的な視点から見て妥当なものであるのか否か、この点に関して強い疑義を提出しているのです。

 その際の焦点の一つが、その規制が必要最小限のものであるか、より制限的でない他の選びうる手段(LRA)がないかという点にあります。
 だからこそ、これまで一貫して「単純で明白なLRA」の存在を「喫煙専門店」として極めて具体的に指摘してきたのであり、単に些末かつ散発的なLRAの候補をあげつらい、法律制定過程における議論の不在を、ただの思いつきで問題視しているのではありません(*)。
 ここには、本訴訟において、決定的に重要な論理的含意があるからです。

(*)以下の論述では、喫煙専門「店」と喫煙専用「室」の二つを、受動喫煙のリスクという観点から比較して論じている。要点は、喫煙専門「店」には喫煙者しか存在しないために、そもそも受動喫煙リスクという問題が存在しないが、他方で、喫煙専門「室」には、その定義上、それを含む店舗内には非喫煙者(従業員であろうが客であろうが)が存在するために不可避的に受動喫煙リスクが存在するという点にある。私は、以上の対比のゆえに、この喫煙専門「店」をLRAとして提案しているのである。

 仮に、何らかの理由で、このLRA(喫煙専門店)については受動喫煙のリスクが高いと判定されたとしましょう。
 しかし、非喫煙者から物理的に離れた場所にある別店舗としての喫煙専門店の「望まない受動喫煙」リスクと、非喫煙者が(その定義上)同居する同一店舗内にある喫煙専用室の「望まない受動喫煙」リスクは、果たして、どちらが高いでしょうか。

 答えは明白でしょう。
 ここで必要なことは専門的でテクニカルな議論ではありません。誰もが備えている普通の常識があれば事足ります。

 喫煙専門店を受動喫煙リスクという点から否定するのであれば、それ以上に、定義上、非喫煙者が同居する同一店舗内にある喫煙専用室は否定されなければならないことは誰の目にも明らかでしょう(*)。

(*)ここで即座に、喫煙専門店での従業員の受動喫煙リスクが気になるであろうが、この問題については次節で「雇用条件の対称性・平等性」という観点から論じる。

 つまり、もし仮に、その理由は何であれ、喫煙専門店を「望まない受動喫煙」リスクという観点から阻却するのであれば、喫煙専用室をも同様に、あるいはそれ以上に阻却すべきことは必然なのです。
 この含意関係は自明であるだけでなく、本訴訟において決定的に重要なものだと思います。

 従って、被告は、改正健康増進法において、喫煙者に対して必要最小限の規制内容を適切に制定しなかっただけではありません。それ以上に、この法律の眼目とも言うべき「望まない受動喫煙」のリスク回避という観点から見たとき、非喫煙者に対しても明らかに不適切な規制内容を制定したと結論せざるを得ないのです。
 一方では、喫煙者に対して極めて不平等な法律を制定しながら、他方では、非喫煙者に対して「望まない受動喫煙」リスクのより高い方の環境を押しつけていること、その過失は、極めて重いと断じざるを得ません

第三節 従業員の受動喫煙リスク

 ここで、前節での中心的な論点を補足的に補強するため、非喫煙者の従業員が「望まない受動喫煙」の被害に遭う可能性を、どのように解決するかという問題を論じておきます。

 一般に従業員は弱い立場にありますから、これは是非とも考慮しなければならない問題ですが、しかし、この問題の解決は比較的容易です。
 最近は企業の雇用条件として「非喫煙者であること」を明示するのが激増しているのは周知の事実でしょう。これと全く同様に、そして今度は逆に、雇用条件として「喫煙者であること」を明示するのは、雇用条件の平等性と対称性という観点から見ても極めて合理的な解決策です(*)
 従業員が喫煙者であれば「望まない受動喫煙」という問題そのものが消滅するからです。

(*)もし仮に、上記の「喫煙に関する雇用条件の平等性と対称性」そのものを否定する人がいるならば、その根拠は何か、よくよく熟考して頂きたい。その根拠として、改正健康増進法の目標でもある「国民の健康増進のため」を挙げるならば、この法律の「真の立法目的」は喫煙者の絶滅へと限りなく近づくのではないか?

 むしろ深刻な問題を提起するのは、その定義上、非喫煙者も同居する飲食店内の喫煙専用室です。
 お客の受動喫煙の問題はとりあえず横に置くとして、非喫煙者である従業員にも「望まない受動喫煙」リスクの可能性があります。現在は、おそらく、このリスクを回避するためでしょうか「喫煙専用室での飲食を禁じる」という措置が取られていますが、その中途半端さと不可解さは以下の理由で明白です(*)。

(*)現在、喫煙専用室を備えている飲食店では(非喫煙者はご存知ないかもしれないが)喫煙専用室での飲食が禁じられている。その理由は、非喫煙者である従業員に受動喫煙リスクが生じるから、とされている。だが、私がここで指摘しているのは、飲食を禁じようが禁じまいが、従業員はその職務として、飲食に限らず清掃その他の業務を行う必要があり、従って、喫煙専用室の存在そのものが、非喫煙者としての従業員に受動喫煙のリスクを強制しているというものだ。つまり、この「喫煙専用室では飲食を禁じる」という措置には、実効的な意味はないと指摘している。

 その理由とは、喫煙者が喫煙専用室の中で飲食をしようがしまいが、従業員は、少なくとも清掃は(場合によっては他の業務も)しなくてはならないからです。
 飲食のオペレーションは受動喫煙のリスクにさらされるが、清掃のオペレーションは、そのリスクにさらされないとでも言うのでしょうか。清掃のオペレーションもリスクにさらされるとすれば、非喫煙者の従業員にとって、喫煙専用室が生み出す「望まない受動喫煙」リスクを否定するのが難しいのは明らかでしょう。

 そもそも、常識的に考えても、非喫煙者に対する受動喫煙リスクという視点で見れば、敢えて非喫煙者(お客も従業員も)が同居する店舗内に設置する喫煙専用室の方が、喫煙者しか存在しない喫煙専門店と比較して、はるかに「望まない受動喫煙」のリスクが高くなるのは当然でしょう。

 ここには本質的な論点があります。
 非喫煙者が存在するからこそ「望まない受動喫煙」のリスクが発生するのです。喫煙者しか存在しないならば、この「望まない受動喫煙」という問題そのものが消滅します(*)
 誰が、この自明の論点を否定することができるでしょうか。

(*)ここで、もし仮に、何らかの理由で(例えば「喫煙者は依存症患者なので正常な判断能力がない」などの理由で)、喫煙者自身にとっても本来は受動喫煙を望まないはずだ、より直截に言えば、喫煙そのものを望まないはずだ、との論点を、一般論ではなく、改正健康増進法の内部で主張したとしたら、この法律の「真の立法目的」は、受動喫煙の防止をはるかに越えて、喫煙者全体の絶滅にあることになるだろう。ここで道は二つしかない。一つは、改正健康増進法には「隠された立法目的」があることを認めて、違憲判定される(べき)こと。もう一つは、改正健康増進法を更に改正して、その立法目的として、喫煙の合法性と抵触するにもかかわらず、喫煙者の根絶を明記することである。

第四節 受動喫煙のリスクと熟議の不在

 ここで、もう一歩だけ議論を進めてみましょう。
 本稿での中心的な論点が析出された第二節では、本訴訟におけるLRA(喫煙専門店)が仮に阻却されるとしても、その理由は問いませんでした。
 議論の焦点は、望まない受動喫煙防止の観点から見た喫煙専門店と喫煙専用室との比較を通じた明白な含意関係の析出にあったからであり、その阻却理由を問題にする必要がなかったからです。

 しかしながら、もちろん、このLRA(喫煙専門店)を単独で、その妥当性を検討することもできます。
 問題は、これを具体的にどのように検討するのかという点にありますが、そのためにも法律制定過程において、このLRA(喫煙専門店)がどのように議論されたのか、その結果いかなる根拠をもって阻却されたのか等を確認するために被告に資料の提出を求めたものの、非常に残念ながら、提出された資料には検討の痕跡すら認めることができませんでした。
 ただ、準備書面(1)では(もちろんこれは法律制定過程での「過去の議論」ではありませんが)被告もこの問題にわずかながら断片的に言及しています。その中から論じるに値すると思われる二点を拾い上げ、以下で検討してみましょう。

1.上司と部下など飲食店利用者の上下関係の問題

 これは、部下は非喫煙者であるにもかかわらず上司が喫煙者であるがために、喫煙専門店に行かざるを得ないケースがあり得る、従って、LRA(喫煙専門店)は阻却されるべきだという議論です。

 しかし、これはLRA(喫煙専門店)を阻却する理由になるでしょうか。
 この一種のハラスメントは、そもそも健康増進法という法律で対応すべきケースでしょうか。むしろ、職場関係におけるハラスメントですから、これを規制する法律は健康を目的としたそれとは異なるべきではないでしょうか。

 これは私だけの意見ではありません。
 被告から提出された国会議事録の中には、初鹿委員の「立場が弱い人は、店の選択権がないのでは?」との趣旨の質疑に対する加藤厚労大臣(当時)の次のような趣旨の答弁が記録されています。

「本法案においては、望まない受動喫煙を防止するための配慮義務があり、仕事では、労働安全衛生法で、事業主に労働者の受動喫煙防止の努力義務を課している。」(厚生労働委員会議録第二十八号平成三十年六月十三日14p〜15pの要約)

 改正健康増進法の主管官庁責任者として、適切な答弁であるというべきでしょう。
 つまり、改正健康増進法は(仮に労働安全衛生法の受動喫煙防止に関する実効性に検討の余地があるとしても)労働安全衛生法と棲み分けるような観点から制定されているのであり、従って、上記のようなハラスメントの可能性があることを認めたとしても、それが改正健康増進法の枠内で、このLRA(喫煙専門店)を直ちに阻却する理由にはならないと結論せざるを得ません。

2.近所に喫煙専門店しか存在しないことの問題

 これは、非喫煙者であるにもかかわらず近所に喫煙専門店しかないので、そこに行かざるを得ず、その結果受動喫煙の被害に遭うから、このLRA(喫煙専門店)は阻却されるべきだという議論です。

 この不可思議な議論に対しては、そもそもなぜ行くのか等、幾つものごく基本的な疑念が浮かびますが、とりあえず、それ全てを脇に置いて、このようなケースがあり得ること、しかも、それに対処しなければならないと仮定しましょう。

 まず指摘すべきは、このようなケースが日本全国で頻繁に生じることは考えられないことです。
 飲食店もビジネスですから、その空白地帯において、まずターゲットにするのは多数派のお客(つまり非喫煙者)である可能性が極めて高いというべきでしょう。
 つまり、このようなケースが仮に生じるとしても、それがレアケースになることに異論を唱える人は、おそらく皆無だと思います。(むしろ逆に「うちの近所には喫煙専門店がない」というケースの方が、よほど現実的でしょう)

 ここでは、望まない受動喫煙の防止を前提にした上で、二つの選択肢が考えられます。
 (A)たとえレアケースであったとしても、それが現実化する可能性があるのだから、このLRA(喫煙専門店)を阻却すべきだ。(B)あくまでもレアケースだから、このLRA(喫煙専門店)を平等かつ合理的なものとして基本的に維持するものの、このレアケースに対処するために一種のローカル・ルールを導入する。(このローカル・ルールとしては、例えば「一定エリアの中で非喫煙店が存在しなければ喫煙専門店を開業することはできない」等など)

 ここで、どちらの選択肢を選ぶべきか。
 これは、喫煙者に対する平等的な取扱いとルールの若干の複雑さの間での綱引きになるはずです。どちらの選択肢を選んでも「望まない受動喫煙」は防止されますから、それのみを根拠にしてLRA(喫煙専門店)が阻却されるわけではありません。従って、ここでは、(B)ではなく(A)であるべきだとの結論を導出するためには受動喫煙の防止以外の追加的な根拠を追加する必要があります。

 そもそも、この「近所に喫煙専門店しかないので・・・」という議論に、一体どこまで真面目に付き合えばよいのか、わかりませんが、いずれにしても、ここでは一定の熟議が必要になることは明らかです。
 しかし、被告は、一体どこで熟議を行ったのでしょうか。

 以上、本節では、このLRA(喫煙専門店)を阻却すべき理由として被告が準備書面(1)にて言及した二つの問題点を批判的に検討してきましたが、その目的は単に、このLRA(喫煙専門店)を擁護するためだけではありません。
 むしろ、擁護に至るにせよ至らないにせよ、そのためには熟議のプロセスこそが必要であることを例証するために他なりません。

 ここで核心的な論点に注意を喚起しておきたいと思います。

 以上では、このLRA(喫煙専門店)をそれ単独で、それが阻却されるべきかどうか、阻却するに値する合理的理由があるかどうかを二つの問題点に即して批判的に検討してきました。
 上記のそれぞれの議論について被告が同意するかどうか、それはわかりませんし、ひょっとしたら新たに第三の問題点が提起されるかもしれません。だからこそ、熟議が必要だと主張し続けているのですが、しかし、ここでの本当の論点は、そこにはありません。

 本節での議論がどちらに転ぶにせよ、第二節で析出した重要かつ明白な含意関係は動かないからです。
 即ち、本節での議論でLRA(喫煙専門店)が擁護されようがされまいが、それとは独立して、もし「望まない受動喫煙」リスクのゆえにLRA(喫煙専門店)を阻却するならば、それ以上に喫煙専用室は阻却されなければならないという含意関係は不動だからです。従って、逆に言えば、被告が、喫煙専用室を認める限り、より「望まない受動喫煙」のリスクが低いLRA(喫煙専門店)を認めなければ筋が通らないということが帰結します。

 この重大な帰結は、本節でのように単独でLRA(喫煙専門店)のみに着目して、いわば散発的に(思いつきで)その是非を問うのではなく、第二節でのように「望まない受動喫煙」リスクの観点からLRA(喫煙専門店)と喫煙専用室との間の常識的な比較を通じて検討したからこそ生み出されたものです。
 以上の論点は、ごくシンプルでありながら同時に決定的なものではないでしょうか。

第五節 議論の全体像

 ここで、議論の全体像について整理しておきましょう。

 本訴訟では、違憲性を検出するための最大の鍵として「単純で明白なLRA(喫煙専門店)」の存在を一貫して指摘してきました。
 これを鍵として、憲法13条が保障する基本権への不当な侵害と憲法14条1項が禁ずる不当な差別的取扱いへと議論を展開し、その違憲性を検出しました。
 逆に言えば、このLRA(喫煙専門店)が合理的根拠をもって阻却されるならば、この議論は成り立たないことになります。

 ところが、(1)法律制定過程においては、呆れたことに、このLRA(喫煙専門店)が議論された痕跡すら存在しない、(2)前節で検討したように、被告が準備書面(1)で言及したLRA(喫煙専門店)の問題点については決定的な阻却の根拠にはならない、以上の二点が明白になりました。

 しかしながら、以上ではまだ「ひょっとしたら、明日の朝、このLRA(喫煙専門店)を合理的に阻却する論点を思い付くかもしれない」との可能性が残っています。
 この可能性を原理的に消滅させることはできません。が、本稿では次のような議論を提示しました。

 まず第一に、非喫煙者が存在するからこそ「望まない受動喫煙」のリスクが発生します。喫煙者しか存在しないならば、この「望まない受動喫煙」という問題そのものが消滅します。
 第二に、従業員の雇用については「雇用条件の平等性と対称性」を主張しました。
 即ち、企業の雇用条件として「非喫煙者であること」を明示するのと同様に、今度は逆に、雇用条件として「喫煙者であること」を明示することで、LRA(喫煙専門店)には、お客であれ従業員であれ、非喫煙者が存在しない環境を合法的に作ることができます。

 以上の二点によって、LRA(喫煙専門店)には、非喫煙者が存在しないゆえに、受動喫煙リスクは存在しないことが論証されたと思います。
 他方、喫煙専門「室」を備えた店舗では、その定義上、お客にも従業員にも、この店舗内には非喫煙者が同居しますから、LRA(喫煙専門店)と比較しても、明らかに受動喫煙リスクは高いと結論せざるを得ません。

 従って、被告は、一方では、喫煙者に対して極めて不平等な法律を制定しながら、他方では、非喫煙者に対して「望まない受動喫煙」リスクのより高い方の環境を押しつけていること、その過失は、極めて重いと断じざるを得ません。
 少なくとも、被告は、改正健康増進法の中で、喫煙専用室を認める限り、「望まない受動喫煙」リスクの比較という観点からは、このLRA(喫煙専門店)を認めざるを得ないはずです。

第六節 本訴訟の願い

 被告から提出された膨大な国会議事録は、残念ながら本来の目的(法案検討過程の確認)を満足させてくれるものではありませんでしたが、法律制定過程の実際を知ることができたという意味では極めて貴重な資料になりました。

 しかしながら、これを読みながら、私は、その余りに一方的で過熱した議事の進行に恐怖の念すら覚えました。
 驚くべきことに、この法律の制定過程には、熟議どころか、もう一方の当事者である喫煙者を代弁する議員や参考人は、ただの一人も存在しないからです。
 受動喫煙の防止どころか、喫煙者の根絶こそが、彼らの真の目的ではないかと思わざるを得なかったからです。(ここで注記すれば、これは「私がそう思う」というようなレベルではなく、一読しさえすれば、誰が読んでも「そう思わざるを得ない」のではないでしょうか)

 例えば、加藤厚労大臣(当時)の次のような答弁に、私の目は吸い付けられました。

「今回はあくまでも望まない受動喫煙をなくすということでありますから、吸う方と吸わない方がそれぞれきちんと切り分けてそれぞれ対応していただくということで、直接例えば禁煙を促進するということを目的としているわけではありませんので、今回の法案が直接にたばこの消費量ということに、たばこの消費量を減らすということ自体を逆に言えば目的としているわけではありません。
・・・
別途喫煙率を健康日本21で設定をし、それに向けても努力させていただいているということであります。」(参議院厚生労働委員会会議録第二十六号4p)

 この発言は、余りに露骨な二枚舌と言うべきでしょう。
 同じ発言の中で、ダイレクトな矛盾も恐れず、一方では「禁煙を促進することを目的としているわけではない」「たばこの消費量を減らすということを目的としているわけではない」と言いながら、他方では、健康日本21で設定した喫煙率(平成34年度までに12%へ)に向けて努力すると明言されています。

 私は困惑し、沈痛な思いに至ります。ここでは改正健康増進法の真の立法目的が透けて見えるような気がするからです。
 即ち、喫煙者と非喫煙者との平等な取扱いという観点から見て合理的なLRA(喫煙専門店)が完全に無視されている現在の状況は、ここで暗示されている改正健康増進法の「明記されていない真の立法目的」によって生み出されているとしか思えないからです。

 私は本訴訟において、ただ単に喫煙の合法性を、それに基づいた喫煙者の基本的権利の擁護を訴えているだけではありません。
 喫煙者を巡る現代社会の余りに不当な蔑視を、その重く深いスティグマ化を告発しているのです。

 改正健康増進法の法律制定過程を記録した国会議事録に明瞭なように(裁判官諸氏にはぜひご一読して頂ければと思います)、立法と行政の中には、もはや喫煙者の代弁者は存在しません。そのスティグマ化のゆえに、誰もが世論を恐れているからです。
 単色と化した世論とのフィードバックループの中で、ますます議論が一方向に過熱して、狭い意味での健康問題を越えて、ある種の道徳的な問題にさえ拡大しています。不愉快極まりない「スティグマ化」という言葉を使わざるを得ない所以です。
 価値の多元性こそが自由社会の根幹に存在すべきであるにもかかわらず、この点にご注目頂きたいのですが、女性ではなく、困窮者ではなく、障害者ではなく、性的少数者でもなく、喫煙者のみは、周知のように、そこで自らの価値を訴えることができません。その代弁者も存在しません。

 私たちは、なるほど、時代から見れば醜悪な存在かもしれません。しかし、たとえ醜悪であったとしても、現代日本が自由社会である限りは、私たちなりの醜悪な人生を認めて頂きたいと願っています。

 最後に、真山勇一議員の素晴らしいご発言を引用させて頂きます。
 このご発言は、受動喫煙の弊害について召喚された参考人に対して、言語道断にも、野次を浴びせかけた下品極まりない議員たちに向けられたものです。

「いいかげん、こんなことはやめにしませんか。多くの横暴を防ぎ、弱い者、貧しい者、少数の意見を尊重するために議会制民主主義は発達したのではないでしょうか。・・・弱い者が犠牲になる政治は真っ平です。」(参議院会議録第三十二号8p〜9p)

 真山議員とは、遺憾ながら正反対の立場ですが、私は、満腔の意をもって、議員に賛意を表します。

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