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ジンジャーハイボールと彼 13 〜月夜のビアガーデン〜

「百合!大丈夫だった?!」
「遅れてごめんね。あ、待たせてしまってすいませんでした」

 金曜の今日はお休みだった。
 集合時間にぎりぎり着けるくらいに行動をしていたのに。

 自宅のオートロックを出ると一度も話をしたことのない隣人が鍵をなくしてしまったと困っていた。中に入られるよう協力していたら、約束よりも1時間も遅れてしまった。

「大変だったね、まさか実況しながら電話くれるとは思わなかった」

「いや、信じてもらえなかったらまずいなと思って」

「相手の方は大丈夫でしたか」
 香澄の彼氏が心配そうに聞いてきた。

 三人の視線は立ちっぱなしの私をなだめるかのようだった。

「管理会社と繋がって来てもらえたので、なんとかなりました」

「それは良かった。飲み物買ってきますよ、何にしますか」

 日下部さんがそう言いながら隣の椅子を引いて座りやすいようにしてくれた。

「ビールをお願いします」

「あ、俺も!」

「じゃ、私も」

「お前ら、遠慮がないな」

 伊藤さんと香澄は顔を合わせて笑っていた。

「私も行きます。他にも食べ物とか買いたいので」
「ああ、そうだね」

 大通りのビアガーデンは北海道一の規模の大きさで、大通り公園の西5丁目から8丁目、西10丁目から11丁目と札幌のど真ん中で開催される。国内でも類まれな規模と聞いたことがある。

 各丁目ごとにビールメーカーや各国のビールで分けられており、購入方法もエリアによってセルフ・チケット購入・スタッフからと様々だった。


「学校勤務でしたよね?もう夏休みなんですか」

「いや、つぎの火曜が最後の出勤で水曜から夏休み」

「じゃ、もうすぐですね」

「うん。木原さんは、明日はお休みですか」

「はい、日曜は出勤ですが」

 露店に並んでいると、大学生の合コンなのか浮足立った男の子や頬を赤くし露出した女の子が6人ほど私たちの前で枝豆や焼き鳥にやきそばを受け取っていた。

「俺が持つよ」

「あ、ありがとう」

「ここは俺らが払うから」

「そんな、いいよ!」

 なんだか、こちらが照れくさくなるのはどうしてだろう。

「あ、俺が持つよ」

「え?」

 日下部さんが、先ほどの男の子の真似をするかのような滑稽な表情と声でそう言った。

「さっきの子の真似ですか?」

笑ってしまった。いつも無表情だと思っていた人がこんなことをするのか、と意外だった。

「いや、ごめん。今日はすでにけっこう飲んでて」

「そうなんですか」

「香澄さんが来る前も伊藤と五時半からいたから」

 確かにいつもより表情が緩んでいる、暑さとアルコールによってか、心から楽しんでいる様子だった。

 すぐに席へ座りたいのに人混みがすごく、なかなかもどれなかった。

 ふと見上げると、7時半でもまだ空は青く、今の気持ちの清々しさが反映しているかのように見えた。

「たくさん買って来たよ。はい、香澄の好きなステーキに枝豆」

「ありがとう!」

「それでは、4人揃ったので乾杯しましょう」

 伊藤さんがグラスを上げた。

「かんぱーい!」


 炭酸が喉を通って飲めば飲むほど心が満たされた。
「ああ、美味しい!」

「あはは、百合はことし初ビアガ?」

「そう、明日もお休みだし。もう嬉しくて、誘っていただきありがとうございます」

「いや、前回のとき楽しくなさそうだったから、今回は来てくれないと思ったよ」

香澄が眉をひそめて伊藤さんの方を見た。

私は、さらにビールをごくごく飲みこんだ。

「あ、ごめんごめん。悪い意味じゃなくて」

 アルコールが脳も血管も心も、勢いよく開く感覚が気持ち良かった。

「いいえ。良いんです。あのときは、本当にすいませんでした!」

 三人が驚いた顔をしているのはなんとなく視界に入ったけど下を見てしまった。勇気を出して顔を上げた。

「私、なぜか不機嫌そうに見られる事が多くて。あと、気が強い人なんだろうとか」
 続きを言うのに勇気がいた。

「実は、緊張しいの人見知りで、上手く出来ないところが多いんです。だけど、今までしたくても出来なかった人との交流と言うか、行動を出来るようになりたいなって。なので、今日はきちんと謝罪をしておきたいと思って」

「百合・・・」

 香澄の悲しそうで嬉しそうな表情が見えた。

「木原さん、そのままで良いですよ。香澄からいつも聞いてたんです。めっちゃ良いやつだって」

「いや、良い子って言ったの。やつなんて私言ってないから」

「そうだっけ?にしても、美人が思い悩んで語る姿って美しいですね」

 伊藤さんなりの気配りの一言だとすぐに分かった。

「気持ち悪い!彼女の親友だよ」

「伊藤、お前つぎの店で奢り決定だから」

「えええ!先輩の方がお給料良いのに!」
「はいはい、わかったわかった」
 日下部さんがビールを高く掲げた。

「はい、木原さんもビール上げて。みんなも、もう一回かんぱーい」

「かんぱーい!」


 ああ、一人ジンジャーハイボールも幸せだけど、今日はなんだかもっと幸せな気がする。


「先輩、つぎの木曜は確か有給とってましたよね」

「え?夏休みって有給使うんですか。夏休み入ったら生徒と同じくお休みだと思ってました」

「教員って、夏休み中も出勤なんだよ。休むとしたら有給をとるんだ」

「ええ、知らなかった」

 日下部さんはビールを置き。
「まぁ、夏季や冬季の休み期間以外は有給取りずらいから。この時期は周りに迷惑かけずにすぐ休めるし、やっぱり長期休みを取るのに良い時期だよ」
「そうなんだ」
「先輩、さては長瀬さんと二回目のデートですね」

「あれ、さっきは彼女まだいないって」
 香澄は日下部さんの方を見てそう言った。

「香澄、知ってるか?長瀬怜奈ってアナウンサー。今、先輩が良い感じなんだよ」

「伊藤、声を小さくしろ。せめて名前を言うときに警戒してくれ」

 周りの人に聞こえている様子はなかったけど、確かに隣の人の声はこちらに丸聞こえの環境だった。


「え、もしかして長瀬怜奈ってローカル局の朝のニュースに出ている人ですか」

「そうそう、木原さんよく知ってるね」

「綺麗な方だし、こんな人が北海道にいるんだって憧れてました」


「あ、本当だ綺麗。けっこう年上だ、見えない若いよ」

 香澄が検索をしたのか、スマホを見てそう言った。

 日下部さんは、心なしか悲しそうな顔をしていた。

 もう青空は消え、月夜となっていた。

 今晩は、朧月夜になることなく、光り続けてほしいと思うほど綺麗な月だった。

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