見出し画像

ジンジャーハイボールと彼 19 〜移ろいゆく心の花〜

 9月がスタートした。すでに秋の涼しさとなり25℃前後の日が続いていた。今後の予報を見ても上がって27℃のようだった。

 去年の夏は、9月に入っても暑い日が続いており、北海道には珍しく30℃近くの日が1週間ほどあったのを思い出す
「今年は涼しくなるのが早いなぁ」
 
 
 来月には再び、秋の繁忙期がやってくる、そのため今月は打合せのピークでもあった。

 気持ちは、繁忙期に向けて気合いが入っていた。
 その合間に気持ちが途切れると、あることを考えている自分に気づく。

 先月、日下部さんと会い、約束のスマホケースをプレゼントして頂いた。やっぱり話しやすくて、話も盛り上がって楽しかった。

 花火大会も、最高に楽しかった。
ここ数年、こんな楽しいイベントはなかったと思えるほど。
 

 花火が上がる海の近くで見るのが一番良い、ということで四人で伊藤さんが昔から見ているという穴場へ連れて行ってもらった。
 確かに、人も少なく花火を堪能出来る場所だった。

 日下部さんは白に近いグレー色の浴衣に紺色の帯をつけていた。その浴衣は日下部さんのために用意されたものに違いないと思う程、似合っていた。

 袖から出る手首や指の長さも素敵過ぎる。

「木原さん、俺の手になんか付いてる?」
「え?!いや、ぼーっとしてました」

 まずい、心臓がばくばくして手も震える。私は、恋愛をしなさ過ぎておかしくなったのだろうか。
「あのう、日下部さんは。今・・・かの、忙しいんですか?」

 聞けない!彼女はいるか、なんて聞けない!
 そんなこと聞いたら、こいつ俺のこと好きなのか?って思われて引かれて、もう今後は誘ってくれないかも知れない。

 いや待って、でもこの前、浴衣似合うだろうねって言ってくれていたし嫌われてはないと思うけど。

「そうだな、学校もはじまって、あと顧問のサッカーが大会で大詰めだから忙しいと言えば忙しいかな」
「え・・・」
 まずい、自分の心の声しか聞いてなかった。

「自分から聞いたのに、聞いてなかったでしょ?」
日下部さんが笑ってそう言った。
 
「いやいや、違うんです。今日、日下部さん筋肉の状態良いな、って腕に見入っちゃって」
「筋肉?」

 日下部さんは少し下を見て、震えながら笑っていた。
「なにそれ?」

 打ちあがる綺麗な花火は、いつもと違う空間を作りだしてくれていた。

「そういえば。お盆はどこか行って遊んだりしたんですか」
「ああ、姉夫婦が実家に来ていたから集まって、甥っ子や姪っ子と遊んだよ。まだまだ小さいからね。あとは、理科教員の仲が良いメンバーと飲みに行ったくらいかな」

「そうなんですね」
「大学時代の友達は結婚して子どもが小さかったりで集まれなくなったなぁ。それに、夏は部活の大会に向けてどうしても時間を使うから、そこに気持ちが集中してて」
「そうなんですね」

 花火はどんどん大きなものが増え、色合いも観たことのないような華やかなものが上がり始めた。

「すごぉい」
「綺麗だなぁ。このあと、確かハートマークの花火も上がるって聞いたよ」
「ええ、そうなんですね」

 後ろから香澄と伊藤さんがお手洗いから戻って来た。
「ごめん百合!途中でかき氷買って来たよ」
「おお、ありがとう」

 香澄はそのまま花火を見上げた。顔が紅潮していないか心配になるけど、バレていないようで良かった。

「百合と打ち上げ花火見るなんて、大学以来だね」
「本当だね、人混みが苦手だから最近はほとんど行ってなかったけど。来て良かった」
 香澄が私の方を見ている気がした。
 伊藤さんと日下部さんは後ろで、せっかくだからコンビニで花火を買って行こうかと話している声が聞こえる。

 香澄が少し声を抑えて言った。
「百合、最近なんか変わったよね。人混みが苦手なのに参加しようとか。前は頑なに拒むことが多かったけど、今は縛られているものがほどけたと言うか」

「え?そうかな」
「うん。・・・実は、さっき彼から日下部さんが百合はやっぱり浴衣が似合うって言ってたみたいだよ」


 思い出すと、仕事中でもニヤけてしまう。
 今年の夏は本当に楽しかった。
 
 でも、あのアナウンサーの方と比べたら私の浴衣姿なんて何てことないものに違いない。

 女神と着飾った庶民、ダイヤモンドとおもちゃの指輪、並に差がある。
 そう考えると、心にやっと咲き始めた小さな花が、急にしぼみ始める感覚に陥る。
 
 
 
 
「日下部先生。サッカー部、今年は良いところまで行きましたね。この夏は本当にお疲れ様でした」
 教頭が昼休みに団扇を仰ぎながらそう伝えに来た。
「いや、生徒たちが頑張ってくれました。最後は悔し涙を流しているやつもいましたが、良い経験になったと思います」

 先月末、全国高校サッカー選手権大会札幌地区予選が行われた。スポーツにそこまで結果を残せない学校ではあったが、その中でもサッカーは良い成績を残してきた。
 もちろん、スポーツ推薦枠を設ける強豪私立高には敵わないが、今年は強いメンバーが揃っており期待をかけられていた。
 
 伊藤が売店で2つ買ったという弁当の1つを俺のデスクの上に置いた。
「え、もらって良いの?」
「はい。食べてください」
「サンキュ」

 二人は職員室内にある給湯室横のソファーへ移動した。
「日下部先生、つぎに授業入ってますか?」
「いや、もう今日は午後の授業はないな」
「一緒ですね。午前中なんて鬼のように授業が入ってて、もうクタクタですよ」
「午前中に連続はきついな」

 他の教員は自席で食事しているのか、誰も来る様子はなかった。
「あ、この前の花火大会で撮った画像、送っておきますね」
「ああ、頼む」

 早速送ってくれたようだった。
「皆、すごい笑顔だ。・・・木原さん、本当に浴衣が似合うな」
「大人な浴衣着てましたね。白地に紺の花柄で艶っぽいと言うか。でも、俺はうちの香澄の可愛い浴衣姿が一番です」
「はは、良かったな」

「あのう、これ聞いて良いのかわからなくて言ってなかったんですけど。この日、木原さんが先輩と同じスマホケース使ってたんですよ、見ました?」
「ん、ああ。あれ、俺があげたんだよ」
「へ?どういうことですか?」

 伊藤はかなり焦った様子で言った。
「なんですかその展開!あのクールビューティに何してんすか」
「言い方悪いな」
「あ、間違った。美人食い?」
「もっと悪いだろう」

 タイミング悪く教頭がお茶を入れに来た。
「うーん、二人は本当に仲が良いね。何食いだって?」

「ははは、そう見えますかね」
「うん、良いことだねぇ」
 教頭は楽しそうにお茶を持って席にもどって行った。

「伊藤、声量を下げよう。ここは飲み屋じゃないんだ」
「危なかった。教頭で良かったです」

 日下部はいきなり伊藤の顎を掴み、言い放った。
「美人食いって言ったか?」
「すいません、間違えました」
 顎から手を離し、そのまま弁当を食べ続けた。
「・・・木原さんは、そういうんじゃないよ」
「へぇ」
 伊藤は怪しいなという顔をしていた。

 日下部は少し考えて声にした。
「なんて言うか、大事な推し活の同士というか」
「・・・推し活?」
 伊藤はなんとも言えない滑稽な表情で日下部を見ていた。

「この前もだけど、お互いの趣味で新しい情報が出たから電話で話もしたりするけど。彼女はこれから仕事が忙しくなるとか、後輩の育成に悩んでるとか言ってた。仕事が第一なタイプなんだろうな。そういう雰囲気になる状況には全くない」
「え?!ああ・・・へぇ、見た目通りですね」

 伊藤はまだ何か言いたそうな表情で日下部を見たが言うのをためらい、弁当を口にした。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?