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足るを知る。メルカリをしてみたら自分の人生が見えてきた【改編】

1990年代。わたしは20代でした。

当時、暮らしの中では普段着と外着がはっきりと分かれていました。10年後20年後、自分が母親になった時には、きっと外出用の普段着はラルフローレンあたりでも着るのかしらなんて想像して。子どもの参観日には部屋着のスウェットやTシャツを脱いでツイードのジャケット身につけ、小さなハンドバッグを持つのだろうと、そんなことをぼんやり考えていたような気がします。

その頃、服は今よりもっと高かったんです。

正しく言うと、GUやZARAのような流行と安価を前面に打ち出したファストファッションのアパレルは地方にはなく(ユニクロはぼちぼち出店していた。しかし今とは全く違うブランディングで、単に安い量販店のイメージが定着しつつあった)、地方暮らしで普通の会社員だったわたしにとって、流行の形と色、そして身体をきれいに見せてくれるデザインの服は、百貨店や駅ビルのレディースフロアで試着をして悩み倒し、ある程度のお金を出しえいやっと選ぶものでした。

センスのよいファストファッションブランドがなかったので、まわりの友人たちにも「持っているお金イコール身に付けているもの」がまだまだ色濃く残っている時代だったような気がします。同じ会社で長く働き続ければ社歴と共にお給料も上がっていくと信じられていた時代なので、年を重ねることで当然暮らしぶりも上がるのだと、そんな想像ができたのです。今とはちょっと違う価値観でした。
最近は、お金があろうがなかろうが、衣食住どこにお金をかけるかなんて本当に人それぞれですね。

先日、ショッピングモールを歩いて買い物を楽しみました。
流行りデザインの洋服が1000円台から買えるのを目にします。なんて楽しい時代なんだろう。お財布とじっくり相談する必要はさほどなく、試着せずにパパパッと手軽に購入できる価格なので、帰宅後に着用して鏡の前で「あれ?」と思っても値段を考えればダメージは少ないです。その後は家族や友人に譲ったり、はたまたクローゼットの奥に袋のまましまい込み、買ったことすら忘れて数カ月、なんてことも日常茶飯事。

月に一度、お給料を握りしめてお買い物をしていた時代、あれはなんだっただろうと考えます。

しっとり。

得意のおばさん回顧録。きれいめにまとめてみました。

いや、あのね。メルカリに手を出したんですよう。
本棚がぎゅうぎゅうになったのがきっかけで、ビジネス書や自己啓発本、ライター指南書を初めて出品したら、6冊が瞬く間に売れました。気をよくしてその後に出品した小説やエッセイの動きは悪いので、服だけではなく書籍にも流行りがあるのだなと体感しています。

さほど好きでもないけれどちょっとかじっておきたい流行りの本は、発売即読んでおきたいなら本屋で新刊を買うしかないので、読み終えてメモを取ったらメルカリで手放すようになりました。著書さんには申し訳ないけれど、一読で十分と感じるものは、確かにある。昔からの情報を焼き直した書籍、山ほどありますから。

冒頭でなぜショッピング回顧録になったかというと、本棚の整理のついでにクローゼットの整理になったからなのです。

見ず知らずの人の服には、なにかしらの念がこもっていそう。そんなことを考えていたのでフリマモールやオークションで洋服を売買するのは抵抗があり、これまでメルカリに服の出品はしてきませんでした。主観ですけどね。

あ、すみません。
若い頃に古着屋で買った501や517、古いカレッジTシャツを身に付けていたのを完全に棚に上げています。最高にお洒落な憧れの先輩がシスコに連れて行ってくれたら、そこのデニムは別。買います着ます。
お洒落馬鹿時代は、古着を着ていればお洒落だと思い込んでいたのよと、JKむすめにこの話をしたら「えーと、お母さん、しすこって、ごーまるいちってなに?」と聞かれました。若い人はググってください。

流行りも三週目かと思うような箪笥の肥やしをメルカリに数百円で出品してみたところ、たちまち売れてびっくりしました。一昨年あたりは若い人の間でお母さんお父さん世代のものを着るのが流行っているとかなんとか…ほーかほーか。そういうことですか。
わが子たちにわたしの古着を見せてもピンときていない、そして体型も服の好みも違うので、いらないと言われたものはこれを機会にどんどんメルカリに出品しようと決めました。

その古着の中に、ちょっと思い入れの強いコートがあったんです。

20年近く前に新品で購入して、ろくに着ないのに引っ越しのたびに持ち歩いていたカジュアル系ハイブランドのレザーコート。

レザーがそりゃあもう上質。表面は艶艶で身頃の内側のムートンのボアはしっとりしていて。厚みがあるためやや重たいものの、わたくしの出身地、北海道の真冬でも耐えられる防寒性。なのに、着るとかさばらずスッキリしている。むしろここまで厚手なのにスマートに見えるデザイン性の高さに、老舗ブランドの底力を感じます。

そりゃそうだ、定価38万円の上質品なんです。

しかしそんな高価なもの、庶民のわたしはもちろんその値段で買ったわけではなく、現在大学生の長子がベビーカーに乗っていた昔昔その昔、アウトレットで見つけて59800円で購入したのです。何かすてきなコートをと探していた矢先に見つけた憧れのハイブランドのレーザー&ムートンのコート。定価38万円が59800円になっていた理由は、前々シーズンくらいの型落ちであるのはもちろん、部位によってレザーの色味にかなりムラがあるからとのこと。あー、確かに確かに。表と裏のレザーの色がずいぶんと違って、前面と後ろ面、着用イメージがかなり違います。
しかし上質レザーの強みは経年でツヤが増すこと。おそらく保管状態がよかったのでしょう、なんとも美しいコートでした。

その日の予算をオーバーしている59800円。

しかし試着をしてみると、鏡の中にはブランドマジックにかかった自分がいました。デニムに薄手タートルセーターというなんの変哲もない恰好なのに、そのコートを羽織るだけで自分のルックスや服装のセンスが、格段にレベルアップした気さえしました。試着をしたわたしを見た夫が「似合う似合う」とほめてくれたので、予算オーバーには目をつむり大事に長く着ようと決めて購入へ。

しかしです。

ベビーカーに乗るような赤ちゃんが常にそばにいる生活に、そのコートはおそろしいくらいそぐわないものでした。

買った時は鏡の中の素敵な自分に舞い上がりあまり気が付かなかったのですが
厚手でかさばるために腕がうごかしにくく、子どもを抱っこしにくい。
厚手でかさばるため着脱にほんの少し手間がかかる。
厚手でかさばるため外出先で脱いだ時に重い。

おちびさんの面倒を屋外でひとりで見たことがある人ならわかりますね?
歩き出した赤ん坊とベビーカーの死守、乳幼児の荷物のための大き目の鞄の所持と、自分の鞄の所持と、買い物袋の所持と…さらに重たいコートは、どうしたって日常使いには無理でした。

というわけで、レザーコートはほんの数回の着用でクローゼットに仕舞われることに。

しかしとても気に入っているため手放す気にはなれず、子どもが大きくなって手が離れたら颯爽とコレを着こなすのだという思いを込めて、丁寧に手入れをして封印しました。本革ということが気になり、年に一度は取り出して眺めて試着し、カビや汚れが発生していないかチェックしました。正絹の着物のようなお嬢様扱いで、大事に大事に大事に管理。自分の姿も鏡で見てよしよしやっぱり素敵と鏡で確認して。

そして。だ。
子どもたちは大きくなり、外出時に世話は不要になりました。わたしの持つ荷物も20年前よりうんと少なくなりました。

満を辞して、いざレザーコートの出番と思ったのですが。

そうだった、私は本来荷物の多い女。

おむつやおもちゃの代わりにiPadや本数冊が詰め込まれるようになり、カバンはやはり大きいままでした。両手が自由になる肩から下げられるショルダーバッグが好みなのですが、くだんのレザーコートを着ると肩まわりが動かしにくい上に、肩掛けバッグ自体がコートのデザインを殺してしまう。

そもそもこのコート、襟元にもふっくらした大きなムートンが施されていて、ショルダーバッグなんてものを肩から下げてキマるデザインではないのです。きっとこれに合うのは口紅とスマホくらいしか入らないようなちんまりしたハンドバッグ。そして子どもの抱っこでわかっていましたが、やはり大きな荷物もかかえにくい。ビールの箱もお米の袋も自分で運ぶ生活に、このコートはそぐわない。

なんだこれは、貴族のコートでしょうか。

下記はメルカリで見つけたハイブランドのレザーアウター。イメージが近いです。こちらもすてきです。

https://jp.mercari.com/shops/product/m6drrRkCfQcY6dk6wrhCwd?afid=1703621532

メルカリにはその他ハイブランドもたくさん。

こういうコートが普段着になる生活をしてみたいものですが、私は執事もメイドもいない働く主婦母ちゃんです。

防寒着としてはこの上なく優秀なので、住まいが北海道なら重宝したかもしれません。しかし当時のわたしの暮らす町は温暖な地域で、真冬でも薄いコートがあればまあまあことは足りたのです。
そして地方暮らしがゆえの車生活。分厚いコートは運転には邪魔で脱ぎ着がこれまた大変。そして何より久々に着用して戯れに外を歩いてみたら重いのなんの。外を30分歩いて帰ってきたら張り切ってウオーキングをした後のようにぐったりで、トレーニングにはなりそうとは思うものの、そんな生活到底続けられそうにありません。


30万円以上のコートを日常的に着るにはそれにふさわしい生活があって、きっとそういう人たちは、米袋やビールの箱をふぬう……と車から自分で運ぶ生活ではないのでしょう。

「いつか着る」は永遠に来ないと知った、2022年冬。

今のわたしの生活に上質なレザーコートの出番はないと、思い知りました。
レザーコートを購入してから20年近く経っていました。

メルカリで服を出品し始めてからもそのコートは仕舞ったままでしたが、2022年のこの冬でようやく決心がついたのです。

悩んだ末にメルカリへの出品価格は80000円に設定。
それが正しい価格なのかどうなのかはわかりませんでしたが、1万や2万で手放せないコートへの思い入れプラス「ハイブランドだぜ?」という私の欲が上乗せされた金額が80000円だったのです。

高額だったため、様子見をされていたのか数週間は動きなし。
少しずつ値下げをして5万円台になったあたりで交渉やリアクションが増え、最終的に52000円で買ってもらえました。お買い上げした人はプロフィールや購入履歴から想像するにおそらく商売人。ブランド古着として価値があったのかもしれないと思うと、ちょっとうれしくなりました。
素人がリサイクルショップに持って行っても二束三文なのに、便利な時代です。いや、メルカリのシステムがすごいのか。

あんなに大事にしていたコート、売れたときは「このブランドが好きなひとのもとへ届きますように」なんて殊勝なことを考えていましたが、いざ手放してしまえば送った先で大事に着てくれようが高額で転売されようが、もうどうでもよくなりました。

20年近くのこの執着は一体なんだったのだろうと不思議です。

売れたお金にほくほくして焼肉を家族みんなで食べに行って、今日はお金持ちなのですと夫に顛末を話したら「ぼくにも小遣いをください」と大笑いしていました。こういう臨時収入をおおいに笑い飛ばす夫を見て、わたしはまたうれしくなりました。


そのお金で「新しいコートを買う」とはならず、焼肉を食べに行こうと考えるのが今のわたしなんでしょう。コートは普段着もお出かけ用も冠婚葬祭用も足りているんですから。

分厚いコートが占領していたクローゼットのはしっこ。
ぽっかり空いた部分を眺めて、足るを知るとは本当によい言葉だなとしたり顔になったアラフィフ女なのでした。


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