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【活動録】第21回カムクワット読書会

こんにちは。
本日は、中村文則さんの『列』を課題作品にして読書会を行いました。

わたしの「列」は列を乱しています

振り返り

読書会

参加者は6名。2名は複数回カムクワット読書会に参加してくださっていて、2名は読書会自体が初めて、1名は別の読書会でニアミスした方、1名は別の読書会で何度も同席している方でした(お互いに顔を見合わせてしまいました)。

奇妙な縁は重なり、ジュンク堂で開催された『列』のサイン会で、同じ時間帯に参加している方々もいて、「同じ列に並んでいた」ことが判明しました。

熱心な中村文則読者が集まったのですが、自己紹介の「好きな文則作品」ではほとんど被ることがなかったことも印象的でした。

挙げられた作品

  • 『A』

  • 『銃』

  • 『去年の冬、きみと別れ』

  • 『掏摸』

  • 『R帝国』

  • 『惑いの森』

  • 『逃亡者』

また、この『列』が中村文則デビューの方もいて、読書会が作家さんへの導入になっていると感じて嬉しかったです。

わたしが持参した作品

ランチ@ロイヤルホスト

ランチは会場付近のロイヤルホスト。全員が参加してくださり、3人と4人に分かれて座りました。

3人側はディープな中村文則トークをしたらしく、非常に気になりました。

わたしは4人側で、先日行われた文学フリマで出品した作品(こちらからご購入いただけます)を見ていただくことができました。目次にわたしの名前ばかりで、少し恥ずかしい。

こちらの座席では読書歴、執筆するかなどを話しました。読書はきっかけや環境(習慣)がないと始めづらいと、あらためて感じました。

あとは、理系と文系トーク。わたしは面積計算(小学生レベル)と数学B以降の計算は、習ったことがありません。だから、あこがれだけがあります。

カフェ@Salon de Parfait by UNI COFFEE ROASTERY

ランチで座席が分かれてしまったので、「メンバーを変えて話しませんか」と提案していただき、モアーズにあるカフェに行きました。

生活や仕事、読書アカウントでの経験など、延々と話していた気がします。話過ぎてしまった気もします。

気づくと、10時半過ぎに集合して、16時を過ぎていました。

本当に楽しい時間をありがとうございます。

ちなみに、わたしはカフェグラッセを注文。飯塚めりさんの「オレグラッセをめぐって。」を読んでから、メニューにあると注文してしまいます。おすすめは中目黒のカフェ・ファソン。

グラッセの美しさ

『列』は人の数だけ存在する――無意識を可視化された環境

以下は読書会を通じて、わたしが『列』を読んだ個人的な感想です。読書会を通して変化した点、気づいた点もありました。
作品の内容に触れ、また、人の感想を知らずに読んだ方が面白い作品だと思うので、未読の方は『列』を読了後にお読みいただけると幸いです。

個人的にこの作品は、懐かしい中村文則だと感じました。社会問題を描くことなく、個人の葛藤を掘り下げる初期のイメージに近く、作者の生の声、ある種の私小説的な声を聞いたように思いました。

この作品は第一部、第二部、第三部で構成されていて、第一部ではカフカエクスたっぷりな不条理とメタファーによって、「列」がある世界が描かれています。

第二部では、第一部の登場人物たちが「この現実」で担っていた人物の物語、それは中村文則的な屈折した人間の暗部が描かれていました。

第三部では、第二部の意識を持ったままカフカエクスな世界に戻され、その意識によって「列」と向き合うことができるようになる。

では、列とは何でしょうか。どのようなイメージを抱くでしょうか。

①何かを手に入れるための行列であれば、並んだ先に商品がありますが、求めていた商品が売り切れている可能性もあります。
②限られた地位を求める列であれば、誰かを蹴落とし、選考しなければ何も手に入りません。
③もしくはレール。電車は列になって進みますが、事故が起こらない限り同じレールを前後します。

この作品の列は、②に近い概念かと思います。第二部で助教授の地位をめぐる争いがあり、同一業界での成功者への嫉妬と彼の没落への愉悦。
自分と誰かを比べて、自分がゴールに近いほど喜び、後ろを見て安心する様は、第一部の描写に合致します。

しかし、世の中には「価値」が無数にあります。何らかの神様を信じることで救われる価値、誰かよりも注目される価値……。

一人だけで幸福になることは難しく、誰かと比較することで、自分の幸福度を測ります。その尺度がお金であったり、環境であったり。

もしも、一人で幸福が成立するのなら、おそらくその人は誰にも知られることなく消えてゆく。
一方で、ニーチェの超人が啓蒙したり、ブッダやキリストの周囲に弟子たちがいたように、正解に近いような存在は誰かが側にいるもので、「栄光ある孤立」は孤立したわたしとそうではない他者が必要です。

幸福な人も不幸な人も、アンナ・カレーニナが言うような一面的なものではなく、一面的に見えていても、その人の目を通した世界の景色は異なり、単一的な幸福/不幸は存在しないように感じました。

今いる列から抜け出したとしても、次は別の列があり、それは絶望の連続かもしれませんが、作品で描かれるように別の列に並ぶ権利があるのは希望かもしれません。

話しているなかで、書いているなかで、感想の行列が乱れました。おそらく、この作品を含めて中村文則小説は語り合うことに向いていると思います。

ぜひ、他の読書会でも課題作品になることを期待します。

秋も過ぎさる11月後半

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