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【活動録】第24回カムクワット読書会

本日は綿矢りささんの『パッキパキ北京』を課題作品に読書会を行いました。

参加者は7名、うち4名が当読書会に初参加でした。また、満席のため1名が参加できませんでした。

会場は横浜駅西口を出てから徒歩1分の貸会議室でした。

綿矢りさ『パッキパキ北京』読書会

好きな中華料理/料理店

今回の自己紹介は、作品に合わせて好きな中華料理または料理店を挙げていただきました。

中華料理では、天津飯や中国茶、チャーハン、エビチリ、回鍋肉、刀削麺が、中華料理店では、悟空茶荘、神楽坂の龍朋京華樓が挙がりました。わたしは登戸の神洲之華と上野の故郷味を挙げました。

自己紹介の中で気になったのは、「ポストクロッシング」という海外の人とポストカードを送り合うサービスです。調べてみると、ランダム性があり、ポストカードからさまざまな国の匂いを感じ取れそうで、楽しそうでした。

『パッキパキ北京』感想

わたしが初読、再読を通じて、菖蒲の楽観主義が限界を迎える物語と感じました。

参加者の感想では、風土文化の描写は何を意図されたか、菖蒲独自のネーミングに自己中さを感じた、キャラが記号的、ユニークなシーンが多い、ギャルマインドを参考にしたい、菖蒲はアグレッシブだが優しい、インスタント友人という考え方が目新しいなどがありました。

読書会は中国の文化方面に話しが進み、作品に登場した事物や映画や時事的な話題に展開しました。作品を深く読むのではなく、周縁(今回であれば中国)を深堀りするのは、読書会では珍しいように感じました。

1冊でも派手ですが、並ぶとまたド派手です。

菖蒲と阿Q――楽観主義の果てとは

本作品の冒頭から、主人公・菖蒲の生き方が提示される。

なんかむなしい。ってのを私は経験したことが無くて(中略)私が楽しみを見つけるのが上手いからだ。

『パッキパキ北京』3頁

北京での駐在が辛くて「適応障害」になっている夫とは対照的に、彼女は「パッキパキ」に北京を遊びつくす。それは観光名所をめぐるのではなく、日本での生活の延長線上にあるように、日常的な楽しみである。

たとえば、ショッピングで有名ブランド品を買ったり、オンライン通販や出前を楽しみ、地元の料理店で奇妙なものを食べ、インスタントな友人を見つける。

その有様が本作品の魅力であり迫力だ。欲望を肯定しつくした生き方は爽快で、眉をひそめたくなるようなことも、中国という大らかな国では受け入れられているように感じさせる。

この作品に暗喩として登場してくるのが、阿Qの精神勝利法と対症療法的工事である。

阿Q正伝はこの2冊が手に取りやすいです。

前者は魯迅の作品を菖蒲の夫が引用したもので、持たざる者が妄想で相手を打倒している様を言う。現実を改善しない気分だけの勝利の末路は、彼の死であった。それこそが魯迅の啓蒙であったと言っている。

後者は住居に問題が起こった際に、現在の問題だけを解決して、将来に起こる問題は考慮しないものである。水漏れを防ぐ工事が、春先の悪臭と虫害を招いた。それはロシアンルーレットと表されて、誰かが貧乏くじを引くものだが、彼女はそれを引かないと信じ切っているようだった。

さて、彼女の北京ライフを見ると、最初は世界的高級ブランド品を集めようとするが、どこに行っても同じようなものばかりで、物足りなさを感じているようだ。52頁では「日本で買えない物ばかりでスーツケースをずっしり埋めたい」とし、142頁で友人に帰国することを連絡しながら中国国内ブランドの高級品を自慢するが、「有名なの?」と白けた反応をされて、その物の輝きが無くなる。

ブランドはキュビズム的?

ここで彼女はブランドの威光を再度自覚させられる。本作品はそれの繰り返しでもある。

彼女は自身の「短絡性」を、物事の本質を最短で見抜き真理に到達するものと考えている(106頁)。しかし、上記のようにブランドなど俗物的な価値観に支配されている(あるいはそれが真理である)。

そこに二面性を感じる。たとえば、駐在員との会食で故宮のことを語ったとき、「ウソでもいいの、その場の雰囲気が一番大事なの」(119頁)と言いながら、工事の結末に「いくら楽ちんでも、その場しのぎは、その場しのぎでしか無いじゃない」(125頁)とも言う。

その果てが143頁で感じるブランド品への消費行動の虚しさと、「シャネルが無くても完全勝利できる女」という精神勝利法であるが、「アタマ大丈夫?」と言われているように、それは何ら解決にはならない。

少なくとも、菖蒲が求めているものはそこには無いと感じた。本当らしい部分は、子づくりによってニキビができることへの嫌悪感、それと愛犬・ペイペイへに自己投影、そして想像以上に夫を気に入っているのではないかという点である。

ペイペイについては、自由奔放であったが阿姨に手懐けられて「お手」ができるようになってしまったこと(135頁)への失望、夫についてはコロナ罹患時の献身と87頁で春節の夜に感じていた孤独。

おそらく、菖蒲はもともと精神勝利法を持っているのである。それが冒頭の女子会や実家との戦いであり、彼女の生き方である。それを肯定してくれるぎらつきは、自己肯定をする体力が何歳まで保てるか。

それは現実と向き合わない戦いである。幸せの青い鳥は近くにいる、灯台下暗しとも言いますが、見えないものを見ようとするのではなく、見えてるものを見ないふりすることには限界がある。彼女はどう生きるのだろうか。それが楽しみだ。

どんな月を眺めるのでしょうか。

昼食会

今回は中華料理を食べることだけは決めていたのですが、お店は未定でした。何店舗か候補があったのですが、自己紹介で名前が挙がった京華樓が鶴屋町にあったため、そちらへ行きました。

お客さんに中国語を話している人もいて、少しだけ中国を感じることができました。また、値段もお手頃で、味もよかったです。

豚肉の四川風炒めをいただきました。見た目ほど辛くはありません。

今後の予定

3月は『タタール人の砂漠』読書会を行いますが、こちらはありがたいことに満席となっております。

4月には近刊小説の読書会と需要があれば文芸サークル的活動を始められたらと考えております。

引き続き、よろしくお願いいたします。

よい週末を

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