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2022.5.8 SUN ゴールデン ハズ ゴーン

ゴールデンウイークの休みに息子が帰省してきましてね。
「学割」ってものに思い至らず、みどりの窓口で「広島まで」って言って新幹線で帰ってきた。大名帰省。しかも乗車券で新白島まで乗れたのに広島駅で降りて歩いて帰ってきた。いろいろ初心者。


3月末に息子を寮において帰ってきて、からっぽになった息子の部屋で号泣して、息子の残してったマグカップ見ては泣いたりしていた。
知った人誰もいない。誰とも話さない。ごはんない。寂しいだろうな・・・
しかしそれは入学式までの数日だった。
入学式の朝、ネクタイ結べた自撮り写真をピロンと送ってきた。
「いってくるぞ!」
その顔は緊張気味だったけど、朝ちゃんと起きて支度できたんだな、という些末なことでほっとした。
初登校のバス停で待ってる新入生らしい人に声をかけたらおんなじ学科で、趣味も同じで意気投合したとか、クラスのみんなとお昼ご飯食べたとか、漏れ聞く話がどんどんイキイキしていくのがわかって、ああもう大丈夫と思ったね。

それでもなんとなく顔が見たくて、足らずの生活用品を届けるという口実でいそいそ会いに行った。たった2週間しか経ってないのにね。
迎えに行った車に乗り込んで、「おー!久しぶり!」なんて、なんだかちょっと大人びたんじゃない?
堰を切ったようにサークルのこと、友達のこと、授業のこと、いろいろ話して聞いて、ああ、ほんとに楽しそうだなぁと思った。
そしてそんなふうに、自分の選んだ道を走り始めた息子の口からいろいろ聞くのはほんとうに楽しいなぁ。ずっと聞いていたい。

だからお客さんなどから
「息子さんいなくなって寂しいんじゃないですか」
などとお声がけいただいても、ええまあ、なんて言いながら
何言ってんですか、とっくの昔の感情ですよ、
やつはもう走り出してるんすよ、こっちもうずくまってられないじゃないすか、という感じだ。

なので、空っぽの息子の部屋に入っても、もう泣いたりしてません。

朝晩、息子の部屋のカーテンを開けたり閉めたりしている。
朝、しゃっと開けて朝日を見ながら
「ああ、今日も一日、楽しく過ごせますように」と思い
夜は「今日はどうだったかな、楽しかったかな」と思う。
これはもしかして祈りかな、と気がつく。
義母が昔、仏壇に向かいながら
「お父さん、みんなを見守ってよーって言いながら、一人ずつ順番に名前を呼ぶんよ」と言っていた。
今日一日、無事に過ごせますように。
義母だけでなく、母も祖母もそうなんだろう。そのまた知らないご先祖もそうだったと思う。そういう祈りが空気のように自分を包んでいてくれたおかげで、ここまでやってこられたのかなと思う。
じゃあ、
日々ニュースの中で殺されていく遠い国の人々や、事故で失われた命なんかは、その祈りが足らなかったのか? そんなわけあるかよ。
祈りが、ぼう然と立ち尽くしてるように感じる。
祈りなんて、意味がないのか?無力か?
そうとも思えず、それしかなく、やはりどこかに向かって願う。
大事な人の無事と、殺されないように死なないように
早く戦争終わりますように。

そしてゴールデンウイーク。息子帰ってくる。やっぱりいそいそしちゃう。
「なにがたびたい?」
ってLINEしてみた。
「居酒屋しほり」
と返ってきた。

「居酒屋しほり」とはうちでたまに開店する店で、
つまり疲れ果てて晩ご飯作りたくない母が勝手に開く一杯飲み屋なのだ。
帰りのスーパーで適当に刺身やら唐揚げやら買って帰り、板わさだの珍味だのをちびちびやりながら大人は飲む。息子には
「はい、カルピスソーダ割り、800円ね!」「高っ!!!」などとぼったくる。
社長(息子)と部下(オット)とママ(母)という設定でくだらない世間話でだらしなく笑うのだ。

こいつには「おふくろの味」って概念がないんだなぁ。
「肉じゃがはやっぱり母さんのほうがうまいね」なんてことも言わないと思うので、未来の妻さんよかったね。結婚するのかどうか知らんけど。

ということで料理の腕に縒りを掛けるということもなく、いつもの晩ご飯や朝ご飯の日々でした。何を話すということもなく何となくしゃべって、へーとか言いながら楽しかったです。高校の時の友達と遊びに行ったり、買い物に出かけたり、あっという間に休日は終わり。

5/5連休最終日、パパちゃんは仕事、かーちゃんは尾道へ。ということで駅のホームで電車に乗って行ってしまう息子を見送る、というシチュエーションでなく、「行ってきまーす」と出かけたので涙は出ませんでした。

夜帰宅すると、また息子の部屋はがらーんと空っぽだった。
ああ、帰ったんだな
しみじみしてると先に帰っていたオットが
「布団とか俺が整えたんよ、そのまんまで出ていっとったもん」


尾道へは今川玉香園茶舗さんの「蔵開き新茶カフェ」に参加しに行った。
コロナのせいでずっと蔵は開けず3年ぶりの開催だ。
ちょっと早く着いたので小腹を満たそうかなと思ったが、尾道駅前はUSJかと思うような人混みだった。店はどこも大行列、海岸はコパカバーナ並の人だった。もうみんなコロナ飽き飽きしたんだよね。なんか弾けとんでる様子。結局街外れの喫茶店でワッフルを頼んだが、どうして私はシンプルなバターワッフルにしなかったのだろう。長らく待ってやっときたチョコベリーワッフルはチョコソースの海に浸かっていた。チョコが糸引くんだよ。血糖値爆上げで今川玉香園茶舗さんの蔵へ。

京都宇治南山城の品評会出品茶畑のおひ芽様。
お育ちが違う。

新茶を2種飲み比べ、
炙りたての鶏卵饅頭を楽しみ、
亭主自ら淹れたとんでもない玉露に吃驚する。
あああ久しぶりな喜び。

この蔵に初めて伺ったのは何年前だったかなぁ。
座布団に収まる赤ちゃんだった息子と一緒に行った。ヒマを持て余した小学生の息子をお父さんが釣りに連れてってくれたこともあったなぁ。

今川さんもご家族も蔵も、変わらず普通に、さりげなく、過不足なく、奇をてらわず、ぎょうぎょうしくなく、おもしろく楽しく、綺麗ですごかった。

久しぶりにお目にかかった友人たちもそうだった。

彼らのいいと思うもの、感銘をうけるもの、美しいと思った。
普通にしてるのに、にじみでる清潔さ。そういう人たちと生きていることを誇りに思ったし、自分もそうありたいと思ったなー。

ああ綺麗、ああいいな、
そしてさもしさを忌み、新鮮でいたい。
息子やいろんな人から教えてもらったゴールデンだった。

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