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2020冬の台湾茶が届いた

Teabridgeの浦山さんから冬の台湾茶のサンプルが届いた。

体調の良い、空腹すぎず満腹でもない晴れた日の午前中が、自分の舌がちゃんとしてるタイミングだと思う。

テイスティングのやり方はいろいろある。
大きめの茶碗に茶葉と熱湯をいれて3分とか5分とか長くつけ置き、スプーンで茶液をすする、とか。
するとそのお茶のお育ちとか造りとか、いいとこも悪いところもすべて茶液の中に読み取れる(ようになるらしい)。

でもうちはお茶喫茶なので、お客さんに提供するのと同じ状態で味わう。
蓋碗で1分、で何煎か続けて飲んでみる。ちょっと休ませて冷めてからまた湯をさして淹れて飲む。茶液も冷まして飲んでみる。蓋碗の中も蓋もくんくんする。冷めてからもずっとくんくんする。
本当はお客さんは蓋碗使えない方も多いので雲間では茶壺(急須)でお出ししている。急須の素材によっては味と香りがずいぶん変わるものもある。
蓋碗はそのお茶の味と香りを一番ストレートに出してくれる道具だと思う。

届いたサンプルの中から、近しいもの、例えば発酵度が軽めで焙煎のない青々しいものとか、そういうのを2つ、あるいは3つ一度に淹れる。
単体で飲んだらただうまいばっかりなんだけど、比べるとよくわかることがたくさんある。

あれ、だったら春のあれはどういう位置づけなのだろうか?
と、似たような過去のお茶も持ち出して同じ条件で並べて飲んでみる。
季節の違いがよくわかる。

これをお客さんに勧めるとしたらどういう表現になるだろうか。
まるで焚き火を飲んでるようだ、体の中に火が灯るな、
あれ、香ばしいのであれば日本の焙じ茶とどういう位置づけになるのかな。
焙じ茶を淹れて飲んでみて納得する。どちらがいいという話ではない。
こういう作り方を経ているからこその重厚な豊かさだし、軽やかなものは食事時にとってもいい。暮らしのどこで味わいたいかを想像する。

さんざん湯をさして戻りきった茶の葉を広げる。

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なんて丁寧に摘んであるのだろう。
畑で、こういう姿で育っていたのか。
11月、少し寒気が入った冬の畑で、それでもこんなに柔らかくのびやかな芽が育つのか、台湾の山では。遠く遠く思う。

ひとりで
しかしずっと心の中でしゃべっている。饒舌に。
すげー!
うめー!
なんじゃこりゃー!
きれーい!
うまーい!

そして
なんでお茶の葉っぱから、こんなふうに、蜜とか、白い花とか、そういう香りが立ち上がってくるんだろうかという不思議さに打たれる。

理屈では知っている。細胞の中の酵素反応によりうんぬん
作業工程も知っている。摘んでまずは広げて風をあてて
だけど
毎回毎回、どのお茶もどのお茶も
なんでこんなにいい香りがするんだろう
なんでこんなにうまいんだろう
なんでこんなに美しいんだろう
なんでの嵐の前にひざまづきながら、目を閉じて息を吸い続ける。

たぶん一生その謎は解けない。解く必要もない。
なんでの海に溺れたい。答えはいらない。ただただ香りたい。

湯気の中でひとり、恍惚の時間だ。
ずっとこうして遊んでいたい。湯さえ沸いていればもうなにもいらない。

なんてね。そうはいかない。

どのお茶を注文するのか決めてお願いしなくてはならない。
台湾茶好きの方々が楽しみに待っている。
急須の蓋をあけて中の香りをかいだ瞬間の
お茶を飲んだ瞬間の
あのぱあっと晴れていくような顔。
この世で一番美しい瞬間じゃないかと思う。

こういう美しいものばっかりで生きていきたい。


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