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死に逝く者「叔母の場合」

今朝、神奈川に住む妹から電話があった。福島県いわき市に住む叔母が亡くなったということだった。92歳だった。長生きしたが、最期の認知症で10年以上、施設で寝たきりだった。叔母(僕の父の妹)は、作家の星新一の父親・星一(ほしはじめ、明治時代の製薬王)の本家(星一の生家)に当たる星家に嫁いだ。

その夫である叔父は、動物病院を経営しながら市会議員(社会党)を務めた。その後、地元で幼稚園の理事長として運営を行なってきたが、平成29年(2017)に冬の浴室で急死した。

最相葉月さんの著書「星新一1001話をつくった人」は、星新一の伝記だが、この中には生前の叔父が最相さんの取材を受けて数カ所に登場している。

いつだったか、叔父は盛んに都内にやって来ては、僕の妹に「いわきに来て幼稚園を手伝ってくれないか?」と言った。僕の妹は僕と違って子どもの頃から勉強ができて、人当たりも良くて親戚中に好かれていたから、幼稚園経営に何か貢献できただろうと思う。

反面、僕は、甘やかされて育ったせいなのか、我が儘で金ばかり使う“ロクデナシ”と親戚中から嫌われていたから叔父から声をかけられなかった。

あのとき、妹が「いわきに行って幼稚園を手伝う」と言っていたら、叔父は助かっていたかもしれないと思ったりする。

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その叔父は、気の強い叔母に頭が上がらなかった。尻に敷かれていた。実際に幼稚園を仕切っていたのは叔母だったかもしれない。そんな現場を何度か目撃したことがある。

叔父夫婦には娘がふたりいるが、長女は早世した。その長女の葬儀の日に、手伝いに来た幼稚園教諭たちを大声で叱り飛ばしていた。叔父は「まあまあ、手伝いに来てくれているんだから…」と叔母を宥めるのだが、叔母は言うことをきかなかった。より一層大声で彼女たちを叱っているのだった。

そんな気の強い叔母が認知症を患ったのは10年以上前のことだ。叔父は叔母を受け入れてくれる施設を探し回り、ようやく見つけた施設に健気にも毎日通って看病していた。

叔父の葬儀に出かけた僕たちは、叔母の施設にも立ち寄った。僕たちが部屋に入ると横になっていた叔母が目を覚まして僕と妹を見た。その目は生気がなくトロンとしていたが、しばらくするとハッと気づいたように微笑んだ。僕は叔母の頭を撫でて叔母の目を見つめた。

叔母は叔父が急死したことも理解できずに僕たちを見て笑っていた。

叔母が僕に言う口癖は「かっちゃん、元気かい?」だったが、そのほかにもひとつだけ、記憶に強く残る彼女の言葉がある。それはひどくたわいのないものだった。

あれは、僕が大学生の時だった。猪苗代湖の畔にある父の実家に親戚が集まったときに叔母が話しかけてきて「かっちゃん、ご飯作るのは大変だっぺ?」と言うので、首を横に振って「ううん。でもね、カレー作った鍋を洗うのが大変で…」と言ったら「洗剤なんかで洗わねぇで、熱いお湯かければ落ぢっぺよぅ」と叔母が笑った。

あの言葉が、今でもカレーを作るときに思い出すのだ。

叔母さん、そっちで叔父さんに会えたかい? 叔父さんにもよろしく言っといてね。そうそう、親父やお袋にも「元気でいるよ」って伝えてちょうだいね。



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