心配性で楽観主義者のわたし:中国での生活と将来への思い
わたしは心配症で楽観主義者です。
日本に帰るたびに「いつまで中国で暮らすつもりなの。そんなことをしていて老後の準備はできてるの?」と友人や近所の人に言われます。
周りの人から老後のことなど言われるまでもなくいつも考えています。
もう年齢も50歳を越えたし、体力も衰えてきています。
さらに、この数年の中国でのヌルい暮らしのせいで、日本の規律正しくお客さまを神のように扱う仕事環境には馴染めないでしょう。
日本に帰っても必要な経費を稼ぐのは楽なことではないはずです。
くわえて、わたしには人と違う個性などはなく、能力も知力も平々凡々。
見た目にカリスマのかけらもなく、しょぼくれたオッサンにすぎません。最近は髪もわたしを見限ったのか少なくなってきました。
そんな魅力にも能力にも欠ける自分がいろいろなことを心配してしまうのは当たり前のことなのです。
でもだからといって悲観主義者ってこともありません。むしろわたしは楽観主義者です。
今までもできる最善手を選んできたわけではありません。もっと効率的な道もありましたし、あのとき別のルートを選んでおけば今はこんな苦労をすることもなかったと思うこともあります。
でも、デッドエンドやバッドエンドを迎えたわけではありません。
今日もそれなりに楽しく暮らしていますし、今後もきっとまぁまぁ幸せに暮らせるのだろうと思います。
もともと「なんとでもなる」という考え方でしたが、中国での暮らしを通して楽観主義が加速したような気がしています。
いろんなことを心配しながらも、それなりに今を楽しみ、精神的な平衡感覚を保てていることをありがたく思っています。
とはいえ、何もしないと不安の気持ちが強くなることがあり、いちど負の感情が優勢になるとコントロールするのが難しくなってしまいます。
それで、今まで通りできることに取り組みながら、チャンスを待つっていうのがよいのかなと思っています。
今は転職したばかりで、仕事も少なく給与もほぼゼロに近いのですが、時間だけはしっかりとあります。
だったらということで、中国人が大好きなパワポを使って授業用の教材を作ったり、教案の内容を整理したりしようと思っています。
ここで行う努力が実を結ぶかどうかすらわかりません。
でも、今までも思いついたことや、できることに取り組んできただけですが、生きてこられたので、この方法で挑戦し続けたいと思っています。
こんな話を中国人友人にしたら、自分たちには無理だな~リターンがないかもしれないことに取り組むのは時間の無駄のような気がするって言われました。
わたしだってリターンがないとわかっていることに時間や労力、さらに資産をつぎ込むのは無駄だと思います。
でも、可能性があると感じていて、挑戦する余裕があるならやってみる価値はあると自分は思えるんですよね。
今日はそんなことを考えていました。
今日も最後まで読んでくれてありがとうございます。また明日~
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