見出し画像

授業で「どちらでもかまいません」とか「簡単ですね」と言える日本語教師が嫌いなお話

日本語教師をしていて使わないように気をつけている言葉がいくつかあります。

例えば「どちらでもかまいません」とか「簡単ですね」とかは使うのも嫌ですし、言われるのも嫌いです。他にもいくつかありますが、どうして「どちらでもかまいません」と「簡単ですね」が嫌なのかについて説明します。

「どちらでもかまいません」って無責任だろ

妻がわたしに「知らんけど」って口癖やめてと言います。

なぜなら無責任な感じがするからだそうです。こちらは口癖なので無意識に使ってます。まさに知らんうちに知らんけどと言ってるようです。(知らんけど

こうやって意識的に「知らんけど」を使ってみると、確かに無責任なイメージがありますね。同様に「どちらでもかまいません」も無意識に使われ気味で、さらに学習者からすると「どっちでも良いんだ!ヤッター」とはならないフレーズです。

例えば「東京へ行きます」でも「東京に行きます」でもどちらでも良いと説明する日本語教師がいます。確かにどちらも使っても意味は同じです。でも学習者からすると言葉が違うので意味も違うのではと考えてしまいます。

他にも「バスケがしたいです」でも「バスケをしたいです」。どちらでも良いという説明も聞いたことがあります。私としては「バスケがしたいです」を強く推したいところです。理由は省略します。

さて、このようなどちらを使っても同じと言い切っても良いようなことを教える際に、使い分けを指導できるのが教師なのではと思います。その説明を省略して「どっちでも良いよ」なんて言うのが嫌だし、他の教師がそれで乗り切ろうとしているの感じると「仕事しろよ」って思っちゃいます。

デートでなに食べたいと聞かれて、何でも良いよと答えると気まずくなるのを知らないのかと問い詰めてやりたいです。

「簡単ですね」って言うのは教師の側ではない

さらに教師がどや顔で説明した後「簡単ですね」と学生に問いかける姿を見る度に、ダメだこりゃと思います。

教師としては、簡潔明瞭に説明したつもりなのでしょう。また自分の得意分野について教えているわけですから、簡単だと確信するのも理解できます。

でも、教師の仕事はドヤることではなく、学習者(学生)を進歩させることです。学習者に積極的で良い変化を与えるのが教師の仕事なのですから、教員の指導によって学習者が思ったよりも簡単に成長できたと思えたのであれば成功と言えます。

ですから「簡単ですね」と言うのは教師の側ではなくて、学習者の側です。

もし指導を受けている側が「今日はわかりやすかったです」とか「すぐに理解できました」と言ってくれたなら「あなたたちの能力が高いのでしょう」とか「真面目に授業に取り組んだからですね」とニコニコ顔で応じつつも、今日はちょっと良いビール買っちゃおうかな〜なんて思うくらいがちょうど良いのです(知らんけど

どちらも意味のない癖なのかもしれない

毎週、数多くの模擬授業に参加していて「どちらでもかまいません」とか「簡単ですね」というフレーズを何度も聞きます。

模擬授業で頻発すると言うことは、もしかするとこれらのフレーズは単なる教員側の癖で、本当は深い意味のない言葉なのかもしれません。

しかし、授業を受ける方にそれを判断する能力はまだありません。どちらでも良いと説明をうけて、じゃあどうすれば良いのだと途方に暮れるかもしれません。また「簡単でしょ」と言われて、全然わからないぞと不安に思う人もいるでしょう。

それで、もっと相手の身になって説明する能力を磨かなければと感じています。影響力のない教師なんて、何の意味もありません。変な教師に時間を使うより、教科書を自分で読んで考えた方が、はるかにマシです。

そんなわけで、自分のお仕事「日本語教師」における現状の力量を見極めて、意味のない、もしくは良い影響を与えないことばを発しないように。そして相手のためになる授業を準備したいなと思っております。

来週も頑張って行きましょう。
今日も最後まで読んでくれてありがとう。また明日。

ぜひぜひ、サポートをお願いします。現在日本円での収入がなく、いただいたものは日本語教材や資料の購入にあてます。本当にありがとうございます。