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シンプルに生きるのは難しいなと考えていたら、アンディ・ウォーホルを思い出したお話

使ってるモノだけを所有するって難しいです。

昨年の12月からモノを処分し始めて、引き出しのなかはスカスカになりました。そもそも日常的に使うものはバックパックにすべて入ってます。

このバックパックだけを持ち出せば、日本へすぐに帰ることも可能ですし、中国のどこにいても仕事ができる状態になりました。

もちろん普段使いしている食器や衣類は持ち歩いていません。でも、そういう日用品は、緊急時に絶対に必要ではないし、必要ならすぐに調達することができます。今はスペースがあるので、所有物を今すぐ処分する必要もありませんが、いざとなれば切り捨てる対象になると思います。

ただ、この「いざとなれば」というのが、言い訳になってるような気もします。

もう、とっくにシンプルに生きることができる。さらに、シンプルであることが楽であることもわかっているのに、なぜか使ってもなく、存在を忘れているようなモノを処分することが難しいんです。

もう何年も使っていないガジェットや、ケーブル類。サイズの合わない衣類、良くわからないファイルや文房具など、捨てたって生活は変わりません。だって、使っていないのですから。

ゴミ袋に入れるのが一番簡単で、手っ取り早いことがわかっているのに、使えないものを無駄に分別してポーチに入れたりします。そして、そのポーチは恐らく今後も開かれることはないでしょう。

この心にかかっているブレーキを緩める、もしくはロックを解除しない限り、これ以上先には進めないような気もします。

しかし、自分ではブレーキを緩める、もしはロックを解除したつもりでも、ブレーキや鍵をぶっ壊してしまい、極端なミニマリズム信奉者になってしまうのも恐ろしく思います。

ただ、この自己分析も結局はシンプルになれない自分の言い訳かもしれないと思ってます。

ガジェット大好きな中国人の友人がいます。

思い切って彼にメールをして、休みの日に我が家に来て、好きなモノを持って帰って欲しい。そして、君が要らないものをゴミ箱に投げ込むのを手伝って欲しいと話しました。

今週は忙しく、我が家に来ることはできないようですが、2月中にはさらにもうひと段落シンプルに近づけるような気がします。

「今使っているモノを大事にする。それ以外は捨てる。」を原則にして、粛々と行動していこうと思います。

昔、アンディ ウォーホルが亡くなったとき、彼のアパートには、ベッドとテーブル、そして聖書くらいしかモノがなかったと読んだ気がします。

その本を読んだときは何も感じなかったのですが、ポップ カルチャーの旗手と呼ばれたウォーホルがそういう暮らしを最後に選んだのは何故だろうと思うと、自分もシンプルを実践したいという気持ちがわいてきました。

さて、どうなることやら。
今日も最後まで読んでくれてありがとう。また明日。

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