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サステナブル・ミー〜「持続可能な自分」のための快適日常

(写真は「やすらぎの里」でいただいた、発酵調味料が入った薬膳カレー)
「持続可能=Sustainable」という言葉を今年は以前にも増して耳にするようになるだろう。年明けから、持続可能だと信じていた伝統の町々が、持続不可能に向かう悲しい様を目の当たりにした。

持続可能性は自分の研究テーマで、修士論文のタイトルは、『持続可能な地域社会に資するサーキュラーエコノミーの研究ーフィンランドと日本の比較からー』というものだ。これは地域についての論文だが、持続可能性は人の生活にも当てはまると思っている。

私が考える「持続可能な生活」を簡単に言うと、フィンランドで学んだ「快適さを追求する」ことだ。まずは健康。当たり前だが病気になると快適さは奪われる。だからこそ健康に気遣って、自分を長持ちさせる。

「長生き」というより「長持ち」。そこには「生産性の維持」の意味を込めている。仕事や家事、趣味、社会活動などを今まで通り続けられること。「健康年齢」と意味は近いかもしれない。それからすごく大事なことは、無駄なものを買ったり置いたりしないこと。それが快適さに直結する。

自分の持続可能性を意識するようになって、家事がすごく楽しくなった。朝起きて、お茶やコーヒーをわかしたり、片付けや掃除をしたり、料理をしたり。なんでもない日々の営みをすごく楽しめるようになった。

特に料理は、食材の買い物を含めて楽しい。昨年秋、車を手放して以来、買い物はエクササイズの一環になった。2キロ離れたお気に入りのスーパーにリュックを背負って行き、まず新鮮な魚をメニューを考えながら選ぶ。献立が決まったら次は必要な野菜やその他食材を選ぶ。ご褒美に店手作りのごまプリンかほうじ茶プリンを入れるのを忘れない。そんな一連の流れが、じんわりと楽しい。

買い物はだいたい3日から4日分のものを買う。家にいないことも多いので、行っても週に1回、多くても2回だ。そのときに食べたいものを買って、想定メニューを作り終わった後は、冷蔵庫の残りで何を作るか、クリエイティブ脳が発動する。

毎日必ず発酵食品(最近は甘酒+豆乳がマイブーム)、海藻、キノコ、根菜を採るようにしている。夜は主食は基本食べず、代わりに具だくさんの汁物。お米は土鍋で2合を炊いて、小さめのお茶碗一杯分を小分けにして冷凍してその都度レンチン。ちなみにうちには炊飯器がない。1人暮らしには保温機能のついた炊飯器は基本必要ないと思う。

お酒は1人の時には基本飲まない。でも結構来客があるので、そのときにはしっかり飲む。あと、たまの「ご褒美飲み」というのがあって、そのときには1人でも飲んでしまうけど。

かなり健康的な生活だと自分でも思う。でも特別に我慢しているつもりはなくて、これが自分にとって快適なのだ。それと、もうひとつ、大きなモチベーションがある。

それは、今後何か深刻な病気になったとき、「ここまでやってるんだから、仕方ないよね」と納得できる自分でいたいのだ。「あれが悪かった」「これをやっていればよかった」などなど、不摂生を悔いることはしたくない。病気になればそれでなくても落ち込むのに、自責とか後悔を感じれば、それがストレスになってさらに悪化し、果てしなく落ち込むことがわかっているからだ。

4年前の顔面麻痺の時がそうだった。身体のサインを無視して仕事をした結果だった。病床で1人、後悔した。あんなことはもうしたくない。

持続可能な自分、サステナブル・ミー。快適さを追求しながら、自分を長持ちさせる。そしてそれをめいっぱい楽しむのだ。

明日から関西へ。久々の大阪を満喫しようと思う。その土地ならではのサステナビリティを発見できたらいいな。


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