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文学賞の最終選考に残ると、何が起きるのか

 noteビギナーは自己紹介から始めるのが定番のようですが、自分の職業について知られたくないという諸事情があり、迷っていました。
 しかも、今までの経歴も変わりすぎているため、知り合いにすぐに特定されてしまいそうで…。

 そこで、自己紹介がてら、文学賞の最終選考に残った時の話をすることにしました。noteには小説家を目指して文学賞に応募している方も大勢いらっしゃるので、参考にしていただければ幸いです。

応募したのは新しい文学賞

 私が応募したのは小学館の「第3回 日本おいしい小説大賞」です(2021年)。
「日本おいしい小説大賞」は、食をテーマとする小説の文学賞で、ジャンルはミステリーでもファンタージーやSFでも、歴史小説でも何でもOKでした。
「でした」と過去形なのは、3回で賞が終了してしまったからです。またチャレンジしたかったのに、残念。
 審査員は直木賞作家の山本一力先生、京都にまつわるエッセイや小説を執筆されている柏井壽先生、映画『おくりびと』で日本アカデミー賞の脚本賞を受賞された小山薫堂さん。

 私は『羽釜の神様』という作品で最終選考に残りました。
 この文学賞に応募しようと思った理由の一つは、食は自分が得意なテーマだったからです。
 そして、小山薫堂さんが審査員を務めていることを知り、「普通の文学賞とは違って面白そう!」と思ったからでもあります。

 
 大賞賞金は300万円なので、それなりに大きな規模の文学賞ですね。その規模の文学賞では、最終選考に残ってから、おそらく同じことが起きるのではないかな、と思います。

一カ月前倒しで審査結果は決まる

 どの文学賞でも、受賞の発表と同時に、受賞者の顔写真とコメントが文芸誌やHPに掲載されますよね。
 これ、いつ受賞者に知らされるのか、不思議に思ったことはありませんか?
 私は子供のころから、「雑誌の発売日の2週間ぐらい前に知らせるのかな?」と思っておりました。
 実際には、発表する一カ月前には決まっています。
「日本おいしい小説大賞」の場合、8月下旬に結果発表があったのですが、7月下旬に選考結果の連絡がありました。

 つまり、受賞が決まってから一か月間で写真撮影をしたり、コメントを考えたりしてるのですね。
 ちなみに、最終選考に残ったという連絡を受けたのは5月下旬。この時は総応募数が220作で、最終選考に選ばれたのは4作品でした。
 昔からある文学賞は応募総数が1万を超えるので、最終選考までも、最終選考からも、もっと時間がかかると思います。

最終選考に選ばれたことは口外NG!

 審査結果が正式に発表されるまで、最終選考に残ったことも、受賞したか落選したかも、すべて秘密にしなければなりません。
 これは最終選考に残ったと連絡があった時に、編集者さんから「8月の発表時まで、内密にしておいてください。SNSなどで絶対に公表したりしないでくださいね」と釘を刺されました。
「家族には話してもいいですか?」と尋ねると、家族にならOKとのこと。一緒に暮らしているパートナーは口が堅いのでそのまま報告して、実家の両親には文学賞の名前を伏せて、「ある文学賞で最終選考に残った」とだけ伝えました。
 コロナ禍だったこともあり、両親には明るいニュースを伝えたくて。そりゃあもう、大喜びしてくれて、ちょっとした親孝行ができました。

編集部からの連絡は電話が基本

 最終選考に残ったという連絡も、落選したという連絡も、メールではなく電話でした。
 ここで失敗したなと思ったのが、自宅の電話番号しか書いていなかったこと。応募する時は焦っていて、携帯の番号を書き忘れたんですね。
 そのため、一度で電話を取れず、編集者さんには何度も電話をしていただくことになってしまいました。
 皆さん、すぐに連絡が取れる電話番号を書きましょう!

 結果発表の日は最終選考に選ばれた時点で決まっていて、「7月〇日の夜7時ぐらいに審査結果が出ますので、その時間帯はなるべく電話を取れるようにしておいてください」と言われました。それを聞いた時は、「芥川賞か直木賞みたい……!」とひそかに興奮しました。
 ところが。
 審査発表の日は、予定よりも早く決まってしまったらしく、夜7時までに何とか自宅に戻ったのですが、留守電にメッセージが残されていました。
 その日のうちに再度電話がかかって来なかった時点で、「あ~、これはダメだったんだな」と思ったのですが、翌日、連絡があって、正式に落選したという報告を受けました。
 一日モヤモヤを引きずってしまったので、やはり当日に報告を受けるのが一番です。。。

最終選考で確認されたこと

 最終選考に残った時に編集者さんから確認されたのは、「この作品は、ネットや同人誌で発表した作品ではありませんか?」ということでした。
 文学賞の中には、「同人誌やネットで既に発表した作品は選考の対象外」という規定を設けているものもあります。
 これは、おそらくネットの投稿サイトで投稿した作品は、権利関係がややこしくなるのではないかということと、既に世の中に出して誰かが目にした作品は、「この受賞作、どこかで読んだことがある。もしかして、盗作?」と思われる可能性があるからかな、と推測しています。

10日間で小説を書き上げた

 普通、文学賞に応募する作品は何か月もかけて書き上げるものだと思いますよね。何回も何十回も推敲を重ねて、完璧に仕上げて、自信を持って応募するような。
 ところが、私は10日間で11万字弱の小説を書くという、無謀なことをしてしまいました…。

「第3回 日本おいしい小説大賞」の締め切りは3月31日でした。
 この賞のことを知ったのは1月末。
 その時点で既に締め切りまで2か月しかない状況でした。
 そこから一週間ぐらいで貝原益軒(江戸時代の儒学者)で行こうとテーマを決め、二週間ぐらいかけて貝原益軒の資料を取り寄せて読み漁り、ようやくプロットに着手したものの、益軒をどういう存在にすればいいのか、なかなか定まらず。
 あーだこーだと何回も何回もプロットを練り直しているうちに締め切り3週間前になってしまい、「今回はもう諦めようかな」と心が折れかけました。
 けれども、「せっかく準備したんだから、やれるところまでやろう!」と思い直し、ようやく「これでいける」とプロットが定まったのは、なんと締め切り10日前。
 そこから10日間で11万字弱の物語を一気に書き上げるという、とっても無謀なチャレンジをしました。

 そして、3月31日の24時直前に何とか送ることができたのです。
 3月は31日があってよかった…。
 30日だったら、間に合いませんでした。
 今はネットでの投稿だから締め切り間際でも間に合いましたが、ネットがない時代は締め切り日までに郵送しなければならなかったんですね。ネット万歳。手書きだったら、10日間で10万字なんて、絶対ムリでしたし。

 皆さんにはこんなバタバタは参考にならないと思いますが、「プロットをしっかり立てる」ことがいかに大事なのかは、参考になるかもしれません。
 プロットをしっかり固めておけば、最終選考まで持って行ける可能性が高くなる、ということです。
 
もちろん、才能のある方は、プロットを立てずに、いきなり書き出しても受賞できるのかもしれません。
 けれども、私のような凡人は、土台をしっかり固めるところから始めないと、勝負できるような作品を書けないのだと思っています。

本音を言うと、50点の出来の作品

 とはいえ、10日間で100点の出来の小説にすることはできませんでした。

「日本おいしい小説大賞」は文字数は16万字以内という制限がありました。
 つまり、10万字以上は書かないと選ばれるのは難しく、理想としては13万字ぐらいでしょうか。
 10日間では10万字超が限界でした。
 本当はもう1章書きたかったんだけれども、時間がなくて5章で断念。そのため、「急に終わらせた感」が出てしまい、これは小山薫堂さんにも柏井壽先生にも指摘されていますね。
 本当は、各章にタイトルをつけたかったんだけれども、それさえできずに、「1章」「2章」という番号だけ振るので精一杯でした。

 そして、『羽釜の神様』というタイトルを思いついたのは、締め切り日の朝です。そこから、羽釜に関するエピソードを慌ててあちこちに追加しました。なんていう力業。

 最後に、何とか一度だけ最初から最後まで読み通すことはできたのですが、やはり推敲は不十分で、投稿した後に読み直したら、「あ、あのエピソードを入れ忘れた!」とか、「あ、ここ、間違ってる……!」とあちこちで不備が見つかりました(涙)。
 最終選考に残ったという連絡を受けた時、動揺して思わず、「今からでも書き直せますか…?」と聞いてしまったぐらいです。
 編集者さんには苦笑されました。そりゃそうですよね。

 最終選考に残ったという連絡があってから、審査結果が出る2か月ぐらい、夢見心地で過ごせました。本当にもう、世の中すべてがキラキラ輝いて見えましたよ(笑)。
「いやいや、50点の出来の小説で、賞を取れるわけない」と思いつつも、「今、審査員の先生方は、私の小説を読んでくれてるんだ……。『大賞はこの小説だ!』って、興奮してたりして」と、楽しい妄想を膨らませていて。
 まあ、落選と共に夢から醒めるわけですが。

20年ぶりに文学賞にチャレンジした

 実は、文学賞に応募したのは20年ぶりぐらいでした。
 私が初めて小説を書いて文学賞に応募したのは、中学二年生の時でした。
 昔、『Cobalt』という小説誌があって、そこで「コバルトノベル大賞」の告知が載っていたのです。大賞は賞金100万円がもらえると知り、中学生にとって100万円は大金なので(何十年経った今でも大金ですが)、「応募してみよう」と思ったのが最初です。何て不純な動機。

 そして、生まれて初めて書いた小説で二次予選通過まで行き、『Cobalt』に作品名と名前が掲載されました。
 ただ、完全にビギナーズラックで、その後は何回応募しても落選続き。予選通過すらしませんでした。
 そこで「どうやら、私にはそれほど才能も運もないらしい」と悟りました。
 
 それから、文学賞に応募することはやめ、「カクヨム」や「小説家になろう」などで小説を投稿していたのですが、この賞のことを知り、応募する意欲がムクムクと湧いてきたのです。
 まさか、20年ぶりにチャレンジした小説で一気に最終選考まで行けるとは。
 いつの間にか、自分にはそれだけの実力が身に着いていたのだと分かり、貴重な体験ができました。

審査員の先生の評価は財産になる

 最終選考に残って一番ありがたかったのは、審査員の先生方の選評です。
 プロの先生方が私の作品を真剣に読んでくださって、評価もしていただける。こんな得難い経験はそうそうないでしょう。選評は何度も何度も読み返している、私の宝物です。

 先生方の評価を読んでいただければ分かるように、小山薫堂さんからは高評価をいただいたものの、山本一力先生からは「筋書きならぬ、人物造形に精進されたし」という手厳しい評価をいただきました。
 これは本当に的を得ていて、10日間では筋を追うので手いっぱいで、登場人物の心の動きまで描いている時間がなかったのです。だから読み手が共感できるほどの人物像にできなかった。

 そんな反省を踏まえて、今noteで投稿している『愛なんか、知らない。』を執筆しました。
『愛なんか、知らない。』は全編一人称にして、主人公葵の心の動きにフォーカスしています。そうやって、コツコツと実力を高めて、実績を積み重ねていくしか私にはないのだと、決意した作品でもあります。
 

終わりに

 文学賞で最終選考に残った時、しみじみと思ったのは、 「書き続けて来て、よかった」
 でした。
 何十年間も、何度も何度も悔し涙を流し、絶望的な現実に打ちのめされながらも。
 あきらめなくて、よかった。

 今でもその気持ちに変わりはありません。
 その後、仕事が忙しくなり、文学賞に応募する作品は書いていないのですが、またチャレンジします。きっと。

 私は書き続けます。
 小説を書くために生まれて来たのだと、信じているから。
 
 今、小説を書いている皆さんも、どんなに打ちのめされることがあっても書き続けてくださいね。
「自分にはできると信じれば、あなたはもう道半ばまで来ている」と、セオドア・ルーズベルトは名言を残しています。

 私達はみんな、道半ばまで来ている同志ということです。
 今歩んでいる道の向こうに、輝くばかりの未来がきっと待っていてくれますように。
 
 
 
 
 



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