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退院後一週間 備忘録

5月12日 日曜日

午前 退院する。今の妻と前妻との間の娘が出迎えに来る。娘とは病院前で別れ、妻とタクシーで帰宅する。

帰宅後、妻と近所のクリーニング店に行き、頼んでおいたコート類を受け取る。その衣類を持って妻は帰宅。私の方は普段の理容店に出向き、頭を刈ってもらい、顔を剃ってもらう。

帰宅して昼食をいただく。入院中は運動量が極端に少ないので空腹になろうはずもなく、形式的なものだ。

一服後、退院前に退院を見越して予約しておいた近所のマッサージ店に行き、全身を揉みほぐしてもらう。

帰宅して夕食をいただく。さすがに少しウロウロしたので昼よりは多く食べることができた。

5月13日 月曜日

通常通り出勤。通勤は行きは立ち、帰りは座る。エスカレーターのあるところは素直に利用する。普段は電車では座らないし、階段を利用してエスカレーターやエレベーターの類は利用しない。特に理由があるわけではなく、単なる習慣だ。

職場では責任ある立場の人が2人、それぞれ別の時間にやって来て入院に至る状況などを雑談風に話す。仕事はデスクワークなので、入院前後で特段変化はない。特にどうということもないが、メールが5000通超も溜まっていて、発信者別にソートをかけて、とりあえず半分くらいを削除する。人事のサイトで病欠の申請を出す。

さすがに帰宅すると疲れが出て、パジャマに着替えてとりあえず横になる。その後のことは記憶にない。

5月14日 火曜日

通常通り出勤。入院後半から下肢の筋力低下が著しく、痛みがある。座っているよりも立っていた方が楽なので、通勤は往復とも立つ。階段はまだ途中で何かあると怖いので、エスカレーターのあるところは素直に利用する。

帰宅時に病院に寄って入院費の支払いを済ませる。退院が日曜で会計が閉まっていたので、看護師からは後日支払に来るようにと言われていた。退院後一ヶ月を目処に設定されている外来日に支払うということでも構わないとも言われたのだが、余計な負債は無いに越した事は無いので、早めに片付ける。そういう意味では前日に済ませてしまいたかったのだが、雨で足元が悪かったのでこの日になった。

帰宅後、病院で受領した書類をスキャナーで読み込み、加入している生保にウェッブサイト経由で給付金を請求する。

入院中は気にならなかったのだが、左耳に耳鳴りがあり、音が妙な反響をして聞こえる。しばらく様子見。食事はまだ少なめ。

5月15日 水曜日

通常通り出勤。退院直後に比べると下肢の痛みは引いているが、まだ痛い。通勤は往復立ち、エスカレーターは使ったり使わなかったり。

夕食後しばらくして横になったら朝まで目覚めなかった。

5月16日 木曜日

通常通り出勤。通勤は往復立ち、エスカレーターは使ったり使わなかったり。午前中、職場を抜け出して、職場近くの銀行で用件を済ませる。これも退院前に退院を見越して来店予約をしておいたもの。予約のおかげで番号札を引いてから自分の番が来るまでは直ぐだったが、書類を提出してから事務処理が終わるまでの時間は予約の有無とは関係ないようだ。結局、30分近く銀行内のソファに座ってぼぉっと過ごす。

帰宅後、生保の担当者から電話が入る。お見舞いと入金連絡。14日の夜に申請した保険金が振り込まれていた。手術とかややこしいことがなく、前半はHCUで、後半は一般病床の大部屋でただ寝ていただけなので大した金額ではないのだが、それにしてもイマドキの保険事務処理が早くて驚く。

退院後最初のアイロンがけ。いつも自分の衣類は自分でアイロンをかける。単なる比較優位による。要するに妻のアイロンがけが気に入らないのである。文句を言うくらいなら、自分でやった方が諸々穏やかに収まる。アイロンもアイロン台も自分で選んだものを使っている。つまらないことが気になる質だ。

5月17日 金曜日

通常通り出勤。通勤は往復立ち、エスカレーターは使ったり使わなかったり。結局、未読のメールを解消する事はできず、1500通ほどを未読のまま残して今週の勤務を終えた。

夜、退院後最初の外食。職場には毎日弁当を持参しているので、外食の機会はかなり限られている。土曜日は午前中から陶芸教室に出かけるので昼に池袋界隈で粗末な食事をサッサと済ませるが、意識としてはそういうものは「外食」の範疇に入っていない。月に一度くらいは、と妻が主張するので、毎月一度、二人で近所の馴染みの料理店で食事をする。会計の時に次回の予約を入れて帰るので、今回も退院前から決まっていた予定。水曜日あたりから食欲が戻りつつあったものの、残さずいただくことができるかどうか不安はあった。いざ食べ始めてみると、その不安は杞憂に終わった。来月の予約を入れて帰宅する。

飲食店に関しては、私はそれほどこだわりがないのだが、妻の方はいろいろあるようで、店は彼女の選択に任せている。ちなみに彼女は60年近い人生において未だファーストフード店に入ったことがないらしい。マクドナルドのあの奇怪な味のするハンバーガーを知らずに現代社会を理解できるのだろうか。尤も、中学生の頃からその手の食事に馴染んでいる私がそういう難解なものを理解できているとも思えないのだが。

5月18日 土曜日

妻が出勤なので、家の中をざっと掃除してから、通常通り陶芸教室へ行く。来週は教室が休みであることと、徳利の素焼きが二本上がっていたので、前後の作業の段取り上、この日は素焼きの施釉だけで止めておく。

家の珈琲豆の在庫を切らしてしまっていたので、馴染みの焙煎店に寄ってマンデリンの深煎りとモカ・ハラーの極深煎を購入。入院以来、甘味に飢えていたので、駅前の老舗甘味店で小豆白玉をいただく。

腹が落ち着いたところで田端に行く。駅前にある田端文士村記念館を一通り見学して、そこで手に入れた散策地図を片手に近辺をウロウロする。記念館を訪れたのは初めてではないが、付近を散策するのは初めてだった。その地図がなければ、ただの住宅街なのだが、その地図のおかげで板谷波山が無名時代に猪口や茶碗を並べた屋台を出した場所とか、芥川龍之介邸があった場所とか、小林秀雄が田端で暮らしていたことがあるのとか、小杉放庵や室生犀星が暮らした場所がコンビニになっているとか、心持ち興奮気味に感心しながら1時間ほど歩いた。

田端から京浜東北線と埼京線を乗り継いで実家に行き老母のご機嫌を伺う。

こうしてとりあえず無事に退院後一週間を過ごした。下肢の痛みは軽くなったものの続いている。日常生活に支障があるような痛みではない。依然として厄介なのは、横になった状態から起き上がるときで、頭がかなりクラクラする。毎朝、起床に際して一旦座った状態で少し様子を見てからゆっくり立ち上がるようにして対応している。また、入院中から生々しい夢を見ることが続いている。現実の延長のようなものばかりで、嫌な夢だったなという感じが残る。脳挫傷と関係あるのかないのか、わからない。ふと、明日目覚めるかどうかも明日になってみなければわからないことだよな、と思う。それは私だけのことではなしに。

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