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原爆猛暑

原爆忌刹那の現青い空
(げんばくき せつなのうつつ あおいそら)

季語は原爆忌、夏。毎日暑い。それでも夜の虫の音が今晩になって昨夜までとは全く違うものになった。昨夜はやけに喧しかったが、夏の虫たちの鳴き納めだったのだろうか。我が家にはエアコンがないので、窓を開け放しているから外の空気の様子も虫の音も朝の鳥の声も、全てが風に乗って家の中を通り過ぎる。結局、今年もエアコンを買うことなく終わりそうだ。

たぶん1945年の8月も暑かった。特に8月6日と9日は局地的に多くの人が蒸発し、蒸発しなかった人も黒焦げになり、そうでなかった人も全身に大火傷を負うくらい暑かった、いや、熱かった。あの日、広島は晴天だった、らしい。朝7時過ぎ、抜けるような広島の青空に一機のB-29が現れる。気象観測機、Straight Flushである。7:15、同機がテニアンの基地に気象報告を送信する。それを四国上空を飛行中のEnola Gay(MK-1搭載機)、Great Artist(科学観測機)、写真撮影機のB29三機が傍受し、爆撃目標が広島市街地工業地帯に決定。8:09、Enola Gayは高度約9,600mから広島市街を目視で確認。原爆の影響を観測するためのラジオゾンデを吊るした落下傘三つを投下。8:12、Enola Gayが投下地点に到達、投下目標を相生橋に設定。8:15、MK-1自動投下。投下後、三機は急転回、急降下して原爆からの避難を図る。原爆爆発後も目標とされた相生橋は残ったが、爆撃の衝撃で橋梁は上下に各50cm振れたと推定されている。爆弾の炸裂はほんの刹那のこと。晴天はある瞬間を機に地獄絵図の世界へと場面転換する。それを思えば、エアコンがどうこうだの、「暑いねぇ」などと言っていられる余裕があるだけ今の暮らしはありがたい。

初めて広島を訪れたのは2012年2月。確か二泊くらいしたと記憶している。広島と長崎は一度は訪れないといけないと、ずっと気になっていた。かつて、外国の人と親しくなると必ず尋ねられるのが「広島と長崎は今、本当は、どうなっているのか」ということだった。行ったことがないけど、たぶんフツーの町だと思う、と答えるのだが、たまに呆れられることがあった。「おまえはそれでも日本人か」と。

2011年の暮れも押し迫った頃に当時の勤務先を解雇され、「パッケージ」と呼ばれる少しまとまった金と「失業中」というまとまった時間を手にしたので、気になっていたところに行ってみよう、と思った。形の上では2012年3月中頃までは勤務先に籍はあった(つまりその間の給与は支払われる)が、「ガーデニングリーブ」といって解雇が決まっている者は勤務先への接触が禁じられる。当時49歳だったが、まだリタイヤするわけにもいかず、独り立ちして生計を立てる才覚もないので、就職活動もしないといけない。ただ、解雇は初めてではなかったので「またか」という慣れというか諦観のようなものがあった。就職というのは相手のある話なので、こちらがガタガタしたところでどうこうなるものでもない。気晴らしに旅行というのは今から振り返っても良いことだった。

広島は、本当にフツーの町だった。ただ、フツーよりもお好み焼き屋が多い。一見して多い。東京で「広島風」お好み焼きというと中華麺が入るのだが、広島では饂飩か中華麺を選ぶようになっている。本来は饂飩なのだそうだが、他所の土地の「広島風」の影響を受けて中華麺を使うようになったという。どこの街にも飲食店が多数入居した雑居ビルがあるものだが、広島には「お好み焼き村」というお好み焼き屋ばかりが入居した5階建くらいのビルがあった。自分の身の回りの数名の広島人によると、東京で広島のお好み焼きを食べることができるのは神田の「カープ」くらいだ、という。広島で「お好み焼き村」にある「カープ」に行って、その話をしたら、「あ、それはウチの社長の弟がやってる店で、基本、関係ないんですけどモヤシはウチから送ってます」と言われた。広島のお好み焼きで大事なのはモヤシらしい。そんなことは身の回りの広島人は一言も言わなかった。よっぽど当たり前すぎることなのか、ボヤーっとしていて「広島」の何たるかも知らずに生きてきたか、どちらかに違いない。

せっかく見出し画像に広島に投下された原爆のレプリカの写真を掲載したのだが、話は原爆のことになりそうにない。初めて訪れた広島の印象は平和記念公園でもなく、原爆ドーム(ちょうど改修工事中で足場に覆われていた)でもなく、お好み焼きだった、というのは事実なのだからしょうがない。もう年齢も年齢なのでつまらないことで自分を取り繕ったりせずに正直に生きることにしている。

広島では厳島神社にもお参りした。早起きして、広島からJRで宮島口まで行き、そこからフェリーで宮島に渡る。海には牡蠣の養殖筏があちこちに浮いていて、広島と言えば牡蠣だったなと、その風景を見て思いだした。前日のお好み焼きの印象が強すぎてうっかりしていた。しかし、結局、広島で牡蠣を食べる機会はなかった。

宮島から一気に呉に行く。一気、と言っても広島で呉線に乗り換えないといけない。目指すは大和ミュージアム。呉に戦艦大和にまつわる博物館があるらしいということは知っていたが、それ以上のことは何も知らなかった。戦争関係よりも、大和の建造に関する技術的なことが詳しく展示されている。それほど大きな施設ではないが、ちゃんと見ようと思うなら一日がかりだ。それくらい濃厚な展示内容だ。尤も、私は王子の飛鳥山にある紙の博物館を観るのに2時間かかるタイプなので、「一日がかり」でも足りないかもしれない。

そんなわけで、大和ミュージアムは1時間ほどで切り上げて、後日改めて訪れることにした。その「後日」はまだだ。大和のすぐ近くに「てつのくじら館」という海上自衛隊の広報施設がある。入場無料。本物の潜水艦が施設の建物の前に鎮座している。この潜水艦は1986年に就役し、2004年3月に用途廃止となったゆうしお型潜水艦7番艦の「あきしお」だ。この施設は掃海と潜水艦の紹介を目的としたものなので、潜水艦は内部も公開されている。以前に横須賀にある三笠を訪れたときは、よくもこんな小さな艦で戦争ができたものだと驚いた。こちらでは、よくもこんな大きなものが海の中をウロウロできるものだと驚いた。あきしおは標準排水量2,250t、三笠の排水量(常備)は15,140t。三笠の方が遥かに大きいのだが、あきしおのほうが大きく感じる。印象は必ずしもデータとは重ならない。何をして「本当」と称するのか、「事実」とは何か、「真実」なんてあるのか、本当はひとりひとりがよく考えないといけない。

「広島と長崎は今、本当は、どうなっているのか」と尋ねた人は、広島や長崎の、外部の人間には知り得ない何かがいまだにあるのではないかと思って「本当は」と尋ねているのかもしれないし、単に言葉のアヤでそういう言い方をしただけなのかもしれない。誰もが知りうる本当のことというのは、本当は何もないのである。あるのは、ひとりひとりが自分なりに納得するそれぞれの本当だけだ。

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