熊本熊

1962年 埼玉県蕨市生まれ 今思うことのあれこれの備忘録 忘れちゃってもいいんだけど…

熊本熊

1962年 埼玉県蕨市生まれ 今思うことのあれこれの備忘録 忘れちゃってもいいんだけど なんとなく、ね。

マガジン

  • 読んだ・観た・聴いた

    本や雑誌などを読んで思いついたこと。書評とか感想は上手にまとめる人がたくさんいるので、そういうものはそういう人たちにお任せする。本の内容とは全く関係なく見えることも少なくないが、自分の中でつながっていることに間違いはない。たまに観る映画のことも同様に。

  • 2024年

    2024年に投稿した記事

  • 怪我病気備忘録

    単に備忘録として。

  • 2023年

    2023年に投稿した記事

  • 2020年

    2020年に投稿した記事

最近の記事

ルイス・フロイス著 松田毅一 川崎桃太 訳 『完訳フロイス日本史 織田信長篇』 中公文庫 第一巻から第三巻まで

うっかり全巻買ってしまった。さまざまなところで史料として本書に言及されることがあり、以前から気にはなっていた。フロイスは1563年7月、31歳の時に来日、1597年7月に長崎で亡くなった。この長期に亘る日本滞在は宣教師としてというよりは、当初から本書『日本史』執筆を目的としていたようだ。これは日本の歴史という意味ではなく、キリスト教の「日本布教史」であり、イエズス会の布教資料である。来日前はゴアのイエズス会管区長の下で欧州向けにアジア各地から集められた報告書の整理の任にあり、

    • 退院後一週間 備忘録

      5月12日 日曜日 午前 退院する。今の妻と前妻との間の娘が出迎えに来る。娘とは病院前で別れ、妻とタクシーで帰宅する。 帰宅後、妻と近所のクリーニング店に行き、頼んでおいたコート類を受け取る。その衣類を持って妻は帰宅。私の方は普段の理容店に出向き、頭を刈ってもらい、顔を剃ってもらう。 帰宅して昼食をいただく。入院中は運動量が極端に少ないので空腹になろうはずもなく、形式的なものだ。 一服後、退院前に退院を見越して予約しておいた近所のマッサージ店に行き、全身を揉みほぐして

      • カール・マルクス著 長谷部文雄訳 『賃労働と資本』 岩波文庫

        たぶん「価値」というものは観念であって、それを恰も実体であるかのように認識するところから人間社会の喜劇的悲劇や悲劇的喜劇、悲喜交々が起こっている。所謂「社会主義」や「共産主義」の理念に基づいて建国されたことになっている国々が、結果として悉くああいうことになってしまったのは、観念と実体とを混同したからではないか。或いは、その手のマヤカシをいつまでも続けることができなかったという至極常識的な帰結なのかもしれない。 今更だが『資本論』を読んでみようかなと思って仕事帰りに職場近くの

        • 片岡千歳 『古本屋 タンポポのあけくれ』 夏葉社

          本書はエッセイだ。古書店を営む著者が日々思うあれこれを綴っている。ただ、書いた本人も、その古書店も今はもうない。以前読んだ『昔日の客』も古書店の店主が書いたエッセイ集だ。古書に限らず古物を扱う人は、世間的には用済みとなったものに改めて価値を見出す、或いはそこから改めて価値を創造する目利きである、と思う。古道具屋の坂田さんだってそうだ。みんなすごい人たちだ。そういう人たちが書く文章は、なぜかとても柔らかだ。そういう文章が書けるようになったら、茨木のり子に「ばかものよ」と叱られな

        ルイス・フロイス著 松田毅一 川崎桃太 訳 『完訳フロイス日本史 織田信長篇』 中公文庫 第一巻から第三巻まで

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        • 怪我病気備忘録
          9本
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        • 帯に短し襷に短歌
          115本

        記事

          一般病床4日目

          今いる病室は4人部屋だ。各自のスペースはカーテンで区切られているだけだが、かなり広い。他の患者とのやりとりは皆無。私のベッドは病室入ってすぐ左側。看護師とそれぞれの患者との会話から推察するに、私の隣は二十代前半で、何か外傷のようだ。昨日まで痛みがどうこう言っていたが、今日退院。私の向かいは高校三年生。やはり外傷らしい。手術後の経過が思わしくないようで、医師が比較的頻繁に様子を診にきている。斜め向かいは八十前後。初期の肺癌のようだが、落ち着きがなく、毎日午前3時につまらない用件

          一般病床4日目

          困りごと

          入院生活は何不自由無いのだが、3日目くらいから下肢が痛み始める。どうやら筋力の低下によるものらしい。太腿の裏からふくらはぎにかけて、筋肉痛とは別の筋肉痛に悩ませられる。確かに直立二足歩行の要は足腰なのだろうが、わずか3日ほど寝たきりになっただけでこれほどとは思わなかった。かといって、退院後に自分が運動に精を出す姿は俄に想像できない。ましてや、これから暑くなる。ただでさえ額に汗することが苦手なのに、どうしよう、と心はムンクの「叫び」の様相を呈している。

          困りごと

          一般病床3日目

          昨日、身体にまとわりついていた管やコードから解放され、今日から病室の外に出るのにいちいち看護師を呼ばなくてもよいことになった。とはいえ、病室の外に行くのはトイレと歯磨きのときくらいで、他に出る理由がない。今いる病室は8階で、階下にはコンビニがあるらしいのだが、単独で階を移動する自由までは無い。行ってみたいな、コンビニ。 所謂「大病院」なので、病室の外を「自由に」歩いて良いと言われても、要所要所にガラスのドアがあって、そこから先には行けないようになっている。そのドアの向こうに

          一般病床3日目

          七人の

          そういえば、救急病床にいた頃、妙な夢を見た。夢はそもそも妙なものなのだが、病床を区切るカーテンが動いて『白雪姫』だったか『ナントカ姫』だったかに登場する七人の小人様の小柄なオッさんたちがするすると入って来て枕元に整列したのである。思わず笑ってしまったら、そのなかの何人かもにやけてしまい、何事か呪文のようなものを唱えながら整然と出て行った。やはり自分は動転しているのか、病院というところはその性質上そういうものがいるものなのか。

          一般病床2日目

          携帯心電図モニターと酸素計の常時装着から解放され、管やコード類を纏わずに動き回ることができるようになった。それでも、病室の外に出るときは看護師を呼ばないといけないことになっている。廊下を挟んで向かいのトイレに行くときも。また、医師、看護師、リハビリ担当、その他様々な人がちょいちょいやって来るので、うかつに病室を空けられない。それらの医師、看護師、リハビリ担当は毎回違う人で、所謂「担当」というものはないみたいだ。こちらとしてはそれで何の不満も無いのだが、医術というものは本来は信

          一般病床2日目

          今日、救急病床から一般病床へ移動。土曜日の検査で問題無ければ日曜日に退院することになった。とはいいながら、頭を強打した関係で行動の制限が喧しく、自由に院内をウロウロできるわけではない。まぁ、私がウロウロするとろくなことにはならないのも確かなのだが。

          今日、救急病床から一般病床へ移動。土曜日の検査で問題無ければ日曜日に退院することになった。とはいいながら、頭を強打した関係で行動の制限が喧しく、自由に院内をウロウロできるわけではない。まぁ、私がウロウロするとろくなことにはならないのも確かなのだが。

          病床にて

          5月4日の夜に搬送され、それから数時間置きにCTを撮ったり、血液検査をしたり、管にまかれてエラいことになったなぁ、という感じだった。 5月6日は、病床がガラガラで静かな上に検査の回数も少なくなって、いよいよ快適になる。 ところが、今日はその病床が一気に埋まり、いかにも大病院という風情になった。私もチンボコに刺さった管を抜かれて、自分でトイレに行かないといけなくなった。リハビリと称して薬剤のぶら下がった台車付金属柱を手に病室内をウロウロするなど、治療への協力姿勢をおおいに示

          病床にて

          地下鉄のホームで電車を待っていたら、急に目の前が暗くなった。気がついたら、病院のベットに横たわっていた。

          地下鉄のホームで電車を待っていたら、急に目の前が暗くなった。気がついたら、病院のベットに横たわっていた。

          大野晋 『日本語練習帳』 岩波新書

          母語が思考を規定する。本書でも以前に読んだ田中克彦の著作でも、日本語が所謂「民主主義」にはそぐわない言語であることが述べられている。 上にある「人間の甲乙的体制」とは契約書上の当事者間の関係を指す。一般に契約書では契約当事者を「甲」「乙」という代名詞で表現し、契約外の関係性と一線を画している。「甲乙的体制」が意味するのは、その「契約」という限定された場における公平性公正性を指している。田中の方は、文字表現の知識量が社会的地位と関係しやすいということを述べている。ことばの能力

          大野晋 『日本語練習帳』 岩波新書

          大野晋 『日本語の起源 新版』 岩波新書

          言葉のそもそもに興味がある。人類は30万年ほど前にアフリカ大陸で生まれ、6万年ほど前にアフリカ大陸から世界中に拡散を始めた、というのが今のところのざっくりとした見立てらしい。10万年以前の人骨とされるものが中国大陸や欧州で発見されているものの、発見の状況や発見されたものの状態から、それらがアフリカ起源説を覆すほどの物証にはなっていない。いずれにせよ、現在世界中に暮らす80億の人々の元を辿れば一所に行き着く。その80億の人々が話す言語は6,000から8,000ほどあり、その数は

          大野晋 『日本語の起源 新版』 岩波新書

          勝俣鎮夫 『一揆』 岩波新書

          4月、新学期、新年度。「イッキ、イッキ、イッキ、、、」というのは今はやらないらしい。強要するとハラスメントとかナントカで、マズイことになるというのだ。私は下戸だが、若い時分には決死の思いでやった。あれをやらずに済むというのはいい時代だと思う。「イッキ」というのは私にとっては物騒なものだった。ところで、一揆も物騒だ。 先日読了した笠松宏至の『徳政令』の関連で本書を手にした。「一揆」というのは反乱行為のことを指すのだと思っていたのだが、それ以前の結社を指すらしい。たしかに、自然

          勝俣鎮夫 『一揆』 岩波新書

          池谷和信 『人間にとってスイカとは何か カラハリ狩猟民と考える』 臨川書店

          初めて野生のスイカというものを目にしたのは1984年3月、オーストラリアを旅行したときのことだ。アリススプリングスだったか、エアーズロックだったか、内陸の砂漠の道を歩いていて、道端にソフトボール大の縞柄スイカがなっているのを見つけた。けっこうたくさんゴロゴロしていて、ひとつ割ってみたら中は白かった。特に誰かが採取したりするようなものではなく、ただ雑草のように自生しているとどこかで聞いた。 本書で取り上げられているカラハリ狩猟民はスイカを水源として生きてきた。人間の身体の約7

          池谷和信 『人間にとってスイカとは何か カラハリ狩猟民と考える』 臨川書店