kumagoro
旅のお供
やっぱり田舎はさいこうです。 前にも書いたのですが、長らく東京住みだった私は、新しい居場所を求めて放浪中です。 千葉に住んでたときはありますが、やはり都会がそばにあるという印象で、完全にくつろぐことはできず…🐱 今は瀬戸内周辺にいますが、海辺は空が広いですね。そして、夜、波の音や海の景色を見ながら泊まることもできるというのは、贅沢以外の何物でもない…です。あと、ものすごく周りが静か! 都市の近くは、いつも車が通ってて、社会というものがいつも身近に貼りついている感じで怖い
私は本当に人に恵まれているな、どこに行っても優しくしてくれる人がいる、それは私の作った生き方ではなくて、家族や友人の優しさのおかげなんだと思う。本当にたくさんの人に出会ってきたけど、その人達の内に秘めている夢をみんな叶えたら、地球平和になるんじゃないか、と本気で。みんなありがとう
野菜配達人になろうかな、食べ物をもらって嫌な気持ちになる人はいない、そして楽しい!
曲線が見たい
腹の底というか、みぞおちあたりに宿る、何か熱くて蠢くものを信じたい 信じる、そしてそれを行動に移すのが私
地方に行きたい。自然が十分感じられるところで、ボーッと、ひたすらにボーッとできる一年間を、、過ごしたい、、過ごす。
彼の優しさは全然わからない、全然わからないけど救われたのは事実 情けないけど 「なんでそんなに落ち込むんですか」と言ってくれてるようで いつもそう励ましてくれてるようで また励ましてほしくて こんなに詩みたいのを書くことなんてなかった 夢、を見せてくれてるみたいだ
【旅でのこと】、、、と簡単に片付けられない思いが今、からだに残ってる。どうすればいいかわからないけど、どうしたいか、でしかない。 嬉しい、気持ちなんだろうな。
地元が大好きだ。 小学校から大学まで住んでいた場所で、なんてことのない平和な街なのだが、ここにいる人たちは昔から住んでいる人が多いからか、性格も近寄ってる気がする。焦らない、せかせかしてない、物静か、和を大事にする。もちろん人によって、家庭によって雰囲気は違う。でも、生まれ持った性質というか、空気感はとても似ていると感じる。 この前びっくりしたのが、私が巨人戦のアルバイトをしていたとき、東京都の各地域から少年野球なんかのチーム(親子連れも)が観戦しに来ていた。 みんな、それぞ
ほんの一時間の出来事だった。私は、知人の紹介でとある街に来ていた。街といっても大都市ではなく、新幹線の停まる駅の隣の、小さな港町だ。三ヶ月もの長旅を続け、自分自身が何者なのかを見つけたくて、東京から飛び出した旅行。三十歳を超えて起こしたその行動は、端から見たら奇行だったかもしれない。でも、どうしても、信じているものを確かめたかった。 その街を教えてくれた人は、よく私の話を聞いてくれる人で、どんなにまとまりがなかったり唐突でも、受け止めてくれる人だった。この閉塞感の強かったコ
グレーゾーン。 色々な場面で使われる言葉だけど、私はそれを大事にしたいと思う。 白と黒ではっきり分けることって、あまり動物的でないと思うから。 こんなことを言うと、やれ知性がないだの頭が悪いだの言われて落ち込む。 でも人だってヒト科の動物であって、生き物なので、別に動物的だと侮辱されても構わないのだ。 ーー 30歳を過ぎて、一旦なんとなく、周りの人がどう動いているとか、生き方や価値観とか、おおよそ見れてきた気がする。 自分の癖とか、弱みや強みも、人に対してどう接してい
実家が建て直しになる、同じ敷地内に新しく建てるだけだから大したことではないけど、古くて、夏は風が通って涼しく、冬は極寒だけどおこたを囲んでいた思い出のある家。 「古民家カフェにでもしよう~🎵」なんて、姉と母と妄想話してたこともある、みんな好きな家なんだよな。…本当に無くなるんかな
らくがきは何かを表しているかのようで、何も表してない 今日は土井さんの配信がある☀
私はずっっっと、楽器とともに育ってきたし、演奏することで自分を作ってきたような感がある。 学生時代に温泉旅館で働いて一度離れてみたのですが、そのとき、演奏していない私(ただ仕事をしている自分)の存在を受け入れてくれるところはあるんだな、と思った。嬉しかった。 ここ最近はどうだろう、 楽器からも離れているし、かといって受け入れられている(自分自身が、現実として・・・の意味でも)わけではない。 演劇に興味がある、唐突だが。 今年の5月に、東静岡というところで「ふじのくに⇆せ
鹿がかわいかった。。このあと、飯くれーと角で突撃されて痛かったけど。。萎えたけど。。笑