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病院の人は、なぜタメ口になるのだろう。

初めて病院実習に行った時、一番驚いたことは患者さんにタメ口で話しかけている職員が多いことだった。

それがとても不思議だったのと、残念だったことを今も鮮明に覚えている。
病院で働く人は、いつも患者さんのことを考え、敬意を払い、礼儀正しく、丁寧で温かい。そんなイメージが壊されたのだ。

時が経ち、管理職になった今も同じ疑問を持ち続けている。
接遇の研修を行ったとしても、現場ではタメ口を使い続ける人は多い。

なぜタメ口を使い続けるのか、直接聞いたことがある。
よくあるのが「タメ口の方が相手に伝わりやすい人がいる」という理由だ。
相手に合わせてタメ口と敬語を使い分けているそうだ。

そこで、タメ口が効果的と言われた患者さんに敬語で接してみた。しかも認知症ありと評価された方々に。
その結果は——全く問題なかった。
認知症という名前をつけられていても、人によって状態に違いがある。
短い言葉しか理解できない人もいるが、ゆっくり話せば敬語でもきちんと理解される。普通に敬語で話しても伝わる人もいる。そういった見極めをせずに接していたのかもしれない。

職員のその後の様子も気になったので、敬語とタメ口を使い分けているのかを観察してみた。
すると基本的にタメ口を使う職員は、患者さんに対しては概ねタメ口を使っていることがわかった。そういう職員でも、不思議なことに私には敬語で話しかけるのだ。それだけでなく、患者さんにはタメ口なのに、隣にいる家族には敬語を使うという場面があったのだ。どういうことだろうか。

接遇向上を合言葉に、職員のタメ口修正を試みたことがある。
しかし、いつも失敗に終わっている。タメ口を使う人は、その後もタメ口のままだし、もともと敬語を使う人もいつのまにかタメ口に移行していたりする。自分のマネジメント力が及ばないという結果であるが、遣う言葉を選ぶことは、よほど難しい課題なのかもしれない。なぜこうも難しいのだろうか。

そもそも「患者さん」というラベルがつけられることで、言葉が自動的に選択されているのかもしれない。
仕事での役職、実績、敬意、尊厳、その人らしさ…
病院という環境では、「患者」というラベルがつけられることで、元々あった何かが剥ぎ取られている気がする。一人の人として大切にするように言ったとしても、本能的には「患者」として取り扱ってしまうのだろう。
退院して「患者さん」というラベルが外された後に、もし偶然外で会ったとしたら、敬語になるのだろうか。

当の患者さんはどう思っているのだろう。
私の周りでは、予想外にクレームは少ない。
病院という空間にいることで、いつもと違う扱いを受けることに違和感がなかったり、むしろタメ口は親近感があっていいと思う人が多いのかもしれない。

数年前、出産の立会いで病院に行った際に、医療者が妻にタメ口で話しかけていたのがとても気になってしまった。明らかに入職して間もないと思われる医療者に。
風邪をひいて受診したクリニックの医師はタメ口だった。
でも私は特に違和感を覚えなかった。むしろ安心感があった。

タメ口がいいのか悪いのかは、相手との関係性で変わるんだと思う。
タメ口が絶対的に悪いとも言い切れない。
でも明らかなのは、言葉の受け手が評価するということだ。

私のように言葉遣い一つでも気にしてしまう患者さんもいる。
気になって病状の説明が頭に入ってこない可能性もある。
タメ口を使う本人が、言葉遣い以上に何か優れているとしたら
何も思われないかもしれない。
だからと言って自分の権威性を盲信し、自信満々でタメ口を使う姿は
どうもしっくりこない。

より慎重に相手の話を聞き、相手に伝わる言葉が何かを考えながら対話する上では、敬語の方が適しているのではないだろうか。





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