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嵯峨野で過ごした3年間

今振り返っても、あの3年間は宝物だ。過去の栄光ではないけれど、あの時過ごした時間と出会った人々は私にとって大切なもの。この時の出来事が私を作ってると言っても過言ではない。そう振り返るきっかけがあったので本当にメモ書き的な感じで書き残しておく。

きっかけ

私のいとこの男の子がわたしの母校に現在通っていて、あの先生まだいるんやーと3年時にお世話になった数学の先生の話をしていた。10年前はめっちゃ勉強してたって私たち世代のことかなとか思いながらあの先生との思い出を蘇らせる。思い出せば出すほど、想いが溢れてくるから溢れた想いを綴ります。

当たり前のレベルが高い

割とこうなりたいと当時の方が明確に持っていたにしても、よくあんだけ勉強できたなあって思う。認められたい、とか到達点がここだったらここまで勉強しないといけないとかあったにしても、よくあんだけ毎日机に向かってたなあって思う。でもそれはやって当たり前で、やらないという選択肢がなかったから。やらねばならないことが山ほどあってそれを消化するためには、ひたすら机に向かうしか無かった。それが自分だけではなくて、周りの人達もみんなおんなじだから、勉強することとか頑張ることが悪だったりする感覚は全くなく、むしろやって当たり前。やらないで学校に行くことが悪だから、すきま時間も使って必死に勉強していた。

戦友だと思うからこそ

当時のゴールは志望校に合格することだったのかも知れないけど、そんなゴールを3年間共有して共に頑張ってきた仲間だからこそ、今でも絆深い。大変なこと、決して楽しいことばかりをしているわけではないのだけど、あなたと一緒だから頑張れる、環境の力は偉大だった。

個性的な人が多いけれど、自分の想いを持って、それぞれのゴールに向かって進んでいく。その過程を共に過ごしてきたからこそ、あの時はという懐かしい話が今でもできちゃう。それに加えて、あの人は今どうなっているのかなというその人の今にも興味を持ってしまう。

そして何かあったときに1番に相談したくなっちゃうのもある。それもこれも、自分の根本とか1番しんどい思いをしていた時を知ってくれているという安心感があるのかなと思う。

出会いから12年目になっても

帰省したときに真っ先に会いたいと思う友達は、嵯峨野のクラスメイトばっかり。今の相方さんまで嵯峨野で出会った人。東京に出てきて、会社やランニング界隈で沢山の出会いはあり、楽しく過ごさせてもらっている。これからも東京で暮らしていく予定だし、色々あって京都に帰りにくくなっているにしても、やっぱり私の理解者として存在し続ける大切な人たちだと思っている。嵯峨野に入学したときから12年目、卒業して丸8年経ったにしても、懐かしい過去の話と、今そして、これからの話が尽きない。

嵯峨野を卒業してよかった。母校への誇りは今も変わらない。過去に縛られるのは良くない部分もあるけれど、帰ってこれる場所として心の中に残り続ける。


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