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「私の青い星~Bluestar~」第八話 創作大賞2024 #恋愛小説部門

第八話

 


入学式の翌日、寒くて布団から出たくなかったが、授業の初日から遅刻するわけにもいかず、「よし」と気合を入れて布団をはいだ。
 裏起毛のセーターにジーンズ、靴下を2枚重ねに履いて、食パンにジャムを塗って、麦茶で流し込んだ。
 学校へ着くと、元々知り合いなのかそれとも人懐こい性格の者が多いのか、いくつかのグループで談笑している姿が目に入った。
 「さっちゃん、おはよう。」と市澤祐介が大きく手を振ってくれた。私がかすかに微笑むと、「あの子はさっちゃん。さっちゃんもおいでよ。」と呼んでもらうと、昨日会ったばかりなのに不思議な安心感があった。
市澤祐介と話していた数名は、みんな地方出身者で、池袋駅周辺の安い居酒屋の話で盛り上がっていたらしい。
 「昨日の話だけど、今日の学校終わりで面接来られる?」
と言われて少し戸惑って返事をした。
「あ、はい。でも履歴書を家に置いたままです。」と答えると、「もう書いたんだ。さすが、俺が見込んだことはある。じゃあ、一度家に帰って十七時頃は?」と聞かれた。
 「はい、大丈夫です。よろしくお願いします。」と返事をすると、
「さっちゃん、同級生なんだから敬語辞めてよ。俺、ハートは十八歳だから」と言って周囲を笑わせていた。私も思わずつられて笑うと、「さっちゃんはさ、その田舎っぽさが可愛いよね。二年後、絶対モテてると思う。」と言った。私は恥ずかしさのあまり、顔が熱くなってきた。
 「シェ中西」というその店は、フランスで修行して帰国した中西守が営んでいるテーブルが四つだけの、こじんまりとした店だった。
 中西守は、毛深くてごつごつとした体つきをした熊のような男で、笑うと細い目は線になり可愛らしかった。
採用面接に行ったつもりが、「夕飯これからでしょう?食べていきなよ。」と言ってくれた。市澤祐介と中西守、そして私の三人は店の一番奥のテーブルに腰掛け、同じメニューが載った三枚の皿を囲んだ。
 紺色の皿に盛られていたのは、サラダと豚肉のグリル、パンだった。
「うちはね、オーガニック野菜を使っているから、全部昨日の残りだけど、すごく美味しいよ。」
そう言って、パンにハチミツをかけて笑う中西守はひげをたくわえていてどこかお父さんのような雰囲気があった。
 「祐介と同じ学校なんだよね。うちは月曜日が定休日。土日に入れると助かるんだけど、どう?」
そう言われて、コーンドレッシングのかかった今まで食べたことのないほど美味しい口の中のサラダを飲み込んだ。薄切りのラディッシュに生のマッシュルームが口の中に幸福を与えてくれた。
「はい、週六日でも大丈夫です。」
「本当に?助かるよ。メインは皿洗いとか下準備になるけどいい?」
「はい、もちろんです。頑張りますので、よろしくお願いします。」と頭を下げた。
そして、「ね、いい子でしょう?」と言う祐介に中西は笑って応えた。
 給仕は中西の奥さんが一人でやっているらしい。三歳になる一人息子と風呂に入り、夕食を食べさせてから実家の母に来てもらい寝かしつけまでを頼んで、十九時前に出勤するという。十八時の開店と同時に客が来た場合は、案内と注文を取る可能性があることを示唆されて了承した。
 次の日から、学校とアルバイトの生活が始まった。学校では、佐々木里奈という、山梨県出身の女友達と市澤祐介の三人で行動することが多くなった。
佐々木里奈とは、故郷が隣合わせだから、言葉のイントネーションが似ていて、親近感が湧いた。人形のようにくりっと丸く透き通った瞳の持ち主であるが、ぽっちゃりした体型と、野暮ったいファッションが東京の人でないことは一目瞭然だった。
佐々木里奈の実家は、富士山が見える河口湖沿いでホテルを経営しており、将来はそこの厨房で働く予定だという。
ホテルの経営は、兄が継ぐことになっているので、自分は厨房でコック長になるのが夢だと言った。幼い頃から、賄いを食べて育ったので、すっかり肉付きが良くなってしまったと笑って話してくれた。
 
 クラスの自己紹介では、半数以上の生徒の実家が何かしらの料理店を営んでいた。残りは、料理人の○○に憧れているとか、ミシュランの星を取れる職人になりたいとか、大きな夢を抱えており、私の動機が矛盾過ぎることに恥ずかしくなった。
この調理師専門学校へ入学した動機は、「初恋の人を探して少しでも彼に近づきたかったからです」などと言えるはずもなく、「アルバイトをしていた地元のファミリーレストランで料理の楽しさに目覚めました」という嘘をついた。 
そんな自己紹介をした私を誰も馬鹿にすることなく、大きな拍手が聞こえた時に、東京へ来て良かったと思えた。
 
 授業は十六時十分に終わり、それから食堂に置いてある無料の麦茶を紙コップで飲みながら三人で下らない話をして、十六時四十分に学校を出る。佐々木里奈とはそこで別れ、市澤祐介とシェ中西に向かうというのが火曜日から金曜日の流れになっていた。
月曜日は三人でファミレスに行って夕飯を食べながら、ドリンクバーで三時間粘ったり、公園のベンチで将来の夢を語り合ったりした。
 そういう毎日が、最高に幸せだと思った。
佐々木里奈は唐突に話しだした。
「私、東京の空気が苦手。緑が少ないし、あっても公園とか街路樹が少しだから、息が詰まりそう。」
その言葉に、私は激しく同意した。
「わかる。緑があれば良いのではなくて、大地のエネルギーを感じたいの。」
そう言った私に、市澤祐介と佐々木里奈は一瞬顔を見合わせてから、大笑いした。
「さっちゃん、時々面白いことを言うよね。」
「そうかな?」
「そうだよ。さっちゃんの家、観葉植物とか置いてる?」
そう、佐々木里奈に言われて、自分の殺風景な部屋を思い浮かべた。
「ううん、飾りになるものは何もない。」
「そうなの?私の家、ジャングルみたいにいろいろ置いているよ。アイビーでしょ、ポトス、パキラ、エバーフレッシュ、それから、アボカドの種を鉢に植えたら目が生えてきて、今はこれくらいまで成長したの。」
と佐々木里奈は、白くてぽっちゃりした手を自分の膝と同じくらいの高さに手を広げた。
「さっちゃんの家にも観葉植物を置いたらいいのに。」
「それはあるかもな。シェ中西で買っている店が練馬にあるから、あそこで買うといいよ。来週の月曜日にでも一緒に行こうか。」
そう市澤祐介が続いた。
「私も行く。」と幼い子どものように続く佐々木里奈は、市澤祐介のことを好きなのではないかと、私はひそかに勘付いていた。
 ゴールデンウィークを過ぎた月曜日、私は市澤祐介に連れられて、佐々木里奈と三人で練馬まで観葉植物を買いに出かけた。
 練馬駅から歩いて十分ほどのその園芸店は、想像以上に広く一階は花、花器、小さな観葉植物、二階は天井にまでつくほどの大きな観葉植物から、レストランや家庭でも育てられる身近な観葉植物があった。店舗の外には、苗や庭木が豊富に揃っていて、中には、稲やハーブもあった。
「おお、これいい。いや、こっちも捨てがたいな。」などと盛り上がる市澤祐介に一つ一つ説明をつけていく佐々木里奈。私は二人のデートについてきたお邪魔虫のようだった。
 「そういえばさ、さっちゃんの家ってどんな感じ?窓は大きい?日当たりは?」
矢継ぎ早にそう尋ねられて、
「日当たりはまるでダメ。夕方に少し日が入るくらい。」と答えると、
「そうか。そうすると結構限られてくるんだよね。」と佐々木里奈は答えた。
「あの辺のケンチャヤシとか、シュロチクなんかはどうかな?」
葉の長い一メートルほどの高さの観葉植物を指さして言われたので、「ううん、あんまりとがっていない方がいいかな。」と答えた。
 「それなら、これなんかはどう?」
そう言われた植物は、大きな蓮のような形の葉にいくつもの切れ目が入っており、可愛らしく見えた。南国を感じさせるそのフォルムは、私の暗い部屋を明るくしてくれそうだと思った。床から五十センチくらいの高さで、値段は四千八百円と記されていた。もうすぐシェ中西でのアルバイト代が入る予定だし、せっかく二人についてきてもらったのだから、何か買わなくては申し訳ない。
 「じゃあ、それにしようかな。あとは一階で小さな観葉植物も買おうかな。」と言うと、佐々木里奈が「私もせっかくだから買う。」と笑った。
 運んでくれるという理由で、私の小さなアパートの部屋に三人で帰った。
 市澤祐介の提案で、近くのスーパーに行き、学校で習ったばかりのアクアパッツァを作って他愛のない話をしながら大笑いした。
「青春」というのはこういうことを言うのだろうと思えた。
 鬱屈した十八歳までの自分の人生。いつも周りの顔色を窺っては、その期待に応えるような行動をしていた。
両親でさえ、自分を理解してくれているとは思えなかった。友達と呼べる人はいたけれど、本当の心の内を明かしたことはないし、悩んでいることなどまるでないように接していた。
ただ好きなアイドルの話や、テレビの話題をしておけば盛り上がるとわかっていたから、本当はあまり好きでかったけれど、合わせていた。
友達に付き合って、好みの男子の待ち伏せもした。そういうことが「青春」だと思って信じて疑わなかったけれど、本当は心の底から笑ってなどいなかった。



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