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「私の青い星~Bluestar~」第七話 創作大賞2024 #恋愛小説部門

第七話


 
 夏休みが終わって秋になり、私は憧れていたブランド物の財布を買うことなく、アルバイト代は銀行口座へ預けた。
 九月からは週末だけアルバイトをすることが許された。シフト表から黒崎健吾の名前が消えていた。
 大学の試験や就職活動で一時的に休んでいるのだろうと思うことにした。また時期が来たら会える、そう信じたかった。
 暇さえあれば、私は黒崎健吾と再会した時のことを想定して会話をシュミレーションしたり、鏡に向かって笑顔を作ったりしていた。聞きたいことがたくさんあったし、叶うことならば、黒崎健吾がサーフィンをしている姿を見てみたいとも思った。
 私の自宅からバスを乗り継げば一時間以上かかるけれど、静波海岸までたどり着けることが調べてわかった。偶然を装って行ってみようかとも思ったが、いつ、何時頃に海岸にいるかなど予想もつかなかったし、女子高生が秋の海岸に一人でいることを想像してみたら不自然だった。
 高校までの道のりは自転車で三十分、今まではなるべく車通りの少ない道を選んで通学していたが、二学期からは国道沿いを走ることにした。それで、クリーム色の車はないかいつも探していた。見つけたところで、自転車から車に声をかけることは困難に思われたが、向こうが気づけば車を停めてくれるかもしれない。
 私が高校を卒業するまでの間、私はずうっと黒崎健吾を探して生きていたといっても過言ではなかった。
 
 それから一年半後、私は池袋にほど近い私鉄沿線で一人暮らしをしていた。夕方にしか日の当たらない四畳半のアパートは、静岡ではファミリー世帯が暮らせるほどの家賃だった。
 太陽の光と新鮮な空気というものは、誰にとっても平等に与えられていると信じて疑わなかったが、東京にきてその考えは覆された。
 アパートの2階のこの部屋の窓を開けると、隣のマンションの壁が見える。そして、まだ朝早い時間でも頬がざらつくような排気ガスの汚染物質にまみれた空気が部屋いっぱいに流れ込んでくるのだった。
 二年前の夏を最後に、黒崎健吾と会うことは無かった。私は、黒崎健吾が大学を卒業するまでBluestarでアルバイトをするのだと信じて疑わなかったが、御前崎海岸で趣味のサーフィンをしている時にケガをしてアルバイトを休んだことをきっかけに、そのまま辞めてしまったと聞いた。どれほどのケガだったのか、知りたくても知る術など持ち合わせていなかった。
 私は、黒崎健吾に会うために東京に行きたい一心で、両親を何度も説得した。そして、手に職をつける為に、どうしても広い世界を見たいのだということを毎日両親に伝え続けて、高校三年生になる春にようやく認めてもらえた。
 高校の進路相談室で、専門学校一覧という分厚い雑誌を見ながら、学校選びをした。基準は、「東京で池袋に近い場所にある学校」ただそれだけだった。すると、いくつもの専門学校があったが、一番自分に向いていそうなのは調理師だと思った。Bluestarの厨房では、正直なところ周囲の大人への説得材料になどならないくらのことしかしていなかった。それでも、アルバイトをきっかけに調理師になりたいとの志望理由は、私が皿洗いと野菜の下ごしらえしかしていないことを知らない両親には十分だった。
 私は池袋の調理師専門学校へ通い出して、今までとは違う人種の友達ができた。そして、人生で初めての男友達という存在が自分にも出来たことに驚きを隠せなかった。 
 四歳年上の市澤祐介がその男だ。実家は、千葉で定食屋を営んでいる。
父親が海岸沿いのその店は、地元の人に愛される食堂だという。その店を継ぎたくなくて、四年間ふらふらとフリーターをしていたが、気づけば飲食店ばかりをアルバイト先に選んでおり、自分の身体には料理人の血が流れていると気が付いたらしい。
本人曰く、「悟りを開いた」そうだ。夏にはサーファーで賑わう実家の定食屋をもう少しお洒落に改変して将来はカフェにしたいという夢が膨らんでいるという。 
 専門学校では、一年目に和・洋・中・製菓・製パンの基礎を学び、二年目にそれぞれのコースに分かれて行く。
市澤祐介は洋食コースに進んだ後、海外で料理人として働き、三十歳を過ぎてから帰国して、実家を継ぐという未来予想図がしっかりと描かれていた。
 「吉村幸子さんかぁ。じゃあ、さっちゃんだね。さっちゃんは、何コースにするの?」
入学式の日に、席が隣になった市澤祐介にそう尋ねられて、
「私は今のところ、洋食コースにしようかと思っています。」
と咄嗟に答えた。
頭の中には、生クリームがたっぷり入った、Bluestarのきのこスープが浮かんでいた。
 「さっちゃんてさ、地方の人?」
初対面ではどうしても質問ばかりになりがちなのは考慮するとしても、この男は他人との距離感がやたらと近い人種のようだ。
田舎者だと馬鹿にされないように、緊張を隠して、男性に話しかけられることになど何の抵抗もないかのように答えた。
「そうです。静岡県から来ました。」
「ふうん。それならさ、アルバイト探しているよね?俺のバイト先、駅の反対側の洋食屋なんだけど、良かったら働かない?時給は千五百円。大学生の子が就職して辞めちゃってさ、俺忙しくて大変なんだ。店長はまだ三十二歳のやり手のイケメン。どう?週二日からでもいいしさ。」
私は、ぐいぐいと迫ってくる目の前の男を信用して良いのかわからなかったが、いずれにしても早いうちにアルバイトを探す必要があったから、とりあえず面接だけ受けてみることにした。
 すると、
「厨房でのアルバイト経験ある?」と尋ねられたので、
「ファミレスの厨房で皿洗いとか雑用程度なら。」と返事をした。
市澤祐介は小さくガッツポーズをして、「それなら助かる。絶対採用だよ。連絡先教えてくれる?面接の日が決まったらすぐ連絡するから。」と言われた。
 入学式とオリエンテーションが終わると、コンビニでおにぎりと履歴書を買って帰った。
春の日差しは暖かかったが、部屋に戻ると日が入らずに暗く、ひんやりとしていた。
インスタントのココアを入れて、おにぎりを頬張った。
テレビを見ながら、持ち帰った教科書の束に名前を書くことにした。パラパラとめくると、包丁の握り方から、飾り切りの方法、食品添加物や、食品に関係する菌の種類まで、内容は盛りだくさんだった。
牛や豚の部位の名前を見て、黒崎健吾の作ってくれたステーキチャーハンを思い出した。
サーロインステーキの肉を細切りにしていたけれど、サーロインは肋骨と骨盤の間にある背骨の両側の肉という意味らしい。肩ロース、リブロース、サーロインを合わせてロースと言い、背中周辺の肉を指すらしい。
 肉のことを少しでも知れば、実家が焼肉屋の黒崎健吾に近づけるような気がしていた。



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