見出し画像

「褒める子育て」必要論

子育てで意識していること

私は今、一人息子を育てている。
特に意識しているのは「褒める」こと。

それはなぜか?
私が、全く褒められずに育ったからだ。
私の両親を反面教師に子育てしている。その理由を述べていく。

「褒められる」経験が大切な理由

「褒められる」と言う経験は、自分の行動が他人から評価され、称えられること。すなわち、自分の行動と存在が「認められる」ということ。

「褒めない」とどうなるか?
自分がそこに存在して良いのかわからなくなる。
つまり、自己肯定感が育たない。
これは、何をしても苦労を伴うし、傷つきやすくなり生活しづらくなる。
少しの失敗で、多くの人は笑い飛ばせられるようなことでも、
「自分があの時あのような行動をしたからだ」
「他人に迷惑をかけてしまってダメな人間だ」
などと、余計な悩みや不安を抱え、時にトラウマにさえなり、
無駄に精神的ダメージを負うことになる。
そのことから、心身ともに疲弊し、病を発症したり、自分を傷つけたりする場合もある。
だから、幼少期のうちに「褒められる」経験というのは、その後の人生と人格形成において、絶対的に必要で大切なことなのだ。

「褒めない親」の元で育った子ども

つまり、私自身のことだ。
私は、両親に褒められたという経験がない。
「褒められたい」
「認められたい」
と強く願っていたので、両親の言うことをよく聞いていたし、迷惑をかけないように努めていた。
それなので、
料理は小学生の頃から出来るし、忙しい母に替わって家事をしたり、弟の面倒を見たりしていた。
宿題の音読を聴いてもらいたくて母に頼んだが、「面倒くさい」と言われたので、親のサインは自分で書いていた。もちろん私は文句など言わない。
汚れた床を家具用ワックスで磨いたらさぞきれいになって褒められるだろうと、母の留守中に掃除に励んだら「滑って転ぶじゃないか」と叱られた。
もちろん、学校で親が呼び出されるような問題行動を起こすこともなく、
ただひたすらにおとなしく過ごしていた。
成績は、上の下か中の上くらいで、親としては安心できる位置をキープしていた。

一見、問題の無さそうな子。
しかし、私の内面は嵐のように荒れていた。
「私はこの家にいて良いのだろうか?」
「私は生まれてきて良かったのだろうか?」
「私はこのまま生きていて良いのだろうか?」
「私が存在することで迷惑をかけているのではないだろうか?」
そんな風に考えすぎて、夜寝つけずに枕を濡らすこともよくあった。

二歳下の弟は、「家庭不和の子」の模範のようにしっかりと不良になった。
「不良になったら後ろ指を指されて家族に迷惑がかかるというのに、
そんなこともわからないのは阿呆な弟だ」と思いながらも、自分勝手な弟が内心羨ましくもあった。

「褒められない」まま育った子どもが成長し、大人になってから周囲から「褒められる」とどうなるか?

大学生から一人暮らしを始めた。
アルバイトを掛け持ちし、勉強にも励んだ。
すると、周りがとにかく褒めてくれた。
「気が利く」
「しっかりしている」
「仕事が早い」
「責任感がある」
「任せられる」
「頼りになる」
それなのに、素直に受け止められず「お世辞に違いない」と感じるとともに、「相手の期待を裏切ってはならない」とプレッシャーを感じ、より褒められた点を意識して行動しなければならなかった。
だから、「優等生」でいなければいけないという現実に疲れていた。

親として子を「褒める」

結婚し、出産し、「母親」になることができた。
「妻として」「母として」、とにかく頑張った。
「良妻賢母」でいなければ、私は存在してはいけないような気がしていた。
けれども、年月を経て、夫も息子も、無条件の愛を与えてくれる存在であることに気づいた。
「私は頑張らなくてもここに存在して良い人間なのだ」と初めて思えた。

息子には、赤ちゃんの頃からとにかく「褒める」ということを徹底している。
言葉が理解できない頃から、
「上手にミルクが飲めるね」
などと褒め、少し大きくなったら
「おむつをポイ(捨てる)できるのね、えらいね」
と手を叩いて褒めてやった。

「○○は可愛いね」
「世界で一番愛している」
等、8歳になる現在までほとんど毎日のように伝えているし、息子の為のオリジナルソング(楽譜はないがリズムと歌詞はある)は15曲くらいある。

小学生になった現在は、「結果」だけでなく、なるべく「過程」や「考え方」「行動」なども「褒める」ようにしている。

「クラスメイトが休み時間にけがをした時に、すぐに先生を呼びに行ってえらかったね」
「スイミングのテスト、不合格だったけど、バタフライの手が上手だったね」等。

いつも「褒められる」子どもが「叱られる」とどうなるか?

私は、親として息子を「褒める」ことを意識しているが、決していつも笑顔の優しい穏やかな母親ではない。「叱る」ことも多い。息子には申し訳ないが、ホルモンバランスの乱れからイライラしやすい周期ももちろんある。
「ママ、麦茶」などと言おうものなら、「ママはお手伝いさんじゃないよ。麦茶を入れてください、でしょう?」と注意するし、子ども部屋のコンセントカバーを壊したことをすぐに報告しなかった時には、「なんですぐ言わないの?家事になったらこの家が燃えて家族全員住むところが無くなるんだよ!」とまあまあ声を荒げた上に、大掃除と配置換えをさせた(エレクトーンの電源コンセントを強引に引っこ抜いたことが原因で設置場所も悪かった為)。

私が「言い過ぎたかな?」「あんなに大声を出して怒らなくても良かったよね」「気が滅入ってふさぎ込んでしまったらどうしよう?」などと自己嫌悪に陥っていても、肝心の息子はけろりとしているし、ニコニコしながら別の話題を話しかけてくる。
繊細で敏感な性格の息子ではあるが、「ママは絶対的に自分を愛してくれている」という一本の筋がしっかりと通っているのがよくわかる。

私が作った料理に息子が文句を言った時に、「もう家事と子育てに疲れたから田舎に帰る」などと言っても、実現するはずがないとわかっているようで、全く心配する素振りを見せないし、「ママ、可愛いママ。いつもありがとう」と財布の中の小銭をくれたりする。そして、さっさと遊びに行ってしまう。

「褒められる」と「褒める」ことができるようになる

母の日には、カーネーションと苺を買ってきて、手紙をつけてプレゼントしてくれたのだが、その手紙にはたくさんの誉め言葉に加えて「いつも僕が興味のあることをすぐにやってくれてありがとう」と、私が褒めてほしいことを書いてくれていた。
(図鑑で見た電車に翌日乗りに行ったり、料理やアリの観察など、興味を持ったことはすぐに実行するようにしている)
自分の行動を「褒められる」と、相手の行動を「褒める」ことができるようになるらしい。しかも、相手が褒めてほしいところも敏感に感じ取れるようだ。
私は、「思い立ったら即行動」と、自分のことも子育てにおいても、すぐに行動することで良い結果につながると信じて過ごしている。
その点を褒められて、とても嬉しかった。
(ちなみに、家事を毎日してくれて、料理がおいしくて、僕は毎日ハッピーなどとも書いてくれていた)

「褒める」子育ての弊害

・褒められ続けた子は、頑張れず、傷つきやすい。
・褒めてくれる人に依存しやすい。
・外部の評価を気にしすぎる。
・打たれ弱い。

調べてみたら、上記のようなことが書かれていた。
本当にそうだろうか?
私は全く「褒められない」で育ったが、上記は全て当てはまる。

→褒められたいから頑張るが、傷つきやすい(他人には見せないが内心とても傷ついている)
→褒めてくれる人には依存しやすく時に騙されても良いとさえ思う。
→外部の評価は常に気になる。
→他人には見せないが、実際は打たれ弱い(隠れて泣く)

まとめ

私の個人的な考えであるが、「褒める」だけの子育てでは弊害は山ほどあるだろう。自己肯定感が高すぎて他人を見下したり、万能感を持ちすぎたりすることもあるかもしれない。
けれども、「褒める」と同時に、𠮟るべき時にはしっかり「叱る」「正す」ことをしていれば、「褒める」子育てに弊害などないはずだと思う。

私は、自分の子どもはもちろん、学校などへ行ったら他人の子も褒めるようにしている。
よく「○○君のお母さん!」と、息子のクラスメイトに声を掛けられる方なのだが、そういう時には「(壁に貼ってある)絵が上手いね」「野球で大会に出たんでしょう、すごいね」などと褒めてやる。
すると、褒められた子は嬉しそうにはにかむ。

大人だってみんな褒められたい。
だから、思ったことは何倍にもして言葉に出すようにしている。
外見などは挨拶程度に、「髪型変えたんですね、夏らしくていいですね」くらいにして、「この間○○してもらって助かりました」「役員の仕事おつかれさまでした」など、行動を褒めるようにしている。
すると、人間関係が円滑になるし、してもらったことは返そうと思うのか、今度は、自分のしたことに対して相手から感謝の言葉をもらうことが増えるように感じる。

「褒める」ということは、相手を喜ばせるだけでなく、存在を認めるという効果があるし、自分もまたその「褒める」ことを見つけられたことに喜びを感じられる。

私は、「褒められない」まま大人になったが、「褒める」子育てを意識している。息子はまだ8歳なので、どういう大人に成長するか、いわば「褒める」子育ての結果は出ていないわけだが、途中経過では、順調だと感じる。何よりも、「自分はここにいて良い存在である」と息子が安心して毎日過ごせていることがよくわかる。

どんなに偉い学者たちが、「褒める」子育ては子どもをダメにする、と声を大にして言おうとも、私は「褒める子育て」必要論を通していきたいと思う。
何よりも、私のように、幼少期に「褒められなかった」がために、無駄に悩み、悲しみ、人生を悲観する時間は勿体ないと思うから。

終わりに


今、こうして記事を書けるということは、私の中で自己肯定感がしっかりと高く保っているということである。
改めて、母になれたことに感謝。2024年 母の日






この記事が参加している募集

#創作大賞2024

書いてみる

締切:

サポートはマガジンをご購入頂けると嬉しいです。記事を読んで下さるだけでもありがたいです。感謝!