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「私の青い星~Bluestar~」第四話 創作大賞2024 #恋愛小説部門

第四話


八月に入り、最初の土曜日、私は十七時から二十一時の勤務だった。その日の黒崎健吾の勤務時間は十八時から閉店までだった。
リビングに置いてあるテレビのニュースでは勢力を増して近づいてくる台風の予定でもちきりだった。
静岡県に最も接近するのは日曜日の明け方の予報であったが、外は風が吹きすさび、窓ガラスを雨が打ち付けていた。
 「今日もアルバイトに行くの?お休みしても良いのじゃない?」
という母の言葉は正論だと思ったが、今日はどうしてもBluestarに出勤したかった。久しぶりの黒崎健吾に会えるのだから。
 私は、心配する母を説き伏せるべく、
「アルバイトだからって立派な要因なのよ。私が休んだら厨房の社員さんに迷惑がかかってしまうし、店長も私を頼りにしているって言ってくれているの。だから、直前になって休みますなんて言いたくないの。お願い、行かせて。」
と言った。
 懇願すべく両手を合わせる私を見た母は、
「あなたもいつの間にか随分大人になったのね。そうね、アルバイトといえども立派な社会の一員だものね。急に休んだら、きっとご迷惑よね。」
と理解を示す表情をして、車で送迎してくれることになった。
 静岡では老若男女、車の運転をするのが一般的だから、自宅には父用と母用の車が二台置いてある。父は毎日車で仕事に行くが、母はあまり運転が得意ではないので、時々しか運転をしなかった。こんな悪天候の日に運転をするのは怖いだろうし、正直なところ、私は母の運転する車で無事にBluestarまでたどり着けるかどうか心配だった。のろのろとした運転でようやくBluestarの駐車場に着くと、母も私もほっと胸をなでおろした。
「帰りは二十一時十分頃に駐車場にいれば良いのね?」
そう尋ねる母に、
「うん、お母さんありがとう。」
と返事をして車のドアを開けると強風がドアを押し返した。何とか車からすり出て裏口に向かって走った。
差した傘が曲がりそうなくらい強い雨の中、ほんの数メートル走っただけで、私のジーンズは完全に濡れてしまっていた。
 「おはようございます。」
と言いながら、休憩室のドアを開けてタイムカードを押すと、店長と社員の鈴木さんが休憩室で話し合っていた。
 「吉村さん、来てくれたのか。雨がすごかったでしょう。今ね、焼津店の店長と相談していたのだけど、この天気だから閉店時間を早めようかっていうことになったのだよ。」
 「そうなのですか。それで、何時閉店なのですか?」
 私は、十八時から出勤予定の黒崎健吾に会えるのかどうかが気になって質問をした。
 「今のところ、お客様の入り具合を見て、二十一時かそれより早めるかを考えているのだけど、お客様がいる以上追い出すわけにはいかないから二十一時の時点で判断しようと考えているよ。」
「そうですか。」
「吉村さんに連絡を入れて、今日休んでもらおうかと思ったのだけれど、今日はいつもより早く出勤してくれたのだね。」
「はい、母に車で送ってもらいました。私、帰った方が良いですか?」
「いや、そんなことはできないよ。せっかく来てもらったのだから。今日はほとんどお客様が入らないと思うから、厨房の冷蔵庫とかディッシュウォッシャーの清掃でもしてもらおうかな。明日も客足は悪そうだから、仕込みも手伝ってもらうことはないし。そうだ、冷凍庫にびっしり付いた霜の塊を取ってもらおうかな。後でやり方を教えるから、それまではディッシュウォッシャーを頼めるかな。」
「はい、わかりました。」
そう言って、いつものようにディッシュウォッシャーに向かったが、皿はまばらにしかなかった。洗い終えた皿をいつもより丁寧に拭き上げ、棚に並べたらやることが無くなってしまった。濡れたジーンズが気持ち悪かったが、着替えを持っていないので自分の体温で乾くまで我慢するしかなかった。
 ちょうど店長が休憩室から戻り、食べ終えたマリナーラピザの皿とアイスコーヒーの少し残ったグラスをディッシュウォッシャーの隣に置いた。
 店長に教えてもらいながら冷凍庫に張り付いた霜を削っていたら、
「おはようございます。」という声と共に黒崎健吾が厨房に入ってきた。
 「鈴木さん、外すごいですよ。」と話しかけていた。
 「そうか。意外と台風の進みが早いのかもしれないね。今日は暇だから、閉店時間が早まるかもしれないよ。」
「えぇ、それは困りますよ。今度ジョージとサーフトリップに行こうと思って、金を貯
めているのです。」
「ジン君か。この前食べに来た子だよね。同じ年齢だと言ったかな。」
「いえ、ジョージはアメリカに留学していて、日本に戻ってからは留年もしたので僕の一つ上なのです。」
どうやら、ジン君という人物とジョージという人物は同じらしい。
 聞き耳を立てていることがばれたのか、社員の鈴木さんが私にも話に加わるように促してくれた。
「吉村さん、黒崎君はさ、健吾っていうでしょう。だからケニーだって。」
「やめてくださいよ、鈴木さん。僕のことをケニーって呼ぶのはジョージだけなのですから。」
私は、「ジョージさんっていうのはお友達ですか?」と尋ねてみた。
「いや、俺のいとこ。俺さ、東京から来たって言ったよね?親戚が藤枝にいてさ、田舎暮らしに憧れて、こっちの大学を受験したの。それで、親戚の家に居候。そこに住んでいるのがいとこのジン。仁義の仁ね。そいつ、アメリカに留学した時に、イングリッシュネームとやらでジョージって名乗っていたらしいの。それで、俺のことはケニーなんて呼ぶんだ。でも、ケニーっていう顔じゃないでしょう?この前、この店にジョニーが来てさ、大きな声でケニーって呼ぶから恥ずかしかったよ。それで、鈴木さんがケニーってあだ名を知っているっていうわけ。」
「そうですか。」
私は何と返事をして良いのかわかなくて、随分あっさりとした言葉しか言えなかった。彫りが深く整った黒崎健吾の顔立ちにケニーと言うあだ名はぴったりだと思ったけれど口には出さなかった。
 十九時過ぎまで客は全く入らず、集中して霜とりをしたので冷凍庫はすっかり綺麗になった。鈴木さんはいつ注文が入っても良いように、沸騰した鍋を確認したり、きのこスープをかき混ぜたりしていた。
 黒崎健吾は退屈そうに、調理台を拭いたり、壁に貼ったシフト表を眺めたりしていた。
店長が厨房を覗いて、
「鈴木君、お客様が誰もいないからもう閉めようか。焼津店は二十時閉店にするらしい。」
「そうですね。この天気では開けておいてもお客様は入りませんね。」
と鈴木さんは返事をした。
国道沿いのこの店は、常連ばかりではなく、大型トラックの運転手やキャンピングカーで長距離移動をしているいちげんさんの客も入ることがある。
 けれども、今日はほとんど国道を走る車はなかった。この先の安倍川がよく増水して通行止めになることを知っているのであろう。
 「閉店作業は僕と鈴木君でやるから、黒崎君と吉村さんは二十時になったら上がってもらって構わないよ。そうだ、今日は好きな物を食べて帰ってよ。デザートなら作るから言ってね。」
店長はそう言って、ホールに戻って行った。
「やったね。それなら、鈴木さんサーロインって解凍した分残っていますか?」
「あぁ、あるよ。あれ、作るの?」
「鈴木さんもどうですか?」
「いいねぇ。夕方賄いを食べたけれど、あれならまた食べたいな。」
「吉村さんもどう?」
そう言われて、「あれというのは何でしょうか?」と尋ねると、
「そうか、知らないのか。それなら楽しみにしていてよ。」
そう言って、サーロインステーキ用の牛肉を細く切り始めた。
 私は、黒崎健吾が目を輝かせて調理をしている姿に引き込まれるように見入ってしまった。
他にすることもないから、調理する姿を眺めていても良さそうだった。フライパンにバターを落とし、そこににんにくの薄切りをパラパラと落としていく。
少し茶色く色づいたにんにくを取り出して、細く切った牛肉をフライパンに入れて強火で炒めると、赤ワインを振りかけた。ボワッという音と共に炎が上がり、私はワッと声を上げてしまった。
 「初めて見た?フランベっていうのだよ。」と鈴木さんが教えてくれた。
 炒めている間に、鈴木さんが平らなプレートを3枚並べて、サラダに使うレタスとキュウリ、ミニトマトの薄切りを無造作に並べた。
 黒崎健吾は、サーロインステーキの入ったフライパンに、炊飯器のごはんを山盛りに入れたボウルをひっくり返しフライパンで炒めていく。
塩コショウを豪快に振って、仕上げにステーキソースをフライパンの縁から流しかけるとジュワーッと音がして醤油の焦げた匂いが立ち込めた。火を止めて、先ほどの生野菜が載った皿に手際よく盛り付けていく。仕上げに、取り除いておいた茶色く色づいたニンニクのスライスをごはんの上に載せて、パセリを散らす。
 「完成。ステーキチャーハンだよ。」と、私の前に差し出された時には、私の口の中は唾液が溢れていた。
 「吉村さん、これ食べたら、明日まで体中からぷんぷんニンニクの匂いがするから、気になるならニンニクは食べなくても良いからね。」
そう笑顔で言う黒崎健吾の額にはうっすらと汗が滲んでいた。
 「それじゃあ、頂きます。」
と鈴木さんが立ったままスプーンでごはんをすくった。
「これこれ、この味。やっぱり焼肉屋の息子が作ると違うな。」
と言うと、「でしょう。」と黒崎健吾が続いた。
 私は、玉ねぎの皮を剥く時などに使うパイプいすを鈴木さんに差し出され、一人だけ座って食べて良いのか迷ったが、素直に座らせてもらうことにした。
 湯気の立つ茶色に染まったごはんとステーキ肉をスプーンですくい口に運んだ。
 「美味しい。」
あまりの美味さに小さな声が漏れた。
「良かった。これさ、子どもの時に、親父がよく作ってくれたレシピ。僕の実家は焼肉屋でね。肉は塊で市場から仕入れるのだけど、端材が出るからね。本当はいろんな部位の肉を混ぜて作るともっと美味しいのだけど。」
黒崎健吾はそう言いながら掻き込んでは、自分の作ったステーキチャーハンの味に納得するかのように頷いていた。
 それからは三人とも黙って一気に平らげてしまった。
 「ごちそうさまでした。本当に美味しかったです。」私は、そう言って、鈴木さんと黒崎健吾が食べ終えた皿とスプーンを受け取った。
 ディッシュウォッシャーにかけるまでもなく、手洗いをした方が早く済むのでスポンジに洗剤をふりかけて泡立てていると、後ろから鈴木さんに話しかけられた。
 「吉村さん、今日は家の人に送ってもらったのだよね。帰りもお迎えが来るの?」
「はい、その予定です。」
そう答えると、
「黒崎君、吉村さん送れる?」
と鈴木さんが黒崎健吾に話しかけた。
黒崎健吾が「いいですよ。」と答え終わるのと同時に、私は「いえ、そんな。母が来ますので大丈夫です。」と言った。
 「お母さんには二十一時までって言ってあるのでしょう。その前に帰れば、お母さんが迎えに来なくて済むからさ。」
そういう鈴木さんに
「そうそう。僕は安全運転だから大丈夫だよ。」と黒崎健吾が続いた。
 二十時になって、私は黒崎健吾と一緒に休憩室へ向かってタイムカードを押した。
 二人とも、私服の上に白衣を着ているだけだったから、着替えは十秒もかからなかった。
「外、すごいからさ、先に車を取ってくるよ。吉村さんは裏口のドアの前で待っていてよ。裏口に着いたらクラクションを鳴らすから、聞こえたら走っておいで。」と言ってくれた。
「いえ、私も一緒に出ます。」
黒崎健吾の優しさに、私はどのように配慮すれば良いかわからずに、そう返事をすると、「いや、そんなことをする意味がないよ。とにかく待っていればいいから。」
黒崎健吾に語気を強めてそう言われて、私は小さく「すみません」と謝った。


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