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「私の青い星~Bluestar~」第十一話 創作大賞2024 #恋愛小説部門

第十一話

 
 それから二週間後の月曜日、実家の母から珍しく留守番電にメッセージが入っていた。
 母の姉である私の伯母が、入院しているというのだ。
伯母は、ミシンの販売会社で勤めており生涯結婚せずに定年を迎えた。その後は、趣味の園芸サークルに通ったり陶芸を習ったり、趣味の城めぐりをして楽しんでいると聞いていたが、乳がんが進行し、手術する為に入院しているらしい。
私のことは、流行りの洋服を買ってくれたり、同級生が食べたことのないようなデパートの甘味を食べさせてくれたり、いわゆり猫かわいがりをしてくれていた。
だから、私も伯母には心を開いており、初めて生理がきたときなどは、母よりも先に伯母に話したくらだ。
 私は、木曜日と金曜日が連休の予定だったので、その日に帰る約束をして電話を切った。
 生涯独身の伯母に悲壮感など感じられず、むしろ独身を楽しんでいるようにも見えた。私も伯母のように独身を満喫しながら老いていけるのだろうかなどと考えた。
 木曜日の朝、冷蔵庫の中のものを冷凍庫へ移し、溜まった洗濯物を浴室の中に干して家を出た。
 小田原から新幹線こだまに乗って静岡まで約五十分、それから在来線に乗り換えて二十分で藤枝に到着する。
藤枝駅に降り立った途端、懐かしい匂いがした。東京の空気とも小田原のそれとも違う、温かい空気に包まれた微かにお茶の香り。駅前にあるお茶屋から漂っているのであろう。最近では、新しくパン屋が出来て小麦粉の匂いも混じっている。
 タクシーで実家に戻ると、そこには変わらず古びたかび臭い我が家があった。
 母は「おかえり」と笑顔で迎え、父は留守のようだった。ベージュのワンピースを着た母は、髪がグレーから白に変わりおばあさんのように見えた。
 「昼過ぎには着いていたいから、十二時頃出ようと思うんだけれど、疲れてない?」
そう尋ねる母に、「伯母さんのところに行くために帰ってきたのだから大丈夫。それに、昨日は早番で夜早く寝られたの。」
「そう、それなら良かった。お昼、しらすとマグロで良いでしょう。あと、はんぺんも買ってあるから帰りに持って行って。」
「ありがとう。」
私は、焼津とその周辺でしか食べられない、黒はんぺんが大好きだ。いわしのすり身を平らに伸ばしたもので、はんぺんと言えばこれしか知らなかったから、東京で白はんぺんを見た時は随分驚いた。コンビニでおでんを注文する際「白はんぺん一つ」と言ったら、一瞬怪訝な顔をされ「はんぺんですね」と言い返されたことがあった。ふわふわとした白いはんぺんは、私の知っている黒はんぺんとは全く別の食べ物として好きになった。
 母の運転する車で、静岡の病院まで向かった。途中、国道を通っている時、Bluestarの横を走った。私が高校生の時にアルバイトをしていたファミリーレストランだ。
そこで黒崎健吾に出会い、「東京を見ておいでよ」という一言で自分の進路を決めてしまった。
東京の調理師専門学校へ通いながら、黒崎健吾との再会を願っていたが、結局は果たされず、小田原のファミリーレストランで正社員をしている。
もし、あの時黒崎健吾と知り合わなければ、今頃自分は何をしていただろうか。実家で暮らしながら、静岡にある短大にでも進学して、事務員になっていたかもしれない。
所詮、自分がやりたいことなど何もなく、ただ流されているのが私の人生だと思った。
 病院に着くと、伯母の病室には何度か足を運んでいるらしく、母はナースステーションに挨拶をしてすたすたと奥の個室に入って行った。大部屋ではなく、個室を選んだのはきっと鈴子伯母の希望だろう。昔から、人と話すのが好きなように見えて、案外一人の時間を必要とするタイプだった。
 「鈴子、今日は幸子を連れてきたわよ。」
カーテンを開けると、少し痩せた伯母の鈴子が点滴のつながれた左手を振った。
 「さっちゃん、随分ときれいになって。元気?恋人はできたの」
「お久しぶりです。」
私は、いつも元気で恰幅の良かった鈴子伯母さんを思い出して、今目の前にいるご婦人は誰だろうかとさえ思った。
「鈴子、手術は来週の水曜日ということで決まりで良いのよね。この間は血液検査データによっては延期するかもって言っていたでしょう。」
「まだわからないみたい。」
「そうなの。」
鈴子伯母は少し俯いて返事をした。
母は手術の日程がわからないことが心配なようだった。
「私のことは良いのよ。さっちゃんの話を聞かせて。今はお料理をしているのでしょう?
何が得意料理なの?」
私は、そう尋ねられて困ってしまった。
「料理って言っても、ファミリーレストランだから、工場で一括生産しているものを焼いたり炒めたりするだけなの。だから、全然料理と言えるようなことはしていません。」
母が呆れるように言った。
「そうなのよ。この子、調理師になりたいっていうから、わざわざ東京の専門学校を出してやったのに、ファミレスなんかで働いているのよ。そうそう、東京の池袋って言ったわよね。あそこのアルバイト先のフランス料理は本当に美味しかったわ。生まれて初めて鴨肉っていうのを食べたの。ああいうお店で働いたら良いのに。そのまま修行していれば、藤枝にお店を出すことだってできたでしょう?」
「そんな野望ないわよ。」
私はそう答えた。
「そう、そこがさっちゃんの良いところ。昔から欲が少ないのよね。女の子はガツガツしていない方が良いのよ。私みたいに、強く逞しくなっちゃうと、男なんていらないって、結婚もせずに歳だけとっていくのだから。」
鈴子伯母はそう笑った。明るく、西洋人形のようにはっきりした顔だちで、若い頃は随分モテていたと母が言っていた。
 「鈴子伯母さん、何か必要なものは無い?」私がそう尋ねると、
「そうねぇ、テレビカードは買ってもらったのが残っているし、雑誌や本は目が疲れるからね、何もいらないかな。ありがとう、幸子。」と言いながら鈴子伯母さんは窓の外を見た。
 「こうやってね、窓の外をぼんやりと眺めて一日を過ごすのも良いものよ。仕事をしている時は空を眺めるのなんて、雨が降りそうな時くらいだったもの。空ってね、一瞬たりとも同じ時はないの。ほら見て。」
鈴子伯母が指さす方を見ると、そこには細く伸びた雲があるだけだった。
「曇ってね、くっついたり離れたりして流れる速さがそれぞれ違うみたいなの。まるで男と女みたいよ。」
「え?どういうこと?」
雲の話をしていた鈴子伯母が突然男女の話につないだので、私は理解できずにいた。
「さっちゃんは知らないと思うけど、私は昔から男には欠かない人生だったのよ。」
「何よ急に。」
と母がたしなめるような口調で鈴子伯母を制止した。
「鈴子伯母さん、聞かせて。私、もう大人よ。」
と私が言うと母は呆れたような顔をした。
 「最近では、去年までボーイフレンドがいたのよ。その彼はね、八年間一緒にいたの。」
「八年も付き合っていて、どうして別れたの?」
私が純粋に湧いた疑問を鈴子伯母にぶつけると、母と鈴子伯母は顔を見合わせて頷き合った。どうやら母は全てを知っているらしい。
 「その彼はね、死んじゃったのよ。私を置いて突然。何度電話をかけても出ないし、家を訪ねても返事が無いから、私は振られてしまったのだと思っていたら、連絡がきたの。彼には息子さんが一人いてね。離婚していて前の奥さんとの間の子。その息子さんが私に連絡をくれたの。父は死にましたって。」
「どうして?」
私は質問の仕方が間違っているような気がしたが、全てがその一言に詰まっていた。
「彼ね、六十七歳でまだまだ元気だったのだけど、横断歩道を渡っている時に、スリップした車に衝突されたらしいの。それで、即死だったって。」
鈴子伯母は顔を両手で包んだ。思い出して泣いているのだろうか。
「お葬式も終わってね、息子さんが彼の携帯に残っていた私からの着信履歴とメッセージを呼んで、連絡してくれたの。」
「そう。」
「私、もうすぐ彼に会えるのだと思ったら、死ぬことが全然怖くないのよ。」
「そんな。死ぬだなんて。手術すれば治るんでしょう?」
「さっちゃん、好きな人はいるの?」
「え、好きな人?」
「もう彼氏の一人や二人はいるでしょう?」
「ううん、いない。」
「そう。女はね、自分が好きな人と一緒になるより、自分のことを心の底から愛してくれる人と一緒になるのが一番よ。」
「その亡くなった彼、鈴子伯母さんのことを愛してくれたの?」
私がそう尋ねると、鈴子伯母は笑って頷いた。
「そう。彼ほど私を愛してくれた男はいなかったわ。最初はね、全然好みじゃなかったの。背も低いし、話も面白いほうじゃなかったから。」
「それがどうして付き合うまでになったの?」
「何回も何回もアプローチしてくれてね、別れた奥さん以上に私のことが好きだと言ってくれたの。それで、もし生まれ変わったら、絶対に君と結婚して子どもを持ちたいって言うのよ。いい歳をしたおじさんが。」
「でも、悪い気はしなかってでしょう?」
そう母が尋ねた。
「そうなの、それでね、そうそう出会ったのは陶芸教室なのだけど、手作りの素敵な花器と花束をプレゼントしてくれたの。あなたをイメージして作りましたって言ってね。」
「へぇ、ロマンチック。」
私が驚いていると鈴子伯母はふふっと笑った。
「最初は陶芸なんて全然興味がなかったのに、同僚に誘われて休みの日に通うようになったのよ。それで、何回か顔は合わせていたの。それで、最初のうちは同僚と一緒に何人かで陶芸教室の後にランチをしていたのだけど、二人きりで会えませんかなんて誘われちゃったの。」
鈴子伯母は嬉しそうに話した。どうやら回想しているうちに楽しい気分になってきたようだ。
「こんなにリラックスして一緒にいられる男の人は初めてだなって気づいたの。乙女のようにときめいてしまったってわけ。」
 そうして何回かデートを重ねているうちに恋仲に発展したということだった。それで、何度もプロポーズをされたのだけれど、今更誰かと一緒に生活する自信がないと鈴子伯母が断っていたというから納得した。
「さっちゃん、あなたは若いのだから、あなたに心底惚れている男に出会ったら迷わず結婚して子どもを産みなさい。」
鈴子伯母の目はかっと開いてノーとは言わせないと言わんばかりの強い口調で私に訴えかけた。
「はい、わかりました。」
私ははっきりと返事をした。
一時間ほど話して、鈴子伯母さんが少し眠りたいと言うので病室を後にした。退院したら、伊豆の河津桜を見に行く約束を交わしたれけど叶うだろうか。
「鈴子伯母さん、そんなに悪いの?」
エレベーターの中で母に尋ねると
「そうね、お医者様は手術ができるかどうか判断しかねるって仰っていたわ。もしかしたらっていうこともあるかも知れないの。」
「そう。あんなに明るかったのに、何だか別人みたいに見えた。」
「そうね。鈴子は元気で明るくて美人で華やかな人生を歩んでいたのは確かね。」
母の言い方には嫉妬が混じっているようにも聞こえた。
 帰りの車の中で、母に提案した。
「久しぶりにBluestarに寄りたいのだけど、お茶でもどう?」
「そうね。お母さんは入ったことなかったから行ってみたいわ。幸子がアルバイトしていたお店。」
 しばらくぶりのBluestarは外壁をきれいに塗り直したようで少し印象が変わっていた。高校生の頃は、少しお洒落なお店だと思っていたが、東京から戻ってきた私には田舎臭く見えた。
 「いらっしゃいませ」と声をかけて、席を案内してくれた男性はアルバイトのようで知らない顔だった。
 母はチーズケーキと紅茶のセットを、私はコーヒーゼリーアラモードを注文した。
 店内は空いていて、昔と変わらずオールドポップスがかすかに流れているのが聞こえた。
 しばらくして、お待たせしましたと運んできたのは店長だった。
「あれ?えぇーっと。」
「吉村です。お久しぶりです。高校生の時にお世話になりました。こちら母です。」
「娘がお世話になりありがとうございました。」
「そうそう、吉村さんだ。元気?東京に行ったんだよね。里帰り?」
「そうです、親戚のお見舞いで戻ってきました。」
「そうか、いやぁ大人になったなぁ。びっくりしたよ。しかし、今日はすごい一日だな。東京からの懐かしいお客さんが二人も。吉村さん、黒崎君と一緒に働いていたことあったよね。」
私は心臓がえぐられるような気持がした。
「はい、ケニーさん、ですよね。」
私は、辛うじて記憶しているかのような口ぶりで答えた。
「そうそう、黒崎君の従弟がジョニーで黒崎君がケニー。その二人がさ、さっきまでそこにいたんだよ。十八番テーブル。」
私は十八番テーブルが、隅の丸テーブルを指していることを覚えていた。キッチンとホールの間にある通路に、テーブルの番号が地図のように記された表がはってあったからだ。
テーブルは片付けられており、いつでも次のお客が座れる状態だった。先ほどのアルバイトの男性が片付けたのだろう。
「黒崎君、サーフィンしに従妹の家に泊まりに来てるんだって。」
「そうですか。」
私はなるべく平静を装って尋ねた。
「黒崎さん、お元気でしたか?」
店長は嬉しそうに笑った。
「最近まで、ハワイで過ごしていたんだってさ。大学を卒業して、東京の機械工業の会社に就職したんだけどすぐに辞めて、ハワイで日本食のレストランでアルバイトしながらサーフィン三昧だって。もうどこの国の人かわからないくらに真っ黒に日焼けしていたよ。そうそう、随分美人な彼女を連れていたよ。」
「そうですか。」
私がいくら東京の街を見渡しても、偶然の再会などあり得なかったのだと心の中で笑った。
私は、毎日のように黒崎健吾と再会できれば交際するのだと疑わずに過ごしてきたが、彼女くらいいるだろう。
「またジョニー君の家でしばらく居候しようかななんて言うから、その時はまた働いてよって言っておいたんだ。吉村さんも、こっちに戻ってくるならいつでも大歓迎だよ。」
そう言って笑うと、母に「ごゆっくりどうぞ」と会釈をして店長は戻って行った。



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