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いいお母さんをやめて、私はダメダメ母さんになったけれど、私がいる、それだけで家族は幸せだと気付いた。

お母さんになること。
それは小さな頃からの夢でした。

私の中に
こんなお母さんになりたいという
理想のお母さん像
みたいなのものがあって
少しでもその理想に近づけるように
頑張ってきました。

規則正しい生活
自然で優しい丁寧な暮らし
何よりも家庭を最優先

もちろん
心から楽しいと思うことも
たくさんありましたが
正直、
しんどいな…
面倒だな…
と思うこともありました。

でも、
そういう気持ちには
全て蓋をして
ひたすら
理想のお母さんを目指して
頑張ってきました。

息子にしてあげたいこと
イコール
幼い頃に
私がしてもらいたかったこと。

そして、
絶対にしたくないこと
イコール
幼い頃の悲しい記憶。

とは言え
自分がしてもらえなかったことは
自然にさらりとは出来なくて。

それなのに、
自分がされて嫌だったことは
簡単にやってしまいそうになるのです。

未経験のことをするのも
不の連鎖を止めるのも
どちらもエネルギーのいることでした。

それでも、
息子に微笑みかけてる時
息子を抱きしめている時
私は幸せでした。

息子に微笑みながら
息子を抱きしめながら
私はきっと
小さい頃の私に微笑み、
小さい頃の私を
抱きしめていたのだと思います。

満たされない思いを抱え抱えながら
息子に愛を手渡していく
ということは
時にはとてもしんどくて…

息子を
こんなに愛しているのに
どうして
こんな気持ちになるのだろう…。

思い描いていた
理想のお母さんのようには
なかなかなれなくて
それでも
いいお母さんになることを
やめてしまったら
何もかも全て
終ってしまうような気がして、
もっと、もっとと
自分を縛っていきました。

いいお母さんを手放したのは
2,3年くらい前でしょうか。

それは息子が
小学校の5,6年生の頃、
思春期を迎え
明らかに何かが
変わり始めた頃でした。

息子は私とは全く違う…

息子を前にして、はっとしたのです。

それまでずっと、
私のしたことが
そのまま全て
子育てに表れていくと信じ
お手本となるような生き方をしようと
頑張ってきました。

私のしたように息子は育っていく
私の姿が
息子の健やかな成長につながる
それが息子の幸せ…
そんな風に思っていたからです。

息子の至らなさ、不甲斐なさは
全て私の責任…。

でも本当は
私が私に自信がもてなかったから
息子が周りから認められることで
私の存在価値を
確かめようとしていたのだと思います。

息子が
自分の思いを
はっきり主張してきた時
私とあまりも違う
息子の考え方や、感じ方に
戸惑いました。

何でそんなことを言うの?
どうして、
そういう考え方をするの?

でも、
その時、気が付いたのです。

私は自分を縛ると同時に
私は、息子を私色に
染めようとしていたのだと。

こんな子になって欲しい
こんな風に育って欲しいと
期待していたのだと。

息子と私は違う…

そう気付いた時、
もう、手放そう…
と思いました。

ずっと
息子の笑顔が
私の喜びでした。

息子の幸せが
私の幸せでした。

不器用ながらも
息子の幸せを願って
私なりに精一杯やってきた
それまでの子育てに
後悔はありませんでした。

親としての
大きな役目が終わった…
この先
息子の人生を背負っていくのは
私ではない。
息子自身なのだ…

そう確信した時
母親としての人生から
私の人生へと
戻っていくことを決めました。

今、息子は14歳。
もう私とは全く違う人生を
歩き始めています。


私は、
大人になるまで
両親や家族との関係に悩み
葛藤してきました。

こんな家に
生まれて来なければ良かった…
何度もそう思いました。

それでも、今、
心から思います。

私にはあの両親や家族が必要だったと。

私がこの人生を選んだのだ…と。

だからこそ
この先の息子の人生は
息子に委ねようと思います。

私のこれまでの子育てが
どうであったにせよ
それを学びや気付きに変えていくのは
私ではなくて
息子自身なのだから。

もし、
息子にしてあげられることが
あるとすれば
それは
私がこれからの人生を楽しむこと
幸せに生きる姿を見せていくこと。

息子が、この先
道に迷った時
道しるべとなれるように。
灯となれるように。

息子が私の姿を見て
なんかお母さん、いつも幸せそうだな
そんな風に思ってもらえたら
もうそれで十分…
今はそんな風に思います。


家族のために突っ走って来た
これまでの人生を手放し、
私は今、
出来る事をして、
出来ない事は誰かに頼み、
自分を大切にしてします。

日々の暮らしも
昔のような丁寧な暮らしからは
少し遠退いてしまいました。

家族の誘いを断ることもあります。

休日は
息子の方が先に起きます。
朝ごはんは
残り物を温めたり
簡単なものを作ったりしているようです。

今年の冬は家にこもりきりで
毎日の雪かきも
主人と息子に甘えっぱなしでした。

年明けは
家で仕事をすることが多かったため
近所では「なおみさん、コロナでは?」
挙句の果てには「死亡説」まで出たほど。
(ちゃんと外出はしていたのですけれどね)

以前の私だったら、
こんな親ではいけないと
思っていたでしょうし
近所の目も気にしていたことでしょう。

私がこんな風になって
息子は言います。
「お母さん、もう少し運動しようよ」
「前は、よくお菓子作ってくれたよね」

「うん。そうだよね。
 なんかねぇ、やる気が出ないんだよね。
 一生分頑張ったからかなぁ。ハハハ…。
 そのうちまた気が向いたらね」

自分の気持ちを正直に伝えたら
おかしなもので、
無性にお菓子作りがしたくなって
久しぶりに
シフォンケーキを焼きました。
あまりにも久しぶりで
あたふたしました。

納得のいく出来ではありませんでしたが
息子も主人も
「おいしい」
と喜んでくれて嬉しかったです。

気持ちが向いたら
また作ろうと思います。

怠け者になって、
手抜きが増えて、
母としても妻としても、
ダメダメになったのに、
主人や息子は
あきれながらも
とても優しいのです。
だから、私は、にこにこ笑って
「ありがとう」
と言っています。

いいお母さんでなくても
私はちゃんと必要とされている…
そう思えた時
私は「こうあるべき」
「こうでなければ」と
自分を縛ることを
やめることが出来ました。

不思議なもので、
私が自分をゆるしたら
周りに求める気持ちもなくなって
間違いなく、
みんなの笑顔が増えました。
みんなが優しくなりました。

私はこれからも自分を大切にして
にこにこ笑っていたい。
そして、
主人や息子にありがとう
と伝えていきたい。

きっとこれでいいんだ…

これが今の私の、
そして家族の幸せ。

これが今の我が家の風景。


最後に
大好きな手嶌葵さんの
『家族の風景』を
贈ります。

あなたにとって
幸せとはなんですか。

https://youtu.be/cpt8AgbV7_Y

あなたがいる
やわらかな光みちる家

あなたがいる
何気ない毎日の中に

あふれる緑と きれいな水 
そして

あなたがいる
それだけで 幸せになれる

そばにいるよ
風の日も 心まよう日も

そばにいるよ
寄りそえば ここはあたたかい

あなたの笑顔が わたしの宝物

こんなおだやかな日々が
わたしの喜び

ともに生きてゆく あしたを守りたい

あなたと そしてすべての
いのちのために

あなたと そしてすべての
いのちのために 




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