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転倒無視のサンバ

実家に住んでいたころ、冬になると必ず現れる「魔のスポット」があった。毎日そこを通るときにはドキドキした。それは僕の実家から最寄りの地下鉄駅に向かう道のゴール地点に潜んで、油断した僕を喰らおうと待っているのだ。
家から駅への進行方向と、地面からにょきっと顔を出す地下鉄駅の出入り口はちょうど逆向きに設置されていた。だから駅に入るにはぐるっと小さく180度ターンを決めなければならない。このターンと、沢山の人に踏み固められた雪道はすこぶる相性が悪い。つるっ。どてん。

僕は転ぶのが嫌いだ。物理的に痛いのもそうだけれど、それ以上に周りの目線が痛い。憐れみ、嘲り、心配。実際に僕に向けられているかもわからない他人の気持ちを想像する。起き上がったあとどんな顔で歩けば良いのだ。僕の普段の様子やキャラクターから、「転ぶところを見たくない」「見たら幻滅するかも」なんていうことを言われたこともある。理不尽である。たいていそう言ってくる人は、自分が転んでも笑って済まされる愛嬌があるタイプなのだ。理不尽である。


どうしても転ぶ魔の駅前と、どうしても転べない精神によって、気づくと「転ばない冬靴」にやたら詳しくなった。そういうのを特集しているネット記事もたくさんあるが、僕に言わせてみれば説得力がない。ブランド力に頼らない安くてマイナーなものまで僕自身が探して、実際に試したデータベースがここ(頭の中)にはある。アフィリエイトをやれば結構稼げるんじゃないかと思う。
あるとき試したのは、北欧のとあるトレッキングブーツ。これのすごいところは、野外では靴底のスパイクが機能して、屋内のタイル床なんかではそれが自動的にひっこんでグリップが効く、というところだ。履いてみるとカチコチに凍った道でも全力疾走できるほど滑らない(僕の普段の様子やキャラクターから、「全力疾走しているところを見たくない」を言われたこともある。理不尽である)。
しかし屋内でスパイクがひっこむとはいえ、なんだか常に砂利道を歩いているかのような音がする。それにエスカレーターとか、溝のある場所では普通にガリガリ鳴ってしまう。転ばなくてもやはり周りの目線が痛くて、履かなくなってしまった(儚くなってしまった)。


そういえば、「転んだあとどう起きるか」という話を先輩としたことがある。
起き上がったあと、体に付いた雪を払わないですね。パンパンと払っている姿こそがダサいのだし、転んだ瞬間を見ていない人にまで転んだことがバレるじゃないですか。雪が付いているだけなら原因は他にもありえますから。僕はそう言った。すると先輩は、俺は転んだらしばらく起きないでそのまま空見上げるね、最初からそうしたかったみたいに、と言った。
変わった人もいるものだ。

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