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サレ妻だけど、今日も元気に夫を愛している

私の強みは、強いことらしい。就職活動の参考にしたくて、後に夫となる彼に私の強みを聞いたら、3つ目あたりに「強い」と濃く書かれた。

ライオンを倒す術は持っていないし、人混みで誰かにぶつかると滑稽なまでによろけてしまう私だが、どんな問題にぶつかっても立ち直りがものすごく早い。ということらしい。

そんなこんなで「あなたを守りたい」「あなたを幸せにする」などと言われることなく、彼と永遠の愛を誓った。ヘタにベタな言葉を言われるよりも、「私は私で幸せをつかんでいく」結婚生活は、予感としては悪くなかったし。

ところが私は、サレ妻になった。そして、今日も元気に夫を愛している。

サレ妻だけど、夫を愛している?驚かれるだろうが、事実である。実の両親よりも、夫と過ごす方が落ち着く。

たとえば、家に夫がいると安心する。突然外がゾンビだらけになったり、地球外生命体が地球を侵略しはじめたりしても、なんとなく納得の最期を迎えられそうだ。生き残れるかは自信がないけれど。

それに、「平次って和葉ちゃんが呼んだら、Siriが反応するらしい」とか「タイガースの青柳の母親はヤクルトレディで、もともとスワローズファンらしい」とか、どうしようもなく笑ってしまったことを真っ先に共有したいのは夫だ。彼はたいがい、目を細めて笑ってくれる。

「私、これで笑ったよ」なんて、無邪気にくだらない話をしたくなる相手。あるいは、してほしい相手。今までもこれからも夫な気がしている。つまり、夫を愛している。

「でも、あなたを裏切った人でしょ?」

サレ妻なのに夫を愛しているだなんて、頭がおかしいと思われるのかもしれない。私もたまに、離婚しない方が楽だから自分を洗脳しているのかと、自分を疑う。鏡にうつる私の顔は、まともそうにもイカれてそうにも見えるし。

何かの拍子に夫と女性のLINEのやりとりを思い出して、心の中のガンバレルーヤよしこが「クソが!」と悪態をつくことだって、あるにはある。

(せーの!)クソが!

それでも、私は夫を信じている。というか、信じられる。5年後、10年後、夫や子どもたちと生活している様子を無理なく想像できるし、その生活は薔薇色と言えなくても「悪くない」とは確信しているのだ。

毎日白米とお味噌汁を食べたい。そのくらいの切実な気持ちで、私は彼との結婚生活を続けたいと思っている。(いつか白米とお味噌汁が食べられなくなったらどうしよう)

子どものこと、仕事のこと、他の人間関係のこと、何か悩んだり迷ったりしたら、間違いなく夫の意見を聞く。彼の口から何が語られるのか、純粋に聞きたい。真剣に答える夫の目をワクワクしながらのぞきたい。私が頼りたい相手は、今までもこれからも夫だ。つまり、愛している。

どうして、信じられるのか。

どうやら私は、彼が「努力できる人」だと認めているらしい。努力できる彼に、どっぷり惚れこんでいるらしい。彼が私に「俺の強みは」と聞けば、私は紙にデカデカとなるべく太い字で「努力できる」と書くだろう。本気でそう思っているから、お習字セットを引っ張りだしてきてもいい。

私と彼は、2011年に出会った。大学で。つまり、10年以上彼を見ているわけだが、その達成志向には舌を巻く。巻きすぎて、もう舌がシナモンロール状態である。(大好物なのでな)

「乗り越えるべき試練は、必ず乗り越える」その姿を見てきたから、彼は私を裏切らないと信じられる。…と、ここまで書いて、想像上の他人から、こんな声が。

ラジオネーム・イマジナリー他人ちゃんからお便りが届いている。紹介させてくれよな。

「そもそも努力できるなら、妻を裏切ったりしないでしょ…」

おっしゃる通りである。努力できる人間は、自制心が強い。刹那的な生き方はしないだろう。私もそう思う。

私は以前、「夫婦が再構築する際のポイント」を夫にインタビューしている。犯罪者に「どうすれば再犯を防げるのか」と聞くような、一見ナンセンスなそのインタビューは、非常に興味深いものだった。改めて別の場所に書きたいと思っている。

取り急ぎ、インタビューからキーワードを持ってくる。

(あくまで夫の場合だが)「浮気はするもの」らしい。

(せーの!)クソが!

心の中のよしこをなだめながら、不倫は文化的なその発言を深掘りした。すると、(あくまで夫の場合だが)「浮気をしない理由」が必要とのこと。

「家族のため、少しでも安定した仕事を続けたいから、行きたくもないのに大学院に行ってやりたくない研究をやっているのに、家で愚痴ったら白い目で見られる。ボーッとバラエティ番組を観るのも妻とのスキンシップも、嫌がられた」

たしかにあのころは、彼が「浮気をしない理由」はなかったのかもしれない。ごめん、と思う。一方で私には「夫を嫌う理由」がちゃんとあった。血走った目でこう答えた、気がする。

「子どもが保育園に入り一週間おきの頻度で熱を出し、仕事を頑張りたいのに頑張れない。夫は家にほとんどいないし、いるときはいるときで愚痴ったり、ボーッとバラエティ番組を観たり。仕事変えたらええやんとしか思えなかった」

要するに、

私たちは、あまりにもすれ違っていたらしい。私には「夫を嫌う理由」があったし、彼に「浮気をしない理由」はなかったということ。毎日毎日お互いに小さく傷つけあっていたわけだ。

そして、私が大きく傷つく形でぶつかった。ぶつかったから、お互いの目を見てよく話した。そこに嘘はないと感じたし、私は彼の言い分をそのまま受け取り、私の言い分もそのまま受け取ってもらうことにしたのだ。すごくフェア。

だからこの一年、二人三脚で何度もコケそうになりながら「浮気をしない理由」とやらを増やし、「互いを嫌う理由」を減らしていった。

・双方向の敬意や感謝
・家事育児の分担
・愛情表現としての双方向なセックス
・思いやりのあるコミュニケーションそれ自体
・子どもと親それぞれとの信頼関係
・離婚しない前提のライフプラン
…など。今の私たちには「浮気をしない理由」がたくさんあるし、「互いを嫌う理由」はほとんどない。束縛ではなく、優しく温かなつながりができつつある(ように感じる)。

ラジオネーム・イマジナリー他人ちゃんは、不安そうだ。

「絶対に絶対に裏切らない?」

絶対に絶対に裏切らないか、それは、正直わからない。なんだかんだ夫は他人なので、「バレなければ浮気してもいい」くらいに思って、隙を狙っているのかもしれない。だとしたら、いけすかない野郎だ。

娘に「パパだいしゅき」と言われてニヤけている夫が、それ以上に鼻の下を伸ばして、私以外の女性のおっぱいを揉むのかもしれない。やけに煙草くさいラブホテルなんかに入っていく…のかもしれない。うん、いけすかない。

でも、私は今日も元気に夫を愛している。どうやら、「愛している」と「信じている」はイコールで結ばれているらしい。愛しているから信じられるのか、信じられるから愛せるのか、よくわからない。だから、イコール。

彼は、努力できる人。「浮気しない理由」がたくさんあるうちは、「私との結婚生活」が将来像に組みこまれているうちは、きっと私を裏切らないだろう。毎日何度も、盗み見るように夫の目を見て「信じてるぞ」と念を送っている。

それでも私はサレ妻。事実は塗りかえることができない。

夫の裏切りを、なかったことにはできないし、「許す」と思えたこともない。消えない怒りの炎を抱えながらでも、一緒にいられた。ただ、それだけ。私は、強いから。

そして、彼は努力できる人。だから、私は今日も元気に夫を信じているイコール愛している。私の愛は、条件つきの愛なのかもしれない。浮気しない理由が必要、これもまた条件つきの愛ってことなんだろう。

(せーの!)クソが!

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