九葉谷 稀沙 Kubatani Maresa

毒親育ち、アダルトチルドレン、パニック障害(70%治癒)、きょうだい児、ベビーシッター…

九葉谷 稀沙 Kubatani Maresa

毒親育ち、アダルトチルドレン、パニック障害(70%治癒)、きょうだい児、ベビーシッターによる虐待など、壮絶な私の人生。なんとか生き延びてアラ還に。同じ思いをしてる人に少しでも元気になってほしくて、書くよ。心をこめて。だけど、時々強烈なできごとも書いちゃうかも。その時は、ごめんね。

最近の記事

いびつな家族の一つの結果。(早すぎた父の死)その3

 だったら、午前中の電話は不要だったのでは? 人をいたずらに心配の沼に落としておいて、10時間以上も連絡をしない、というのはどうだろう。  もちろん、この時代携帯電話は普及していないから、安易に連絡を取れないという状況もある。だから私だって、大変だったろうとは思ったのでつとめて冷静に言ったまで。非難の声色は、一切使っていない。  そしてこういう時にヒステリックな声を挙げるのは、父親そっくりだな、とどこか遠い所で考えていた。  でも。  いくら携帯電話がない時代と言えど、母もい

    • いびつな家族の一つの結果。(早すぎた父の死)その2

       え。  前もって連絡もなかったので、私は驚いたけれど、とりあえず無事だったことに安堵した。その年の冬、今まで自宅で仕事をしていた私たちは、事業拡大を目指して、小さいながらも事務所を構えた。これで、プライベートスペースと仕事場を分けることができる。ある意味悲願でもあった。  当時は社員を雇う余裕もなく、20歳前後の男性3人に外注として仕事をお願いしていたのだけれど、その人たちが早朝や深夜しょっちゅうやって来るので、入浴するのにも時間を選ぶ必要があった。私としても、忙しい時は起

      • いびつな家族の一つの結果。(早すぎた父の死)その1

        「私だってお父さんがこんなに早く亡くなるなんて思ってもみなかったから」  父が63歳で亡くなってから数年経った頃、母が言った。  私は。  黙っていた。  本当に、そう思っていたのか。そうだとしたら、あまりにも呑気すぎる。父は、60歳で公立中の校長を退職した後、嘱託として公共の施設に週3日勤めていた。  ある日の朝、突然動けなくなってそのまま入院。一ヶ月も経たないうちに亡くなってしまった。  あっけなかった。  けれども持病として糖尿病を患っていたし、父の兄弟は50代、60代

        • 決めた。送り続けることに。(出かける時は、玄関まで・・・)その23

           そして。  無闇に傷つけていなかったようで、胸を撫でおろした。  もちろん、私には怒りすぎて翼を泣かせてしまった具体的な記憶もある。それを翼が心に刻んでいないのは、彼にとってはそんなにひどい思い出ではないか、または忘れやすい性質なのかはわからない。それとも、そこで悲しい思いをしたとて、その後私が余りある愛を届け、帳消しになっているか。  親だって人間、怒ってしまうことはあるだろう。それすら我慢していたら、かえって子育てそのものにストレスがたまってしまう。 「普通の子どもは

        いびつな家族の一つの結果。(早すぎた父の死)その3

          決めた。送り続けることに。(出かける時は、玄関まで・・・)その22

           数年前、今から考えると掟破りのことを翼に尋ねてしまったことがある。学生時代、2つ上の先輩とネパールに旅行すると言う。ネパールは、治安的に少し心配で、当時は大地震もあり、完全には復興していない状況だった。  もしかしたら、これが今生の別れになってしまうかも、と思った。  けれども、無闇には反対できないし、したくなかった。  それで私は、どうしたかと言うと。 「ね~え、今まで私にされて嫌だったことなぁい?」  と聞いてしまったのだ。  出発2日前のことだったと記憶している。

          決めた。送り続けることに。(出かける時は、玄関まで・・・)その22

          決めた。送り続けることに。(出かける時は、玄関まで・・・)その21

           無料券ならまだしたも、半額は払っているわけだからタダというわけではない。 「僕はそれには乗れないな」  翼がポツリと言った。私も一人暮らしをしてお金がなかった20代前半の頃には、タクシーに乗るという発想がなかったので驚いた。   でも。  湊は、 「どこが悪いの?」  というような顔をして、まだ濡れた衣服の始末に追われている翼を眺めていた。  こんなところも合理的な湊らしいのだ。  しばらく経った頃、ダイニングの椅子に座っていた翼がスエットの裾を膝までまくりあげ、 「あ~

          決めた。送り続けることに。(出かける時は、玄関まで・・・)その21

          決めた。送り続けることに。(出かける時は、玄関まで・・・)その20

           今年の冬に起きた雪の日のできごとは、感慨深い。  珍しく都内に雪が振り、ほんの少し積もった。水分を多く含んでいたので翌朝には溶けたけれど、夜の時点では気温も低く一面雪景色となった。  まず必要な本を取りに久々帰宅した湊は、10時半頃家に着いた。それから、一時間ほど経って翼が帰ってきた。 「ひゃ~」  玄関で悲鳴をあげている。着ていたコートも布製のバッグも水分を吸って重さがましてしまったらしい。帽子から手袋まで、雪というより大雨に遭ったような感じでびしょぬれだった。 「手袋、

          決めた。送り続けることに。(出かける時は、玄関まで・・・)その20

          決めた。送り続けることに。(出かける時は、玄関まで・・・)その19

           きっと。  湊も薄々危険を感じていたのだろう。だから、私たちが伝えたことに背中を押され予定を変更したのだと思う。  それが証拠に。  数週間後、他のグループとやはり車で木更津のアウトレットに行った時は、事前の相談もなく出かけて行ったからだ。別に隠していたわけではない。帰宅後、戦利品を袋から出して、 「これいくらだったと思う?」  とクイズをされたからだ。そのグループには湊の他にも免許を持っている子がいたし性格も決して煽るようなタイプではなかったので、たとえ前もって計画を聞い

          決めた。送り続けることに。(出かける時は、玄関まで・・・)その19

          決めた。送り続けることに。(出かける時は、玄関まで・・・)その18

          「そのメンバーで免許持っている人、湊の他にいるの?」  聞き方を考えた。 「俺だけ」 「え~、それは危ないよ。ましてや高速乗ったことないわけだからさ」 「そうだよ」  そんなふうに広大は、それに同調してくれると思った。  ところが。 「よし、それなら父さんとそれまでに高速乗って練習しよう。色々細かいローカル・ルールあるから」  などと言うのだ。  え。   え。  反対するんじゃないの?  私は、内心焦った。たとえ練習したとして、あのメンバーじゃ危険なことには変わりない。

          決めた。送り続けることに。(出かける時は、玄関まで・・・)その18

          決めた。送り続けることに。(出かける時は、玄関まで・・・)その17

           帰宅後、広大に言ってみた。 「それは無謀」  広大も、2人の性格を知っていたので、私の心配もあながち取り越し苦労ではないと認めてくれた。  けれども。  湊に言えない。  湊は、自分たちの中で起こっていることが母親たちの間で話題となり、尾ひれがついて流布されるのを極端に嫌っていた。だから、友人の噂話など一切しないし、何か他のことでどうしてもプライべートなことを言わなければならない時は、 「ママ友に絶対言うなよ」  とあらかじめ口止めしてくる。  私も母にやられてとても嫌だっ

          決めた。送り続けることに。(出かける時は、玄関まで・・・)その17

          決めた。送り続けることに。(出かける時は、玄関まで・・・)その16

           このように私は母を反面教師としてずっと育児をしてきたけれど、それが正解かどうかは、まったくわからない。子どもたちが嫌がることをまったくしなかったか、と問われれば自信がないし、時々は行きすぎたことをしてしまったかもしれない。  ただ、そう言う時でも息子たちが嫌がっていたり、歪んだ顔になったら、どこが食い違っているのか立ち止まる努力はしてきたつもり。  湊が高校を卒業して、夏に「合宿免許」を取りに地方に行った。無事に免許を取得したけれど、東京にいると車を使わなくてもじゅうぶんに

          決めた。送り続けることに。(出かける時は、玄関まで・・・)その16

          決めた。送り続けることに。(出かける時は、玄関まで・・・)その15

          「できたよ~」  湊を食卓に誘えば、皿の上のオムライスをしばし見つめて、クスっと笑った。 「なんで笑うの?」 「思ったより完璧なのが出てきたから」  なんだか嬉しかった。  そんなほめられ方をすることに、おそらく本当に飢えているのだろう。結婚、出産後は幾度となくその願いを叶えてもらっているのにも関わらず、それ以前の飢え、つまり幼少の頃の欲望が全然満たされていないのだと思う。  湊はよく、 「う~ん、うまい!! ちょっと食べてみ!」  とシェアしてくれる。  湊だけが食事中で、

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          決めた。送り続けることに。(出かける時は、玄関まで・・・)その14

           ところが。  翼は、 「もうじゅうぶん着ているから、問題ないよ」  と言ったのだ。  大したことではない、というような軽い感じの返事。だからと言って物を粗末にしているわけではなく、おそらくこの薄ピンクのTシャツもまだ捨てずに持っているはずだ。悪意があってやったわけではなく、先に私が謝ったから許してくれたのだろうか。あまりにもあっさりしていたので、かえって拍子抜けしてしまった。  また染まっただけで、破れたり紛失したりしたわけではないから、翼にとっては大したことではなかったの

          決めた。送り続けることに。(出かける時は、玄関まで・・・)その14

          決めた。送り続けることに。(出かける時は、玄関まで・・・)その13

           それを聞いた時、本当に嫌な気持ちになって、 「もう、良い!!」  とその場を去った。  もう耐えられないほどに、嫌気がさしていた。  背中では、バカにしたような笑い声がした。 「何よ、これしきのことでヘソ曲げちゃって」  というような感じか。娘の気持ちを踏みにじっているということには、いっこうに目を向けられない憐れな生き物、それが母だ。  だから私は、普通に翼にお礼を言った。 「干してくれて、ありがとう」  と。  皺がついていたって、また洗えば済むこと。 「いえいえ」  

          決めた。送り続けることに。(出かける時は、玄関まで・・・)その13

          決めた。送り続けることに。(出かける時は、玄関まで・・・)その12

           冬だったので、室内干しをしていた。家のベランダは、東向きなので、季節によっては一日では乾いてくれないことがある。  帰宅した私は、少しびっくりした。 「あ、干してくれたんだ」  と思った。その時翼は、外出中だったけれど、なんだか一生懸命に干した感じが伝わってきた。今は、同居しているけれど、一人暮らしをしたり、友人と住んでいた期間も長いので、何も洗濯は初めてではない。  それにしては。  2点留めすれば早く乾くようなもの、たとえばハンカチなどもピンチ一つでまかなっているし、ま

          決めた。送り続けることに。(出かける時は、玄関まで・・・)その12

          決めた。送り続けることに。(出かける時は、玄関まで・・・)その11

           とにかく何をしても、ケチをつけられ、けなされるだけ。その様子が、容易に想像できてしまうというのも、なんとも悲しい。  私が流行り病にかかってしまい、自宅で隔離生活を送っていた時も人知れず心配してくれた翼だった。この時点では、猛威はかなりおさまっていて、家での静養が基本となっていた。だから、罹患すると仕事にさしさわる夫の方がホテルに避難、翼はすでにかかっていて免疫があったので、数日間私と翼の2人だけで暮らしていた。共有部分は消毒しつつ、私は自室に閉じこもっていた。  やはり夜

          決めた。送り続けることに。(出かける時は、玄関まで・・・)その11