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アクセルを踏むのか、それともブレーキを外すのか(独立日誌から)

個人事業を立ち上げてから9カ月、退職してから3か月が経ちました。
冬の間はお蔭さまでかなり仕事が立て込んでいて上手くペースをつかめなかったのですが、最近は慣れてきてnoteやSNSもできるようになってきました。

そんな節目に、前から気になっていた「しずかなインターネット」を始め、noteに書くほどの長さでもないような断片的な文章を投稿してきました。

私の場合、オリジナルの記事をnoteに書くときは主題やコンテンツを決めて書くようにしていて、それなりに長い記事になります。

その点、しずかなインターネットは思いつくままに書くので、日記的なものだったり思考の断片だったりして、気楽なものになっています。その中で自然と「独立日誌」的な内容を書き始めて今に至ります。

さて、改めて独立日誌を読み返してみたときに、「アクセルとブレーキ」というワードが自然と浮かんできました。これについて書いてみます。

独立の自由と代償

独立すると会社員時代とは違った自由が手に入ります。時間の使い方から何を仕事にするかまで自分で決められるわけで、独立したての頃は驚くほどでした。

一方、その自由には代償もあります。

具体的には、仕事に対する責任、自分を律する必要があること、孤独を乗り越えることなどでしょうか。また、一人でできることには限りがあることも承知しておく必要があるでしょう。

やることを決めるのは自分

こうした自由と制約の中で、「今日、今ここで何をやるか」「来週は何をやって、何をやらないか」ということを決めるのも自分です。

これは当たり前に聞こえるかもしれません。しかし、組織に属していると何かしら受動的なタスクや会議があるので、少なくとも「何をしてよいか分からない」とか「やるべきことが全くゼロ」ということにはなりにくいはずです。

場合によっては、予定表が会議のインビテーションで埋め尽くされているということもあるかもしれません。退職前の私もそうでした。こうなってくるとOutlookやTeamsに働かされる感じになり、反応的かつ近視眼的になってしまいます。これをインビテーションドリブン仕事術と呼んでいます。

対照的に、独立して活動しはじめると、今、明日、明後日何をするかということから自分で決めなくてはなりません。真っ白なカレンダーを渡されて、自由に描いてねと言われているようなものです。そして、それを「言ってくれる」人もいないのです。この変化はとても大きいもので、慣れるのに時間がかかりました。

アクセルとブレーキ

真っ白なカレンダーを考えながら埋めていく中で、頭の浮かんだのがアクセルとブレーキというイメージでした。まずはアクセルから。

独立当初は「アクセルを踏まないと」と思っていました。インビテーションドリブン仕事術に慣れ切った身体を動かすために、アレコレやることを考えてやるという感じです。黙ってメーラーを眺めていても何も起きないし、Webサイトを公開したところで太平洋の真ん中で叫んでいるようなもの。となれば、自ら動く必要があるわけです。

そんなアクセルを踏むようなイメージをもって動いていたのですが、途中から「これは違うかも」と思うようになりました。活動内容の良し悪しでなく、イメージの話です。

何となく、自分の活動を阻害しているのはアクセルを踏まないことではなく、ブレーキを踏んでいることではないか?と思うようになったのです。いくらアクセルを踏んでも、ブレーキも踏んでいたら前に進むことはできません。

私の場合、石橋を叩いて渡る傾向があるので、いくらやりたいことやアイデアがあっても躊躇してしまいます。独立の決断はその最たるもので、手帳に「独立したい」と書き込んでから10年近く経ってようやく独立したのでした。

また、独立してからもいろいろと躊躇することがありました。例えば、以下のようなことです。最終的にはどれも実施できたのですが、思いついてから実際に行動を起こすまで時間がかかりました。

  • 情報収集のためにサブスクを契約する

  • 事務所のWebサイトを立ち上げる

  • 商標登録の出願をする

  • 自分のノウハウを発信する

  • 自分のサービスメニューを明確にする

  • サービスを絞り込んでみる

  • 貢献できることを提案する

  • 自分のサービスに値付けして見積を出す

  • できないことにノーと言う

こうしたことを躊躇してしまったのは、アクセルを踏んでないからではなく、ブレーキを踏んでいるからではないか? と思ったのでした。

ブレーキを外す

改めて自分がブレーキを踏んでしまう理由は何だろう?と考えてみると、以下のようなことが思い当たりました。

  • うまくできないかもしれないから。

  • 誰かに批判されるかもしれないから。

  • マイナス効果があるかもしれないから。

  • 無駄になるかもしれないから。

要は失敗すること自体を恐れていたということです。自分でブレーキを踏んでいたわけですね。逆に言うと、「面倒だから」とか「やり方がわからないから」という理由はありませんでした。

そして、自分でブレーキを踏んでいることに気づきにくいというのもやっかいな点です。

ではブレーキを外すにはどうしたらよいのでしょう?

端的に言うと「意識して快適な場所から出よ」ということだと思いますが、このセンテンスを唱えているだけではなかなか難しい。

そこで、今は次のように考えるようにしています。

大海原で叫んでも誰も気づかない

独立したての頃というのは、太平洋のど真ん中にある無人島にパラシュートで降り立ったようなものです。なので、何かしたところで大した注目を集めることはありません。大海原で叫んでも誰も気づかないのです。人の目がないのであれば、気になるのは自分の目なのでしょう。

誰も自分の頭の中を覗いてくれない

自分から開示しないかぎり、自分の中にあるノウハウやサービス価値は伝わりません。会社に属していれば、過去の顧客基盤やサービス実績があるので暗黙的に伝わる部分もあります。また同僚はある程度自分のことを知っています。しかし、独立後は自分が貢献できることは積極的に開示する必要がありますし、できないことにはノーと言わなくてはなりません。

決裁は自分でする

何か新しいアクションを始める時、そのGO/NoGO判断をするのは自分です。決裁者はいません。相談者はいたとしても最後に決めるのは自分です。理由がないままズルズルと判断を保留しても、誰も引き上げてくれません。自分で自分に許可を与えましょう。

まず一歩目を踏み出して試す

やってみることで学べることが多いです。なので、試したいことや躊躇していることがあれば、小さいアクションを一つやってみるのがよいと思うようになりました。

躊躇なく計画を変更する

何か試すことがあったとして、その軌道修正や撤退も自由です。「これは違ったな」と思ったらやめればいい。そのようにしてどんどん動いていかないと何も起きない、ということに気づきました。

自分の価値観や倫理観を大切にする

どのようなアクションでも自分の価値観や倫理観に反することはやりにくいものです。結局のところ、これらに反して何かをしたとしても長く続きませんし、我慢を強いてることになってしまいます。逆にいうと、自分の価値観や倫理観に根差したアクションでないと、一歩を踏み出すことも、柔軟に計画を変更できないでしょう。自分に素直になりたいと思います。



今回は久々に独立活動について考えてみました。今後も折に触れて書いていきたいと思います。




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