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大きくならない雪だるま

今日は5月14日。蔓延防止措置の延長や終了。東京オリンピックの開催方法や、中止の方法など、大きなレベルでの決断の話が周りにあります。一方で身近なところを見ても、年次計画の実行が始まり、自分の仕事の計画の中での目標から、月次、週次、毎日の仕事に落とし込む決断が必要となります。

特に東京オリンピックの話を見ていると、①そもそも東京オリンピックに立候補した頃からのイベント自体の是非、②蔓延防止措置で仕事や娯楽を奪われたことへの不満 vs. 医療体制崩壊への不安、の議論の飛び火、③商業オリンピックをやめられない派 vs. 嫌悪派、といったいくつかの切り口に議論が分かれているように思います。サイエンスを背景とする仕事をしている身としては当然エビデンスに基づいた企画、運営、判断を求めたいのですが、一方で様々な開発プロジェクトに携わってきた経験から考えると納得するストーリーが見えてきた気がするのでシェアします。

まず、基本的にはどんな局面でも経験的、慣例として行われていることや、なんとなくの判断というのは存在しており、それに対して「正当性」「公平性」などと言ったもっともな理由での裏付けやツッコミが行われるわけです。ただ、もしそれがかなりしっかりしたデータに基づいて公平に判断されたとしても、一定のリスクは有るし、全員を納得させることは不可能です。現状では日本政府や自治体等を突っ込む時によく言われているのは、「データに基づかない」とか「ルールに則っていない」というものです。ただ、日本人が教育や社会活動の中で、教えられるわけではないけれども非常に強く集団として保持しているものがあります。「決めない」というオプションです。これはいわゆる「玉虫色の解決」と似ているわけなのですが、もっと根深いと思われるものかもしれません。

以前、あるイベントの企画会議を繰り返していたときのこと、何度打ち合わせてもイベントの登壇者が決まりません。それぞれがソレらしいことを発言し、次の打ち合わせまでの行動まで決めているのに、決まらない。あとから気付いたのですが、結局参加者全員がそのイベント自体の方向性がしっくり来ていなくて、議論のリーダー(一応いるんですが)も「もうこのレベルで決めて、前に進めて、あとから修正しよう」という引っ張り方をせずに、全員に「進捗が思わしくないので早く作業を進めないと」と発破をかけるばかりでした。結局いつまで経っても進まないので、周りの空気を読めない私が勝手に登壇者の打診を始めたところ、面白いことが起こりました。周りも独自に動き始めたんです。「小栁さんはこれくらいの情報で動いている」「小栁が選んだ演者よりもっと良い人がいる」等々、大きめのアクションを進める理由付けができたのが原因ではないかと、後から分析しました。小さいレベルですが彼らに「決断する理由」を提供したわけです。結果として非常に不満の声は頂いたものの、イベントはそこそこの成功となりました。このように、「形式的には前に進む行動をとっているけれども、何故か動かない」ことの背景には、それぞれが自分の範囲の仕事はしているものの、「作業のクオリティを気にして外に出さない」「人に先んじて物事を前に動かすインセンティブがない」、と言った消極的な要因によって、いつの間にか仕事が滞るわけです。今回これを「いくら転がしても大きくならない雪だるま」と呼んで、話を進めます。雪がそれほど積もっていない時の雪だるまって、丁寧に作っても固くツルツルして新雪がくっつかない上に、すぐ溶けてしまいます。あのイメージです。

東京オリンピックに話を戻します。今回のオリンピックでは事務局を始め、多くの関係者が多大な努力をされていると思います。まずこのようなパンデミックの事態になったのは運営者とは全く関係なく、「自業自得」的な無意味な攻撃をする声には全く同調できません。一方で、イベントにトラブルはつきものです。むしろそれを楽しみつつ一体となって成功させるところがこの手の大型イベントの醍醐味だと思います。今回の各機関の動きを見ると優秀な人材でも(優秀な人材だからこそ)目の前の作業に終始してしまい、次のステップに進めない。結果として全体の作業が滞ってしまい、大きな課題を抱えたまま(さらにその修正ポイントも設計しないまま)事業を前に進めてしまい、おかしな結末を迎えてしまう。こういったストーリーが目に浮かびます。大きくならない雪だるまを何段にも重ねるので、すぐに崩れてしまうことが想像できます。

当然、こんな状況を理解できない人ばかりではありません。日本にも優秀な人は多くいます。ただ、今回の事態については結末として①開催できなかった場合に誰かが何らかの責任を問わないと世論の気が済まない、②開催してしまった時に十分な対策ができず評判を落とすリスクが高い、というどちらに転んでも誰も得をしなさそうな状況があります。ポイントはこの、あまりエビデンスに基づかない「誰も得をしなさそう」という得体のしれない理由です。でも、ネット炎上などで見られる嫉妬や愉快犯的な行動を起こすには十分な攻撃理由になります。この得体のしれない感情をベースに日本人は結果として大きな粒度で「大きくならない雪だるま」を作り、そのハイスペックながら小さいままの雪だるまで巨大イベントに突入しようとしています。優秀だけれども上述の2つの環境で微妙な精神状態のスタッフで作った「大きくならない雪だるま」をベースに試験大会などが始まっていますが、いくつかほころびが見えてきているようです。それでも顕在化した課題にたいしてもまた別の「大きくならない雪だるま」を作るチームを作り対応するでしょう。皮肉にもここでもっと大きなレベルで冒頭に書いた「決めない」という日本人のお家芸が繰り返されています。「大きくならない雪だるま」でなんとか虚勢を張って前にすすめるものの、あくまでも過去のオリンピックでの前例ベースでしかできていない組織からは「想定外」の対応には限度があります。結果として外的要因のために参加者が集まれず、なし崩し的に「無観客開催」「代表選考なしの選抜大会」そして「トップアスリートが参加しない友好大会」極めつけは「記念大会を数年後に代替開催」などと、どんどん自分たちが決めないままにフェードアウトしていく可能性が大きいと予想しています。

そもそも「オリンピック」っていうのは何だったんでしょうか?平和を願う崇高な理念を思うと、せっかくの自国開催でパンデミック環境下ならではの概念を打ち出し、今後のオリンピックの新たな慣習を生み出すなどの大きなうねりをアジアの東の端から生み出そう!というくらいの活動に完全にシフトして欲しいと願っています。各競技団体との調整は相当大変だと思うのですが、まず強い「ミッション」を打ち出すことで、国や言葉を超えた共同事業であるオリンピックの精神を発揮できるはずです。

まず現状での最善策について「決断」し、日本ならではのオリンピックの「ビジョン」を作ってしまい、強い「ミッション」として組織全体が「柔軟に行動」する。そうすれば、最初は小さい雪だるまでも大きく成長し、厳選されたメンバーによる強固な組織ができることが期待できます。

そして、国際的に尊敬される日本になりたい!



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