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死にたいなら死ねば?と母に言われ、17歳で家を出た。

※重い内容になっています。希死念慮や虐待などの話が苦手な方、フラッシュバックの可能性がある方は、読むのを避けてください。



高校1年生の春、公立高校に通い始めた私は、学校に行けなくなった。

不登校になったと同時に、母と私の関係は崩れて行った。

そのころ私はとてつもない希死念慮に襲われていた。

集団生活での息苦しさ、
流れていくような授業のスピード、
塾で勉強机に縛られる生活、
初対面の同級生との人間関係、

すべてが苦しかったのだ。

当時、保健室の先生によく相談をしていた。

「通信制の学校に転校したい」

「すべてが苦しい」

「死にたい」

親に隠したくて保健室の先生に相談していたのだが、すべて親に筒抜けだった。

保健室の先生が担任の先生に伝え、その担任が、母に電話をしていたのだ。

「死にたい」と子どもが言い出したとき、親がとる行動は、私の想像だが、大きく2種類に分けられると思う。

1つ目のパターンは、子供のことを心配する親。

2つ目のパターンは、子供が「死にたい」と言ったことに対して怒る親。

母は、そのどちらでもなかった。

保健室の先生に相談して数日経ったある日、父と母のLINEのやりとりを偶然見た私は、とてもショックを受けた。

そこには、母が父へ送った、あるメッセージがあった。

「そんなに逃げたいなら死ねば?と琴音に言っていいかな。ばあばの小屋で首吊って死ねば?と言いたい」

私はその文章を見て、どうしていいのかわからなかった。

母は、私に死んでほしいと思っている。じゃあ、私は死ぬべきなのか。

真っ暗な感情が、私の胸の中をぐるぐるとめぐった。

家にはもう、居たくなかった。

児童相談所にこの出来事を相談した私は、その後数週間一時保護されることになる。

数ヶ月経って、私は、母と話をした。なんであの時あの言葉を送ったの?と。

それに対して母が言った言葉は、

「頭にきたから言ってみた。あなたのやってることは、出会った人に対して『こんにちは、死にたいです。こんにちは、死にたいです』と言ってるのと同じ。いろんな人に心配かけて、迷惑かけて、馬鹿じゃないの?」

「死にたいって言ったなら死なないかん。有言実行しろ。高校の先生巻き込んで、迷惑かけて、死にたいって言う覚悟があるなら死ねばいい。」

想像していたよりも強く、辛く、私の心にグサグサと刺さってくる言葉だった。


期待なんか、絶対にしてはならなかったのだ。

親だから、私のことを心配してくれる。

親だから、私のことを大事に思ってくれる。

それが普通だと思っていた。

でも違った。私は死ぬべきなのだ。

生きてはいけないのだ。

学校に行けない。
親の期待に応えられない。
そんな娘は、親にとっては必要のない、ただのがらくたなのだ。

親の思い通りになれなければ、生きている意味なんてないし、生きる価値もない。

そう思って生きていた。


それでも自殺をしなかった(できなかった)のは、きっと、可能性のある、少しの明るい未来に、期待をしていたからだと思う。

子どもシェルターや自立援助ホームなどの若者向けの居場所の存在を知った。

高校生でも、親と離れて生活できることを知った。

自分のやりたいことを選んで幸せに暮らす未来が、少し想像できた。 

それが、私が今生きている理由だと思う。

1年かかったけれど、自立援助ホームに入居できた。
親と離れての生活を始めることができた。

どうしようもなく苦しく、不安になる夜もあるけれど、家で暮らしていたときよりは少し心が軽い。


家庭の問題は、周りが簡単にどうにかできる問題ではない。

だからこそ、自分が「苦しい」と思ったら、自分が動けるうちに、誰かに、何人かに、相談することが大事だと思う。

誰かに言われた。「1人に相談してわかってもらえなかったら、次の相談相手を探しなさい。相談して1人目でわかってもらえるなんて、期待はするな」と。

その通りだと思う。

助けを求めるのは、絶対に悪いことじゃない。

苦しくて、寂しくて、辛いときは、誰かに、何人かに声をかけてみてほしい。

あなたのことを思ってくれる人が、時間はかかっても、きっと見つかるから。


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