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多様性の中で生きる僕らの音楽のスゝメ⑦

お時間ございましたらお付き合い下さい。

Jポップの正体

 日本という国はことサブカルチャーという場面において、とても贅沢に事を運べる土壌であると実感する。
 こと今まで論じてきた[音楽]に対してもそれは同様に作用する。
 日本人の奏でる音楽として、今一度、[Jポップ]という音楽を考える。
果たしてJポップとは何なのか?
それに対する答え合わせとして語源としてのJポップの歴史ををWikipediaより抜粋する。

1988年10月に開局したばかりのJ-WAVEが「J-POP」の発祥となった。J-WAVEは[多文化的]、[スタイリッシュ]な町六本木に存在しており、当初は邦楽を全く放送していなかった。しかし1988年の年の暮れ、同社の斎藤日出夫常務(当時。2012年より社長)がレコード会社の邦楽担当者らと共にJ-WAVEで邦楽を流そうと言う企画が発足する。この際に[日本のポップス]をどう呼称するのかが検討された結果「ジャパニーズ・ポップスにせよジャパン・ポップスにせよ頭文字は[J]だ。そしてここは、J-WAVEだ」と言う意見が出され、Jの文字を用いることとされた。
時流としては
・1986年に浜田省吾がアルバム『J.BOY』を発表
・1987年に日本国有鉄道が分割民営化されJRに
・1985年に日本専売公社が民営化され日本たばこ産業(現在のJT)
になった時代であり、日本を表す[J]と言う文字が定着してきた時期であったことも一因とされるのではないか、としている。これが[J-POP]と言う語の誕生の瞬間であり、この時点ではあくまでJ-WAVE内部のみでの呼称であった。関係者の証言により異なるが、1988年末から1989年初頭頃のことである。
(TOKYO FMや、その傘下の出版社では90年代中頃までは極力使わず本来の「ジャパニーズ・ポップス」の略称である[J-POPS]という名称を多用した。)

※尚1993年という年は日本プロサッカーリーグ(Jリーグ)が始まった年でありこれの存在もJ-POPと言う名称の普及にとって無視できない要素である。

とあり、語源を遡ればマスメディアの造語であることは判明し、従来の音楽のルーツに即していないジャンルであることは明白である。
 イメージで言うと所謂近年の邦楽と呼ばれる音楽や目新しい音楽を[Jポップ]という箱に無理矢理詰め込んだようなものだ。

 お茶の間のTVやラジオから。街中から。お手持ちのポータブルデバイスから。友人と行くカラオケはおろか他人のずさむ鼻歌から…生活の中において音楽というものは多分に存在する。しかもこのJポップという言葉が生まれた時期は金のなる木としても注目されていた時期でもある。メディアにとっては停滞に向かう歌謡曲の世界から脱却する正に都合の良い魔法の言葉であったことは容易に想像できる。
メディアは多様な戦略を唄い"商品"をねじ込む。あたかも商品が正しいかのように。
 但し、これらの商品は凄まじい勢いで"消費"されていく。[Jポップ]には他の1ジャンルのような[ルーツ(根)]が存在しないからだ。

 Jポップというジャンルは他のジャンルと違い感性が積み重なり1ジャンルになったものではなく、経営と経済の[積み上げた歴史]というもので成り立っている。
 前者が天然物である、とするならば、後者は合成物(キメラ)である、とも言えるだろう。

 Jポップとは、キメラである。
 そして我々はそれを聴いて育った(又は生活してきた)土壌である、という前提を踏まえてここからは結末まで話を進めていこうと思う。

次回へ。 


 


 

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