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多様性の中で生きる僕らの音楽のスゝメ③

 こちらは前回です。乱筆乱文ですがよろしくお願いいたします。


"目"で聴く音楽

 視聴側として音楽を最も体感できる行動はやはり
"ライブに行く"
ことであろう。いつも聴いているであろう音楽、又は歌っている本人が目の前で直接演奏したり歌ったりする訳なのだから。
 だが近年音響や照明、液晶モニターが著しく進化を遂げてはいるが、同時にアーティスト側が表現したいことをステージ上に完全再現することはこの時代においてもかなり難易度は高いと思われる。

 "表現を目に見える形にする"という意味ではプロモーションビデオ(以下、PV)を作成する、という選択肢もある…というか、PVの効果は想像以上に高まっている。

 元来、PVという物は業界関係者だけに配られていた。知名度の低い新人やインディーズにとって、自らの作った音楽だけではセールスポイントが響き難いのでPVは貴重な宣伝の一つに成り得るのだ。実際にPVとはそういう物だった。だが、1981年8月のアメリカから状況は一変する。

・音楽専門チャンネル、MTVの開始

 である。(ちなみにMTVが初めてON AIRしたPVはバグルスの [ラジオ・スターの悲劇]である。偶然か皮肉かは未調査だが。)

 MTVの躍進とそれに置けるPVの人気はは米国内に留まらず、世界各国に飛び火していく。視聴者側にとってもアーティストを気軽に見られるチャンネルは格別なものであった。そして時は1983年12月、その流れが決定的となる歴史が刻まれる。

 クインシー・ジョーンズ率いるマイケル・ジャクソンの [Thriller]のPVが初公開されたのだ。(こちらもMTVの出資社の一つがワーナーだったものの世界的ヒットPVがEpic RecordsのMJというパンチの効いたものに。)

 以降、アーティスト側に取ってもPVは[宣伝]だけでは無く[商材]として、[表現]としての重要なファクターとして重要なウェイトを占めることとなる。

 ※ちなみに日本の流れとして、PVに真っ先に目を付けてイメージ戦略として積極的に取り入れて行こうとしていたのが小室哲哉率いるTM NETWORKだった事を追記しておく。
 彼のその構想はやはり1983年(メジャーデビュー前)からPVの流れを唱っていたのだが周囲の満足な理解を得られてはいなく、初期は中途半端なPVでお茶を濁す事となる。
 その数年後、TM NETWORKの所属するEpic/Sony Recordsは所属アーティスト達を起用したオリジナルPVの番組制作に取り掛かる事となるのも皮肉めいている。

・記録メディアの推移
 PVはレコード会社の新しい財源として、そしてインディーズにとっては(一部の業者→家庭用ビデオカメラの普及により)宣伝材料、又は重要な資金源の一部となった。

 時は経ち映像メディアは生産の安価なDVDへと移り変わり、映像機器の飛躍的な進化によりPVを乱発。しかし製造コストが安価にも関わらず大手レコード会社は商材としてのPVの価格を下げなかったが為に大きな痛手を被る事となる。

動画共有サイト(YouTube・ニコニコ動画など)の躍進である。

 YouTubeはその手軽さから、ニコニコ動画はコメント機能やコミュニティで独自の文化を急速に築き上げ、
・ネットワークガイドラインの遅れ
・個人による映像技術の発展(グラフィックツール含む)
…他、様々な理由もあるが、結果PVの市場価値は急落した(※)。

※例
・PV集としての単体商材→CD等の初回限定版の付属品→ストリーミングサービス、など

 舞台はソーシャルメディアへと移り変わり、昨今のパンデミックの影響もあってライブまでもが配信で行われるようになった。だが実際音楽のイメージを可視化できるPVの価値や重要性は損なわれてはいない。

 下衆な話にはなるが労力もお金もかかる部分ではあるので、今後どのように位置付けて行くのかはポイントとしてあると思う。

…次回へ続きます。


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